慶雲館

旧長浜駅前の道を挟んだ向かい側に明治天皇の行在所(休憩所)、「慶雲館」があります。
1886(明治19)年、明治天皇皇后両陛下が京都行幸を終えその帰路、大津から船に乗り長浜駅で列車に乗り換えられるルートがとられました。
しかし、長浜には両陛下を迎えるのにふさわしい休憩施設がありませんでした。
そのことを知った長浜の実業家「浅見又蔵」は、わずか3ヶ月あまりの急ピッチで慶雲館を建てました。到着される当日に完成したほどの慌ただしさだったそうです。耐震性とか大丈夫やったんか?
行在所(休憩所)として利用していただくため、旧長浜駅の正面に建てられました。

門をくぐると、建物は見当たらず木々で生い茂った広い庭が奥の方まで続いていました。

進んだ行く先には、超巨大燈籠が待ち構えていました。すごい絶妙なバランスで成り立ってるなー。上の部分は固定されてんのかな?
高さは5メートルあり、マジで見上げるレベルです。
慶雲館にはたくさんの巨石がありますが、ほとんどが大津から船で運んできたものらしいです。

庭の中にも門があり、その手前には橋もあって、いよいよ本館ゾーンに入ります。
慶雲館と言えば、山梨県にある世界最古の旅館「西山温泉 慶雲館」を思い出しました。705(慶雲2)年に創業したことから慶雲館と名付けられました。
慶雲とは天に瑞雲が現れめでたい出来事が起こるという意味。こちらの慶雲館も明治天皇の行幸を祝福する意味を込めて、随行していた伊藤博文によって命名されました。

ようやく玄関に到着です。
総ヒノキ造の2階建てで屋根は寄棟造りになっています。玄関には切妻造りの車寄せが付けられています。車寄せの妻壁には高級な意匠とされる木連れ格子となっています。
ここからは入館料がかかります。

玄関をあがり部屋の奥へ進むと、緑豊かな庭に面した大広間が広がっていました。
部屋の中にはアート作品が展示されていました。常に何らかの企画展をやっているみたいで、この時(2026年8月1日)は「和紙と現代アートの共鳴」でした。
1月~3月には毎年恒例の盆梅展が開催され、梅の盆栽がズラリと並ぶ様です。
部屋数はそこまで多くはなく、メインはこの大広間となっています。突貫工事だけあってあまりごちゃごちゃと、部屋を増やせなかったのかも。

2階に上がってきました。同じ位置でも高さが違うと、外に見える庭の雰囲気が違って見えます。
あと、天井の照明が1階とぜんぜん違います。梅の花を形どったデザインだそうです。明治の人はセンスが良いですね~。

内閣総理大臣犬養毅による大書「天行健」。大自然(天)の運行は休むことなく健全に規則正しく動き続けているとの意。
犬養毅は書や漢詩が得意で、書道家としてたくさんの作品を残しているとのこと。明治の政治家って書道が上手い人が多いイメージがありますね。

「終点が玉座の間とは上出来じゃないか」
大広間には両陛下をお迎えするための玉座の間がありました。庭の方向に向けられていて、当時は伊吹山や琵琶湖が一望出来たそうです。
それにしてもいつも思うけど、畳に西洋式椅子ってミスマッチ感がハンバない気がする。
江戸時代以前のように、一段高い床に畳を重ねた感じか京都御所の高御座が日本的でいいと思うけどなー。
ちなみに両陛下がここで過ごされたのは、長浜港に13時前に到着し、列車が駅を出発する13時45分までの僅かな時間でした。後にも先にもこの一回だけで、その後は迎賓館として使用されました。

外には美しい庭園が広がっていますが、琵琶湖なんかかけらも見えません。
この庭園は両陛下が来られた時はまだ無く、1912(明治45)年、慶雲館建設25周年を記念して作られました。
作庭したのは近代日本庭園の先駆者「七代目小川治兵衛」。無鄰菴や平安神宮神苑、円山公園など挙げればキリがないほどの京都の有名庭園を手掛けた名庭師です。

前庭には巨大な石灯籠が印象的でしたが、こっちの庭園には灯篭や石塔、枯流れなど芸の細かい石組が見られます。
枯流れとは水を流さずに石や砂利を敷いて水の流れを表現する手法です。

庭園から慶雲館を見ると、屋根がてっぺんから隅角に向かって降りているのがよく分かります。正面から見ると台形に見え、これを寄棟造りといいます。

玄関側は窓は少なく白漆喰の壁になっていましたが、庭側は庭がよく見える様に全面を窓ガラスになっています。
大きなガラスを作れなかった時代特有の細かく桟が入った窓ガラスになっています。端から端まで並んでいて壮観です。
1階は透明のガラスですが、2階は中心部を透明ガラスにし周りをすりガラスにしてあります。デザインのためか理由はよく分かりません。

石にこだわっているだけあって、手水鉢も巨大です。よくこんな石を見つけてきたなー。

手水鉢からは石畳が続いており、その先には茶室があります。茶室は慶雲館と同時に建てられました。
当時は四畳半でしたが、2000(平成12)年に十畳余りの広間に改修されたそうです。
あと最後に庭園の中に面白いスポットがありました。

いかにも昔、何かあったような空間があります。かつてこの場所には「望湖亭」という四阿がありました。
向こうには川と民家が見えるだけでどこが望湖亭やねん!
当時は米川が今より広く(長浜港のために拡幅)、ここから琵琶湖を望むことが出来ました。

近くの案内板に当時の写真がありました。白黒で少し見づらいですが、望湖亭の先には米川の広い河口があり、その向こうに琵琶湖が広がっています。
両陛下が訪れた時は庭園はまだありませんでしたが、迎賓館として多くの方が訪れこの景色を堪能したことでしょう。
鉄道連絡船は廃止となり交通の要衝としての地位は米原駅に移りました。しかし、長浜には城下町、宿場町、門前町、港町としての歴史があり、県内屈指の観光都市として年間600万人を超える観光客が訪れています。
交通の要衝ではなくなりましたが、観光都市という5つ目の顔が新しい長浜の魅力になっています。
観光促進のため、長浜の人は京阪神を走っていた新快速を長浜に延伸させることをJRに要望しました。1991(平成3)年、新快速が長浜に延伸されました。その効果は絶大で観光客の増加だけは無く、長浜が京阪神への通勤圏となり人口も増えました。
城下町、宿場町、門前町、港町、4つの特徴を持つ長浜はその強みを生かすため、交通の変化をいち早く商機と捉えてきた町でした。

長浜巡り2 Googleマップ
長浜へのアクセス
公共交通機関🚃🚌
JR長浜駅下車
車🚗
北陸自動車道長浜ICから車で15分ほど
