長浜歴史観光1 城下町・宿場町・門前町・港町、4つの顔を持つ多様の町

目次

黒壁スクエア

大手筋

豊国神社から大手筋を進み外堀を越えた先がかつての城下町です。大手筋の先に商店街があって、同じ秀吉の城下町、伏見大手筋商店街に似ています。

左の角に飛び出し坊やいますね。誰かと思ったら秀吉公じゃありませんか。城でも神社でもなく、城下で飛び出しておられるとは秀吉公らしい。

黒壁ガラス館

この辺りはかつての札ノ辻で、町の中心部でした。その角に立つのが旧第百三十銀行、通称「黒壁銀行」です。明治時代の建築で、今は黒壁スクエアの中心施設「黒壁ガラス館」になっています。

付近には江戸時代から明治時代の建物が数多く残っていて、黒壁スクエアの愛称が付けられています。

北国街道

大手筋に交わる南北の道です。伝統的な建物が先の方まで続いています。この道が長浜の発展に寄与した2つ目の要素です。

中山道の鳥居本宿から北陸を通って信州の追分宿まで結ぶ北国街道です。分割される前のJR北陸本線や信越本線のルートになります。

長浜はその宿場町でした。

翼果楼

翼果楼

そろそろお昼ごはんに行くことにしました。黒壁ガラス館から少し南へいったところの「翼果楼」です。

ここは長浜の名物「焼鯖そうめん」で有名なお店です。長浜というより湖北地方の郷土料理で、若狭湾が近いため昔から鯖がよく食べられていました。

もう店じまいされている雰囲気ですが、マジで営業終了後です。

というのも黒壁スクエアが観光客で賑わっていて、ブログ用の写真が撮ることが出来なかったのです。そのため人が少なくなった夕方に撮影しました。

焼鯖そうめん

店頭にある食品サンプルです。肝心の焼鯖そうめんに鯖がありません。

「鯖を返して下さい」の張り紙がしてあって、どうやら誰かが鯖を盗んだようです。

お店の方は本当に困っているやろうし笑い事ではないんやけど、笑い話にしか思えへん。

並ぶときに100%目に留まるので、一度見たら印象に残る人も多く有名になっているみたい。逆に店の顔になってるまであるかも。

焼鯖そうめん

滋賀県名物がセットになった「お膳セット鯖街道」を注文。食品サンプルと違って鯖がちゃんと乗っています。当たり前やろ!

小皿には赤こんにゃくとえび豆煮、ご飯は近江米と滋賀県尽くしです。そうめんは出汁につかっているわけでも、ツユにつけるわけでもなく、鯖の煮汁で茹でたそうめんにポンと鯖が乗っているだけです。

そうめんにしっかりと煮汁の味がしみ込んでいてそれだけでも美味しいですが、鯖をほぐしながら一緒に食べると旨さ倍増です。

鯖を堪能したところで、昔から鯖が運ばれてきた北国街道の町並みを歩いてみましょう。

北国街道

太閤ひょうたん

秀吉の馬印と言えば千成ひょうたんですが、ひょうたんの専門店がありました。

店内にはシンプルな茶色のものから工芸品の様なものもあって、ひょうたんの博物館みたいでした。

ちなみに長浜市の市章は、秀吉にあやかってひょうたんの形をしています。長浜の秀吉愛が半端ねぇー。

鮨MAU

立派なうだつがあがっているお寿司屋さんを発見。明治時代は泉屋という貸衣装店でした。

今の鮨MAU(すしまう)は、数年前のオープンで本格的なお寿司のコース料理のお店です。ちょっと筆者には敷居が高すぎます。

今村重兵衛家

ここはかなりレアな家です。家主であった今村重兵衛は、町の年寄役(町の代表者)を出す十人衆の一人で、長浜開町以来の住民でした。今はもう住んでおられない様です。

十人衆で唯一現存している家だそうです。

長浜宿 北の入口

この辺りが長浜宿の北の玄関口で、旅人の目印として大きな石灯籠が設置されています。

江戸時代、高燈籠は目印というだけでなく、町の安全や旅の往来祈願など守り神として、町や村の入口に建立されていました。

朱印地境界石柱

近くには長浜の領地を示す石碑がありました。

秀吉が長浜を開いた当時、長浜町内か外かで大きな違いがありました。秀吉はなんと長浜町の住民に年貢免除の特権を与えたのです。秀吉が長浜で慕われている理由はこれだったんですね。

江戸時代、彦根藩になっても秀吉による年貢免除を追認しました。しかし長浜町全域ではなく、その免除範囲を示すための石柱が30本ほど設置されました。

この石柱は新しく復興したものですが、当時のまま残っているのが数本存在するらしいです。近くにその内の1本があるので見にいきます。

朱印地境界石柱

さっきの石柱から少し東へ行ったところにありました。明らかに古い感じの石柱です。

これって今も有効やったりして。んなこたぁない。ブラタモリっぽくなってきました。

では、北国街道に戻って南側の方も見に来ます。

焼鯖そうめんの翼果楼から北国街道の南を見ると、楼閣が頭一つ飛びぬけていました。

何やあれはと近づいてみても何の施設なのかよく分かりません。説明によると、浄土真宗の寺院「浄琳寺」の太鼓楼とありました。

どうみても普通の家の上に太鼓楼が乗っているだけにしか見えず、お寺なんかどこにもありません。これは寺の山門で、奥に本堂があるようです。いつ来ても門が閉まっていたので、分かりませんでした。

お寺っぽくなくて、町に溶け込んでいるのがいい雰囲気です。

北国街道

遠くに浄琳寺の太鼓楼、両側には白漆喰と黒壁の伝統家屋が並んでいて、古い街道って感じ。

黒壁スクエアはこの辺りまでですが、この先の街道沿いにもまだまだ風情のある町並みは続いています。

元長浜小学校

黒壁スクエアを抜けた瞬間、いきなり白い洋風の建物が現れました。

1874(明治7)年に建てられた、第一小学校(長浜小学校の前身)の校舎跡です。この小学校は、滋賀県で最初に小学校が建てられたので、第一となりました。のちに開知学校と改称。

現在、1階は2ndBOOZEというビアバーとなっています。

白忠

1階に細かい桟が入った出格子、2階の両サイドにはうだつと袖壁、汚れ一つない白壁に虫籠窓と町屋の見本のような造りです。

江戸時代の油商人、白木屋忠左衛門の住居で、江戸後期に建てられました。

平成になってリニューアルされ、今は「北国街道 お蔵の宿旅籠 白忠」となりました。旅館にしては狭く見えますが、京町家の様に奥に広い鰻の寝床スタイルになっています。

裏は米川に面していて、自前の船で商品の輸送もやっていました。

白忠

右の白忠と左の建物の塀を見比べてください。木の板の感じが全く違います。

白忠の方は琵琶湖の船の廃材を塀に転用したものとなってます。板に鎹が残っていて船の感じがあるのがいいですね。

この辺りはかつて下船町と言って、米川の川港があった地域でした。長浜での琵琶湖舟運の拠点で、滋賀県中のどこでも船で行くことが出来る一等地でした。

続きは長浜歴史観光2へ。次は門前町、港町を見て行こうと思います。

長浜巡り Googleマップ

長浜へのアクセス

公共交通機関🚃🚌
JR長浜駅下車

車🚗
北陸自動車道長浜ICから車で15分ほど

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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