敦賀港歴史観光 かつてのヨーロッパの玄関口、敦賀に残る驚きのルートとは

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敦賀赤レンガ倉庫

敦賀赤レンガ倉庫

風格のある2棟の赤レンガ倉庫は、1905(明治38)年、ニューヨークスタンダードオイルカンパニーによって石油貯蔵用の倉庫として建設されました。国の有形登録文化財に指定されています。

館内は観光施設に改装され、手前がレストランやお土産物店、奥がジオラマ館となっています。

敦賀赤レンガ倉庫

2棟のレンガ倉庫は中で繋がっていて、ジオラマ館は通路の奥です。

人が誰もいないのは閉館時間ギリギリだからです。ジオラマ館が楽しすぎて、閉館まで居座ってしまいました。

以前来た時は、左の赤レンガcafeでSABAサンドを食べました。パンではなくトルティーヤで巻かれていてタコスみたいになっていました。結構、鯖がぎっしり入っていてタルタルソースとの組み合わせがgoodでした。

ジオラマ館(2階展望デッキより)

館内に入ると、倉庫の端から端まで占める巨大ジオラマが目の前に現れました。

全長約27m、奥行き約7.5mで、大きさとしては京都鉄道博物館やジオラマ京都JAPANに軍配があがるかもしれませんが、町並みの精巧さはこちらが上だと感じました。

町並みは明治~昭和初期の敦賀の姿を再現してあり、こちらの方が大人向けなのかもしれません。

ジオラマ館

1910(明治43)年に完成した2代目敦賀駅。初代敦賀駅は気比神宮のすぐ東隣にありました。

2代目敦賀駅は当時、北陸最大のターミナル駅でした。

敦賀の町並み

木造家屋と洋館が入り混じった町並み。洋館は最先端の象徴でした。

先ほど訪れた大和田銀行本店が、写真の真ん中でやたら目立っています。目を引く白漆喰の4階建ては敦賀のランドマークって感じがしますね。

氣比神宮

氣比神宮では毎年9月に行われる氣比の長祭が行われています。山車の巡幸まで再現していて、芸が細かい。

敦賀港線

もちろん、敦賀港線は現役で活躍中です。

敦賀港駅

夜の敦賀港駅。数分おきに昼と夜が入れ替わる様になっています。芸が細かい。

当時は駅のすぐ横に船着き場があって、列車と船で対面乗り換えが出来る様になっていました。

2棟の赤レンガ倉庫も再現されています。

ジオラマ館

敦賀の次は南今庄のはずですが、謎の行き止まりの駅が作られています。

現在のハピライン(旧北陸本線)は敦賀駅を出ると、木ノ芽峠を長大な北陸トンネル(13870m)で一気にぶち抜いて、南今庄駅に達します。

しかし、1962(昭和37)年に北陸トンネルが開業する前は山を上り下りして越えていました。そのため、隘路である木ノ芽峠を避けて海岸に近い山中峠を通っていました。山間を縫って進み、4ヶ所のスイッチバックと最大25パーミルの急勾配がある北陸本線最大の難所となっていました。

ここはスイッチバックの一つ山中信号所(信号所なので駅は無かったはずですが)。

鳩原ループ線

鉄道ファンにはお馴染みの鳩原ループ線。敦賀の南側、滋賀県との県境にも険しい峠があり、急勾配と急カーブの連続でした。そこで勾配緩和の為、上り線にのみ衣掛山にループ線が作られました。

しかし、よく考えると鳩原ループ線が出来たのは1963(昭和38)年なので、まだこの時はなかった気が。

こうして見てみると、敦賀は険しい山に囲まれており陸路では到達困難な場所であることが分かります。しかし、港としての重要性、北陸への玄関口、京都大阪との繋がり、琵琶湖の水運、東海道本線との近さなど数多くの地理的利点があるため、先人たちは苦労して敦賀への道を切り開こうとしました。

ジオラマ 全体マップ

よく見ると、鳩原ループ線なんか問題にならないくらいの時代のズレがありました。松尾芭蕉が一句詠んでおられます。ここで細かいことを突っ込むのは野暮というもんです。

「月清し 遊行のもてる 砂の上」

「昔、遊行(一遍上人)が運んできた白砂の上に、澄み切った月が輝いている」の意。

いっそのこと一遍上人も置いとこか。

キハ28系

屋外にはキハ28系が保存展示されています。キハ28系は1968(昭和43)年に製造された急行用のディーゼルカー。

蒸気機関車が完全に姿を消し、全て電車やディーゼルカーに移行した時代に登場した車両。

小浜線の急行わかさ(小浜線に急行が走っていたことに驚き)の他、急行「丹後」「但馬」で活躍していたとのこと。

2000(平成12)年に廃車となった後は、白浜のアドベンチャーワールドで展示されていましたが、解体が決定され、それを惜しんだアチハ株式会社(大阪の運送会社)により保管されていました。
その後、2017(平成29)年に行われた「つるが鉄道フェスティバル」でアチハ株式会社の協力の元、キハ28系の展示が行われました。この時、昔の小浜線を懐かしむ市民の声などがあって、鉄道遺産として残すため敦賀市が取得し、展示されています。

明治の敦賀は鉄道と港のハブ機能を持つ、交通の要衝の町でした。それが国際航路の消滅、鉄道から車への変化、新幹線のルート外などで、勢いを失ってしまいました。
しかし、敦賀の長い歴史の中ではここ最近の僅かな時間の変化にしか過ぎません。敦賀は古代から交通の要衝としての歴史がある町。長い歴史の中で社会の変化によって栄枯盛衰を繰り返してきました。
2024(令和6)年、遅まきながら敦賀に北陸新幹線がやってきました。また敦賀が変わる時がやってきたのです。次はどんな風な敦賀になるのか、色んな想像をしながらサンダーバードで帰路に着きました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

敦賀港 Googleマップ

敦賀港 アクセス

公共交通機関🚃🚌
・JR敦賀駅下車
・ハピラインふくい敦賀駅下車

車🚗
北陸自動車道 敦賀ICより約7分

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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