長浜歴史観光1 城下町・宿場町・門前町・港町、4つの顔を持つ多様の町

滋賀県の湖北地方、琵琶湖の東岸に位置する長浜。

始まりは羽柴秀吉が築いた城下町で、江戸や明治の伝統建築が建ち並ぶ黒壁スクエアが人気の観光都市です。

しかし、長浜の魅力はそれだけではありません。長浜城の城下町、北国街道の宿場町、大通寺の門前町、琵琶湖水運の港町という4つの顔を持ち、今もそれら全てが残っている稀有な街なのです。

何故、長浜は4つの顔をもつ町になったのでしょうか?

その謎を町を巡って探ってみました。今回はその前編で、城下町と宿場町を掘り下げていきます。

目次

長浜ってどこ

長浜は滋賀県の北部、琵琶湖の東岸に位置しています。

琵琶湖に面した港町でもあり、北陸方面に伸びる北国街道の宿場町でもあります。かつては東海道本線が長浜に来ていたこともありました。長浜を理解する上で、交通の変遷はポイントの一つです。

長浜駅

長浜駅

京都駅から新快速で1時間10分ほどで長浜駅に到着。橋上にレトロ駅舎が乗っかっている、新しい様な古い様な不思議なデザイン。

40年前は米原止まりだった新快速が、長浜、近江塩津と延伸され、滋賀県内はどこでも乗り換えナシで行ける様になりました。

長浜駅の開業は、滋賀県の中でもかなり古い1882(明治15)年。しかしその当時、京都駅からは新快速一本どころか鉄道で行くことが出来ませんでした。駅があるのに行けへんってなんでやねん?

その答えは、長浜の歴史に隠れされていました。まずは城下町としての長浜を見て行きます。

長浜城跡

長浜城

駅のすぐ横にある長浜城。堀も曲輪も無く入口からいきなり天守閣が見えています。

実は長浜駅に着いたその時から、既に長浜城内に入っていたのです。

長浜城の範囲は、琵琶湖から駅の東側を含むほどの広さがありました。今でも外堀が残っているので後で見に行きます。

長浜城

長浜城の築城は1575(天正3)年。元々は今浜という地名で、織田信長から湖北地方を与えられた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が長浜と改めて、城と城下町の建設にあたりました。

長浜城

長浜が城下町であった期間は意外に短いものでした。秀吉が長浜を治めたのは10年程で、その後は山内一豊に与えられ、一豊が掛川に転封となると城主不在となりました。

関ヶ原の戦いの後、長浜藩が置かれた時期もありましたが、間もなくして井伊家の彦根藩の領地となり、長浜城は廃城となりました。その際、城の建材や石垣などが彦根城に転用されました。

現在の長浜城は1983(昭和58)年に建てられた模擬天守で、石垣もその時に再建されました。当時の位置とは少しずれた場所に立っているようです。

図面や資料が残っていないため、同時期の犬山城や伏見城をモデルにしているとのこと。中は歴史博物館になっています。

長浜城天守閣跡

模擬天守の西側に小さな高台がありました。上に何か立っているのが見えるので、見に行ってみましょう。

長浜城天守閣跡

おや、太閤殿下ではないですか。何故こんな目立たないところにいらっしゃるのか。

そうなんです。石碑にあるようにこの高台が当時の長浜城天守閣があった場所なんです。

何故か秀吉像は衣冠束帯の関白時代のもので、伏見城の方向を向けて立てられているそうです。いやそこは、秀吉が長浜城主であった40才くらいにして、城下町を見守る様な感じの方がいいのでは?

国守神社

銅像のすぐ近くには、小さな神社がありました。

江戸時代からあったそうで、当時は稲荷神社と呼ばれていました。長浜の町年寄によって守られてきました。

天守からの景色 西側

天守閣に登りました。最上階からは琵琶湖の景色を一望できます。木々が視界を遮っているのが残念なところ。

天守からの景色 北側

城の北側は、天守の足元近くまで宅地化されてしまっています。当時はどのようになっていたのでしょうか。

今とはまるで違う景色が広がっていました。

城の入口に当時の城と城下町を描いた絵図がありました。

長浜城復元図

なんやこれはー!。あまりの違いに目を疑うレベル。

イタリアのベネチアや中国の蘇州の如く、まるで琵琶湖の中に城と城下町が浮かんでいる様です。

今の長浜も十分に素晴らしい歴史観光都市ですが、これが失われてしまったのは惜しすぎます。

今も残っているところはないのか、一縷の望みをかけて名残を探しに行きます。

太閤井址

琵琶湖に突き出し石で囲まれた不思議な空間に石碑が立っています。

逆光で文字が見えませんが「太閤井址」と刻まれています。1939(昭和14)年、その年の夏は雨が降らず琵琶湖の水位が下がっており、土の中から厚さ3㎝の木の井戸枠が発見されたそうです。

おそらく秀吉時代の井戸跡とされ、太閤井の石碑が建てられました。

長浜城本丸跡

模擬天守のすぐ近くに、本丸跡の石碑がありました。

復元図でも描かれている本丸御殿があった場所です。

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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