天橋立と言えば、日本三景の一つとして誰しもが知る超有名観光地。
実は、天橋立がかつて丹後地方の中心地だったことはご存知でしょうか?
奈良時代、全国に国府(今の県庁所在地みたいなもの)が設置されました。丹後国の国府は天橋立だったのです。
天橋立の絶景には、その名残と国府に選ばれた理由が残されていました。
今回は何故、天橋立が古代丹後の中心地だったのか、探ってみました。
天橋立が丹後地方の中心地だった。3つのポイント
- 天橋立によって作り出されて天然の良港
- 丹後地方のほぼ中心で、他地域へのアクセスの良さ
- 天橋立の北側、府中エリアに広がる広い平野部
天橋立ってどこ
海の京都と言われる京都の北部エリア。団子の様な丹後半島が日本海に張り出し、その根元あたりに天橋立があります。
宮津駅

京都駅から特急に乗り、約2時間ほどで宮津駅に到着しました。
そのまま乗ってれば、ダイレクトに天橋立まで連れて行ってくれますが、あえて一つ前の宮津駅で降りました。
宮津から天橋立まで船で行くことが出来ます。そのルートでしか体験できないことがあるので、一度乗ってみたかったんです。
1日1便だけなので、絶対に遅れるわけにはいきません。折り畳み自転車を組み立て、全力で宮津桟橋へ。
宮津桟橋~天橋立

5分ほど全力疾走し、宮津桟橋に到着出来ました💦。
もっと混んでいるのかと思いましたが、筆者を含めて10組くらいでした。
今回、筆者は「海の京都 天橋立・伊根フリーパス 2Days」券を使ったので、船もバスも丹後鉄道も乗り放題です。

宮津市街が遠ざかっていきます。
今は1日1便しか出港していない超レアな船ですが、この地域の鉄道が開通していなかった明治以前は、宮津からの船が一般的な天橋立への行き方でした。
この船こそが、天橋立が古代から丹後地方の中心であった鍵となります。

かすかに左側から松林が一直線に伸びています。今回の主役、天橋立です。
ここで地図に注目です。
天橋立の砂洲は、北側と南側に2つあることが分かると思います。
一つは、北側から湾を隔てるようにして長く伸びている北砂洲。もう一つは、本土側と平行に南に伸びている短めの南砂洲です。
地図の下の方から来た船は天橋立の左側の内海、阿蘇海を目指しています。そこに入るためにはたった一点、南砂洲と本土の間にある文殊水道を通らなければなりません。

写真で見えているのが南砂洲の先端です。ここで右の方へ舵を切ると、永遠に阿蘇海に入ることは出来ず、彷徨い続けることになります。

文殊水道に入りました。
南砂洲の先端です。ここまで歩いて来ることも出来るみたいです。南砂洲はあまり観光客がおらず、かなりのレアスポット。

川下りをしている気分になる文殊水道。こう見えても海です。
船に乗っている時は、何もない大海原より、こういう狭いところを航行するときが一番テンションがあがります。
しばらく進むと、テンションが最高潮に達する瞬間がやってきました。

キター! 廻旋橋です!
本土と南砂洲を繋ぐ橋で、船が通る時、90℃回転して船の通り道を確保します。
1923(大正12)年に出来た橋で、当時は手動で動かしていたそうです。今はもちろん電動です。
それ以前は橋はなく、渡し船で渡っていたそうです。

この視点で見たのは初めてです。
次は、あの係員の方がいるところから、回転する気分を味わいたいな。一般人は入れへんに決まっているやろ(笑)
筆者の知る限りでは、廻旋橋があるのは、日本全国で天橋立だけだった思います。
以前、大阪の橋巡りをした時、安治川に廻旋橋があったことを知りました。明治に起きた淀川の洪水で橋は失われてしまいました。
廻旋橋とは少し違いますが現役の橋では、富山県黒部の生地中橋があります。ここは片側だけを軸にして回転する橋になっているそうです。


船が通ると、橋は回転して元に戻りました。
船が主役の時代、橋を渡すことと船を航行させることは大きな課題で、橋を持ち上げる昇開橋、橋が扉の様に開く跳ね橋、橋がスライドする引込橋など、色んな可動橋が発明されてきました。
陸上交通と架橋技術が発達した今では、可動橋は徐々にその数が減らしてきています。可動橋は、日常の町に船が行き交っていた時代の記憶そのもの。
オランダやイギリスでは、現在でも水運が盛んで、長大な運河が残されており、現役で活躍してる可動橋が数多くあります。いつかヨーロッパの運河巡りをしてみたいなー。

