敦賀港歴史観光 かつてのヨーロッパの玄関口、敦賀に残る驚きのルートとは

数百年ぶりに開国し、世界との交流が始まった明治日本。当時、ヨーロッパの玄関口と言えば横浜港や神戸港でした。インド洋を越えスエズ運河を抜けてヨーロッパへ至る長い船旅でした。

もう一つ、横浜と神戸に並ぶ重要な玄関口がありました。今回の主役「敦賀港」です。

今の敦賀港はそこまで大きな港ではありませんが、国際ターミナル港であった名残りや、国際交流の記憶が残されています。

何故、日本海側の敦賀港がヨーロッパの玄関口だったのでしょうか?

今回は敦賀の町を巡って、その謎を探ってきました。

敦賀とヨーロッパを結ぶ 3つのポイント

  • 祖国を追われ、敦賀港にたどり着いたヨーロッパ人
  • 福井出身のシェフがヨーロッパ留学で生み出した料理
  • 北国一の港、敦賀のシンボルとなった摩天閣
目次

敦賀港ってどこ

敦賀港は北陸にありながら、京都大阪にも名古屋にも近いという絶妙な場所に位置しています。真南には琵琶湖があり、水運が主役の時代にはまさにベストポジションです。

港としても、西側にある敦賀半島が深い入り江を作り出している天然の良港となっています。

敦賀駅

敦賀駅

京都から新快速で1時間半、数年前に北陸新幹線が開業して、賑わいが増している感がある敦賀駅に到着。

関西から敦賀へは、以前と変わらず新快速か特急サンダーバードで乗り換えなしで行くことが出来ます。

ただちょっと面倒くさくなったなと思うことが一つありました。新幹線との乗り換えをスムーズにするためにサンダーバードの停車位置が新幹線ホームの真下に変更されたので、改札口からかなり遠くなってしまいました。

筆者は結構重い折り畳み自転車を担いできたので、出口が遥か遠くに感じてしまいました。しかし、新快速だと以前の通り地上のホームに到着してくれます。

なので、敦賀に用事がある時は新快速、新幹線に乗り換える時はサンダーバードにすると無駄に歩かずに済みます。

敦賀駅

北陸新幹線の終点となり、再び敦賀は「交通の要衝」として復活しつつあります。しかし、昔の敦賀の重要性は新幹線の終点レベルではありません。

明治~昭和にかけて、ここがヨーロッパへの玄関口となっていたのです。

どうやって敦賀からヨーロッパへ行ったのか、その足跡を辿ってみます。目指すはパリ、ロンドンへ。

敦賀港線

敦賀港線跡

敦賀駅から線路沿いに行くと、線路から伸びる不思議な空き地がありました。

敦賀港線跡

しばらく行くとレールが現れました。敦賀駅と港を結んでいた敦賀港線跡です。現在は廃線となっていますが、2009(平成21)年まで貨物列車が行き交っていました。

日本の鉄道ではかなり古く、1882(明治15)年に長浜~敦賀間とほぼ同時開業しました。

敦賀港線跡

日本の鉄道開業は、1872年の新橋~横浜からスタートしました。
2番目は1874年に大阪~神戸、3番目は1877年に大阪~京都と関東と関西から優先的に建設されました。

これらと同じく初期の計画として挙がっていたのが、琵琶湖畔から敦賀を繋ぐ路線でした。

何故、敦賀が関東と関西に並ぶ優先順位の高い路線だったのでしょうか?

その答えは琵琶湖にあります。当時の交通輸送は船と鉄道のハイブリッドでした。敦賀港と琵琶湖畔の長浜港を繋いでしまえば、大津港まで琵琶湖水運を使うことが出来ます。大津港からは再び鉄道で京都大阪へ。

敦賀~長浜間は、日本海側と京阪神を最短で結ぶためのピースの一つだったのです。

ランプ小屋

ランプ小屋

廃線跡を辿って行くと、港の手前に古いレンガ造りの建物がありました。ランプ小屋跡です。

明治の開業当初から現存している非常に珍しい建築物で、滋賀県の旧長浜駅と並ぶ日本最古の鉄道関連施設です。

ランプ小屋

ランプ小屋って何なんやって話ですが、明治時代はまだ電灯がそこまで普及しておらず、灯りは石油ランプを使用していました。

夜中の真っ暗な時間に列車を運行するためには、機関車や客車の車内はもちろん、信号機などにも石油ランプが必要でした。

ここで灯油の保管やランプへの注油を行っていて、当時の鉄道にとって超重要施設でした。

建設当時は横浜、京都に次ぐ3番目の大きさだったとのこと。やはり敦賀は重要な拠点だったということです。

ランプ小屋 屋内

当時の蒸気機関車に使われていたランプ。

緑と赤があるのは、ランプは着脱式になっていて色の組み合わせで、その列車の種別を表していました。

明治40年頃の敦賀

1907(明治40)年頃の敦賀の写真が飾ってありました。

写真の右端にあるのが敦賀港線の終点、敦賀港駅(当時は金ヶ崎駅)です。今の様にガントリークレーンがない明治時代では、荷物を運ぶ距離を出来る限り短くするため、駅と港が隣接していました。

港には沢山の白壁や赤レンガ倉庫が並んでいて、和洋が調和した素晴らしい港町の風景が広がっています。しかし、この風景は、第二次世界大戦の敦賀空襲によって破壊されてしまい、昔の建物のほとんどを失ってしまいました。

現在の敦賀港駅跡はどうなっているか見に行ってみましょう。

旧敦賀港駅跡

旧敦賀港駅跡

今も駅の名残があり、何本ものレールが残されています。

旧敦賀港駅跡

かなり年季のありそうな手動のレール分岐器。2009年まで敦賀港線は使われていたので、この分岐器もその時まで使用されていたのでしょうか。

旧敦賀港駅跡

木製の車止めって初めて見ました。明治時代は枕木を数本重ねただけのものが主流だったようです。

すぐ横には、当時の駅の関連施設を復元した建物が立ち並んでいるので、見に行ってみましょう。

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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