江戸時代の宿場町は日本全国にありますが、当時の町並みが残されているところは多くはありません。運よく残されている宿場は、鉄道のルートから外れた行きづらい不便な立地となっています。
当時の町並みが保存さていて、且つ鉄道で行きやすいという奇跡の両立を果たしいている宿場町を見つけました。それも3カ所も。
姫路と鳥取を結んでいた旧因幡街道にある宿場、「平福宿」「大原宿」「智頭宿」です。
第三セクターの智頭急行が因幡街道沿いを走っているので、鉄道でのアクセスが抜群です。
智頭急行は山陽と山陰を結ぶ路線と一つとして明治から計画があった路線ですが、国鉄の経営状況から長い間計画が頓挫していました。そこで、自治体が立ちあがり計画が動き出し、第三セクターとして1994年に開業しました。
かなり新しい路線のため、ほとんどが高架とトンネルで建設されていて、ディーゼル特急が爆速で山々を駆け抜けています。
今回はその一つ、岡山県美作市にある大原宿を巡ってきました。
大原宿ってどこ
大原宿は山陽側と山陰側の間の山間部に位置しており、因幡街道のほぼ中間地点にあたります。
因幡街道は長らく鉄道ルートから外れていた街道なので、岡山県の大原宿、鳥取県の智頭宿、兵庫県の平福宿の三宿場は昔の町並みが良く残されています。
今回はその第一弾、大原宿を見て回ります。
更に大原宿について調べていると近くの街道沿いに、ある浪人の生まれ故郷があるらしいので、そちらにも足を延ばしてきました。
さてその浪人とは誰なのかーー答えは記事の最後で紹介します。
大原駅

智頭急行が開通し便利になった因幡街道。関西圏からは京都発鳥取方面行の特急「スーパーはくと」で乗り換えなしで行くことが出来ます。ディーゼルカーが東海道本線内を爆走するのがかなり面白いです。
スーパーはくと、岡山県内で唯一の停車駅である大原駅で下車。
駅舎はおそらく本陣をイメージしたもので、古い宿場の雰囲気に合うデザインになっています。
宿場町は駅からすぐ近くです。まずは入口である土居跡に行ってみましょう。
因幡街道 大原宿

駅前の道を真っすぐ行くと、ちょうど大原宿の北の入り口である土居跡にたどり着きます。
多くの宿場の入り口には両サイドに盛り土がしてあり、道には木戸が設けてありました。その名残は特に残っていませんが、道が石畳になっていて宿場に入ったことが分かる様になっています。

大原宿の北側です。因幡(鳥取県)から志戸坂峠を越えた因幡街道は、坂根宿を過ぎ大原宿にたどり着きました。
因幡街道は多くの部分が国道373号線となっていますが、この辺りでは国道と分岐して旧道が残されています。

少し進むと、伝統建築が立ち並び電柱は地中化された整然とした町並みが現れました。
大原宿は重伝建地区ではありませんが、岡山県の町並み保存地区に指定されています。
大原宿は播磨(兵庫県)と因幡(鳥取県)を結ぶ脇街道の宿場町の一つとして、古くから町が形成されていました。
室町時代には赤松氏の家臣である小原信明が領主となり、街道東側の山に小原城を築城しました。地名が先か人名が先かは分かりませんが、当時は「小原宿」と呼ばれていました。

その後、幾度かの城の奪い合いがあった後、入城したのが新免貞重です。居城を街道の南西にある竹山城に移したことで、小原城下は古町と呼ばれるようになりました。
新免といえば、新免武蔵(しんめんたけぞう)を思い出しました。宮本武蔵の幼い頃の名前です。バガボンドでは父親が新免無二でした。
新免氏は美作国吉野郡(今の美作市)を領した一族。新免無二はその血縁だと言われています。

江戸時代には街道が整備され、大原宿には宿場町として本陣や脇本陣が設置されました。
山陰の大藩である鳥取藩池田家の参勤交代の経路となり、家臣700人以上が宿泊したそうです。
本陣、脇本陣

左側にある果てしなく続く長~い柵が本陣の敷地です。
今の建物は、寛政年間(1789~1801)に建てられたものだと言われており、200年前の本陣が残っているのはかなり珍しい。
大原宿の本陣は1761(宝暦11)年、有元家が命じられて明治まで務めていました。「有元家」は美作東部でよく見かける名字の様で、美作では由緒ある家となっています。
遡ると菅原道真の子孫で、美作菅家七党と呼ばれる武士団の一員でした。戦国時代の美作は周囲の大名からの草刈り場となり、山名もしくは赤松から尼子、宇喜多と移り変わっていきました。最後に属したのが運の悪いことに関ヶ原の敗戦組となった宇喜多秀家だったので、主家の所領没収に伴い有元家は武士を捨て野に下りました。
時代に翻弄されながらも、美作の地にしっかり根を張っており、菅家七党の子孫と称する家は他にもたくさんあるとのこと。一所懸命って言葉を体現する武士って感じですねー。

玄関は入母屋屋根の車寄せになっていて、威厳と格調高い雰囲気を出しています。是非とも、中を見てみたいですが、見学は不可となっている様でした。
御成門は見学出来るとありましたが、5人以上で一週間前の予約が必要とのことでした。ルイーダの酒場で即席5人パーティーを組んでも無理ってことやん😢。イベント発生条件が厳しい!

こちらが脇本陣。建物が全く見当たりません。
解説によると、主屋を奥の方にし前庭を広くとることで格式を強調しているとのこと。庭は回遊式庭園で水琴窟が残っているとありましたが、中に入ることは出来ない様でした。庭くらいは見せて欲しいな。
門は長屋と門が合体した長屋門になっていて、使用人や門番の詰め所となっていました。大原宿で唯一の長屋門です。
大原宿の建物

大原宿の建物には幾つか特徴があります。大原宿では江戸時代に4回もの大火災が発生したことから、防火を意識した建物造りを行ってきました。
一つは「袖壁」です。ここでは「火返し」といい、2階の両端に付けられた壁のことです。袖壁は他でもよく見かけますが、こんな不思議な意匠の袖壁は初めてです。防火の願いを託し、水を呼ぶ雲をイメージしているとのこと。
もう一つは「なまこ壁」です。壁に瓦を張り付け、隙間に漆喰で塗り固めた壁のこと。瓦は水平に張る工法もありますが、X模様が並んで見える斜めに張る工法の方が一般的です。瓦を張り付けることで防火・防水・耐久性に優れています。同じ岡山の倉敷美観地区が有名ですね。
あと、屋根が外壁よりも大きく突き出しています。これは出桁造りといって、雨風や日差しから守るための手法です。全国の町屋建築でよく見かけますが、大原宿のは見栄えを良くするための飾りとして採用されているとのことです。

この建物も「火返し」と「なまこ壁」があります。
ここは、築100年の民家をリノベーションしたワークショップとなっています。ゲストハウスもやっていて宿泊することも出来るみたいです。

店の前にはこんなパネルがありました。
映画「風の奏の君へ」のロケ地として使用された様です。見たことはないですが、ストーリー上で美作を訪れるシーンがあるみたいです。

古民家を利用した喫茶店「あんこやぺ」。店名どおり、あんこを使ったスイーツがウリ。
ここも映画「風の奏の君へ」のロケ地になったみたいです。
ここは比較的新しい感じがするので、火返しとなまこ壁がついていないですね。

京都の町屋と違い、どの町屋も横幅が広くとられています。
現代建築でも、都会の住居は密集してせせこましい感じですが、郊外のは庭があり建物が重厚な感じで、迫力があるような気がします。
ここもリノベ系のお店。レストラン&カフェ「OHAYO」。大阪から移住した若いシェフが経営されているよう。

消防団庁舎も伝統建築風になっていました。火に強いなまこ壁と白漆喰壁、表には〇に消の水桶が置いてあります。
今も江戸時代の様に、水桶をバケツリレー方式で火消しをされているんでしょうか(そんなわけあるかい)。

脇本陣に引き続き長屋門がありました。ここは休憩所になっていて、門は新しく作られたもののようです。
大原宿の道しるべの横に「夢街道ルネサンス」という石碑がありました。昔流行った髭男爵でしょうか。誰が覚えてんねん(笑)。

もちろんそうではなくて、昔の風情が残っている中国地方の街道と宿場町の魅力を伝える取り組みとのこと。世界遺産の中国地方宿場町バージョンみたいな感じかな。
宿場町好きとしてはこれは嬉しいです。今後の宿場町巡りの参考になりますね。

白と黒のシックな町屋建築の中で、ちょっと浮いている擬洋風建築。何故、ピンク?
大正年間に建てられ、中国銀行大原支店として使われていました。中には当時の金庫が残っているそうです。
今は行政司法書士事務所が入っている様です。

