旧敦賀港駅(敦賀鉄道資料館)

旧敦賀港駅は当時の場所から少し離れたところに復元されています。
敦賀港駅は、1882(明治15)年に敦賀に鉄道が開通した時に開業。当時の名称は金ヶ崎駅で、1919(大正8)年に敦賀港駅と改称。
東京を出発した欧亜国際連絡列車は敦賀港駅に到着し、この駅で鉄道から船に乗り換えていました。
洋風やけど木造という、明治時代独特の擬洋風建築。1999(平成11)年に復元され、敦賀鉄道資料館になっています。

完全再現されているわけではないですが、床は板張りになっていて当時の雰囲気が感じられます。
灯油ストーブ(多少現代的ですが)が、当時の雰囲気っぽくていいですねー。

トワイライトエクスプレスの機関車、EF81系を発見!
大阪~札幌を22時間かけて走破する豪華寝台列車でしたが。残念なことに車両の老朽化や北陸本線の三セク移行で2015(平成27)年に廃止となった。
今のトワイライトエクスプレス瑞風の様に観光特化仕様ではなく、隔日で運行している定期寝台列車の一つでした。子供の頃からの憧れやったのに、結局一回も乗らずに無くなってしまった😢
大阪駅を11時50分に出発し札幌駅に9時50分頃に到着するという、関西在住者にとって使いやすい時間設定でした。それが今は、関西を日が昇らん時間に通過するサンライズしかないとは…。誰にとってのサンライズやねん。
大阪発九州行きとかあっても良いと思うけどなー。

敦賀港が国際貿易港となったときは、敦賀に天の時、地の利が舞い降りていました。ウラジオストクとヨーロッパを繋ぐシベリア鉄道が開通し、その地形は古来からの天然の良港で交通の要衝です。
しかし、ことを成すにはそれだけでは足りません。3つ目が人の和です。
敦賀の大商人にして大和田銀行の創業者、大和田荘七は敦賀港の港湾整備に尽力し、国際貿易港とするべく運動を行いました。
天地人の三条件が揃ったことで敦賀は国際貿易港に指定され、日本海側有数の港となったのです。
昭和に建てられた大和田銀行本店は、数少ない当時の敦賀の栄華を物語る現存建築で、今は敦賀市立博物館となっています。今回のテーマにピッタリなので後で行ってみます。

欧亜国際連絡列車の時刻表が展示されています。細かいところまでは読み取れませんが、大陸に渡るルートは敦賀ーウラジオストクの他に下関ー釜山ルートがあったみたいですね。
ただ、下関ー釜山は満州を越えるのが複雑で、最短ルートとしてはやはり敦賀ーウラジオストクに軍配があがるようです。

欧亜国際連絡列車を利用した人は数知れません。
歌人与謝野晶子、小説家林芙美子、松岡洋右外務大臣、ストックホルムオリンピックに参加した金栗四三ら日本選手団などの日本人だけでなく、探検家アムンゼン、喜劇王チャップリンらの海外の著名人も利用しました。
林芙美子は小説「シベリヤの三等列車」や「下駄で歩いた巴里」でその旅路の過酷さや列車内の人間模様を描いています。機会があれば読んでみたい(読んでへんのかい)。
次は先ほど登場した大和田銀行本店に行ってみます。敦賀の近代化の象徴といえる建物で、空襲に耐えその姿をとどめています。
旧大和田銀行本店(敦賀市立博物館)

次に訪れたのが、ジオラマにもあった旧大和田銀行本店です。
1927(昭和2)年に竣工し、鉄筋コンクリート造りの地上3階地下1階の建物は、群を抜く高さで「摩天閣」と呼ばれました。
大和田銀行は1945(昭和20)年に三和銀行に合併され、その歴史に幕を閉じました。建物はそのまま三和銀行敦賀支店に引き継がれましたが、1962(昭和37)年には三和銀行が撤退し、福井銀行敦賀港支店となりました。その後、1977(昭和52)年に敦賀市に寄贈され、翌年に敦賀市立歴史民俗資料館(今の敦賀市立博物館)としてオープンしました。

館内に足を踏み入れると、いきなり高級感漂う空間が。カウンターは大理石で出来ているそうです。今の殺風景な銀行からは考えられない豪華さ。
高級感や豪華を演出することで、この銀行は潰れないという安心感を伝えようとしていました。また建築素材に煉瓦や鉄筋コンクリートが使われているのは、「顧客の資産を火災から守る」という意味がありました。大量の紙幣を扱う銀行にとって防火性は、最重要事項でした。

カウンター内には様々な展示物がありました。ガラスケースは撮影禁止で、何が展示されていたか忘れてしまいました。
1階の天井は他の階よりも高くしてあり、白漆喰の格天井になっています。一つの格間ごとに照明が吊り下げられています。

大理石に赤カーペットが敷かれた階段って…。ここは宮殿ですか。いくら安心感を与えるからといって、ここまで豪華にする必要ってあるか?

銀行の心臓部ともいえる大金庫。本来は特定の人間しか見られない金庫内を見られるって、かなりのレア体験。
大金庫内にはキャスター付きの金庫があり、当時のものらしいです。
上部にある小さな扉は、下の扉が開かなくなった時のため、予備の扉だそうです。
扉が2つもあるって、防犯的には大丈夫なのか。ルパンとか怪盗キッドあたりやったら突破しそうな気がする(笑)。

どこかの常務が土下座させられていそうな貴賓室。
当時、使用されていたモノを忠実に再現してあり、中でもテーブルとソファーは当時のものらしいです。
「やれー!大和田ー!」。

特に見どころの一つが、このエレベーター。
1925(大正14)年に製造された、北陸初のエレベーターでした。扉は手動で開け閉めする蛇腹式で、運転手が同乗して操作をします。当時の敦賀が最先端を行く港町であったことを感じさせてくれます。
ちなみに筆者は、現在も稼働している日本最古のエレベーターに乗ったことがあります。京都の四条大橋にある中華料理店「東華菜館」では、1924年製造のエレベーターが現役で稼働しています。店で食事をすると乗車できます。

3階にある広い展示室は、当時は市民に開かれた集会所兼公会堂として利用されていました。
創業者の大和田荘七は敦賀の発展に力を尽くした人物で、この本店を建てる際も、銀行としての機能だけでなく市民のための公会堂の他、地下にレストラン、屋上にはビアガーデンがありました。
一般的には日本初のビアガーデンは1953年、大阪の梅田にオープンした「ニュートーキョー大阪第一生命ビル店」といわれています。
おそらく、大和田銀行のビアガーデンは店的なモノではなく、集会所に付随した屋上でビールを飲む場だったと思います。それでも、大阪より四半世紀も前に屋上でビールを楽しむ文化があったことは、ハイカラな敦賀の象徴だったと思います。

4階の屋上まで登ってきました。当時は敦賀でもトップクラスの高層ビルでしたが、今では右の方にあるマンション?のほうが高く海の景色を遮っています。
新しい建物のせいで景色が遮られた。どこぞの事件物のアニメやドラマの犯人を思い出してしまう。景色を遮られただけで爆破や人殺しをするってどういうことやねん。
変わってしまった現実は受け入れて、古き良き敦賀の風景をジオラマで再現している施設があるので行ってみましょう。
