宮津歴史観光 細川藤孝・忠興親子が築いた丹後一の港町・宮津を巡る 

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宮津の古い町屋

今林家住宅

茶六本館から西堀川通を少し下ったところに、なまこ壁の蔵と町屋が残る今林家住宅があります。

1816年に糸問屋を開業し、後に北前船経営に乗り出しました。

建物は明治の建築。奥の十字路から蔵に至るまで全部が今林家の持ち家で、さすが北前船経営者といったところ。

今は国の登録有形文化財になっています。

日本海の港町に行ったら、必ず一軒は北前船経営をしていた家がある。知らず知らずのうちに北前船の追っかけになってきたなー。

茶六本館から一筋西の路地は、特に伝統的な町並みが残っています。

右側は創業約300年の醸造所「袋屋醤油店」。非常に惜しいことに2020(令和2)年に廃業してしまった。

与謝野町のちりめん街道を巡った時に、丹後ちりめん商屋のすごい豪邸がありましたが、この醤油店も同じ尾藤家が経営元でした。

やはり宮津と与謝野町は密接な繋がりがありますね。

袋屋醤油店には、当時を感じれらる意外なモノが残っていました。

店の壁にある馬留めの金具です。

当時、運搬には馬や牛が使われていたので、店の横には馬を繋ぐ金具がつけてありました。

白柏町

西堀川通の東側の地区は、直線の道が交差する碁盤目状の町割りになっていましたが、西側に入ると、道は大きくカーブをし始めました。

この辺りは、カーブする海岸線に合わせた町割りがされています。海がそれだけ近いということですね。

曲線を描く道に白漆喰の町屋が続いている美しい雰囲気。

さっきの通りと同じように大きく右折していますが、海により近い分、さっきの道より曲線半径が小さくなっています。

左側の白漆喰の町屋は宮津屈指の商屋、三上家。8棟が国の重要文化財になっている宮津では必見の伝統建築です。

午後からは雨が続いていたので、ここを宮津巡りの締めすることにしました。

三上家住宅

元結屋 三上家住宅

三上家は、1776(安永5)年、元結(髪を結うこより)の製造販売を行っていました。その後、酒造りや糸問屋、北前船の廻船問屋と事業拡大を成功させ財を成していきました。

1783(天明3)年2月、城下町一帯を焼き尽くした宮津大火により、一度焼失。しかし、直ぐに再建され同年12月には、防火対策が施されパワーアップして蘇りました。主屋は、宮津城下町の町屋では一二を争う古さです。

白漆喰は火に強いですがかなり高価で、建物全体に施すのはかなり珍しい。恐怖体験が防火対策を高めたに違いありません。

ここは見学が可能となっていますので、毎度お馴染み豪商屋敷のお宅訪問と行きましょう。

三上家住宅

入ると入館料を払う受付があり、その先には土間のような空間が広がっています。

ここは酒造りの作業場で、酒米の洗い場でした。

土間

日本家屋の天井には屋根を支える垂木が組まれますが、一般的には横に平行に並べられます。

しかし、この天井の奥の部分は放射状に並べられています。

これを扇垂木といって、屋根の隅っこの部分にも耐久性を持たすことが出来る技法です。難易度は平行垂木より格段に難しく、職人技術の高さを表現しつつ見た目の美しさも追及したものとなっています。

釜場

土間には米を蒸す釜場があり、その奥には、

麹室

蒸した米から麴菌を育て繁殖させる麹室があります。

三上酒店 商品

まで銘柄は都小町がメインで、あと大天橋ってのもありますね。カタカナの字体が昭和って感じです。

どこで売っているのかと思っていたら、酒造業は1975(昭和50)年に廃業されていました。残念です。

手前が主屋で、奥が1820年に増築された新座敷。主屋との間には、蔵の様な土の防火壁と分厚い防火扉があります。

座敷の間に防火扉があるなんて聞いたことがありません。防火対策は内部にもしっかりと施されています。

ミセオク

角に出っ張りがあるせいで、半サイズの畳を入れています。これはわざとそうしているらしく、商売繁盛と半畳(はんじょう)をかけています。

かなり繁盛していたようで、廻船業では8隻の船を所有しており、宮津城下町で最大の船主でした。

実際の業務は、宮津城下町から少し東を流れる由良川の河口にある由良港の船乗りを雇い、船の運航や現地での取引の一切を任せていました。オーナーと雇われ社長みたいな関係かな。

その船頭の一人、加藤長助の航海日誌が残されていて、航海の行程や細かい取引記録を今に伝えてくれています。

入口とは別の入口がありました。筆者が入った入口に比べて相当格式の高い感じになっています。

1838(天保9)年、三上家は幕府巡検使の本陣に指定され、そのための玄関や唐門が作られました。

本陣とは大名など身分の高い人専用の旅館のことで、各宿場町に最低1軒はありました。それなりの格式が必要で、土地の有力者に任命されました。

ニワザシキ

三上家住宅で最も格式が高い部屋、「ニワザシキ」。

幕末には幕府巡検使、西園寺公望、明治には有栖川宮熾仁など皇族の方々も利用されました。

宮津藩御用庭師の江戸金の作庭。

町の中であるため、限られた空間を活用していて、ニワザシキの縁側の端から奥の茶室まで伸びる細長い配置。

ニワザシキに座ったまま全体を鑑賞できるように作られています。

三上家住宅 庭園

左奥は茶室で、手前には池と川、それにかかる石橋。右奥には築山と巨石を配置し、コンパクトでも近景と遠景に変化をつけています。

宿泊したお偉いさん方も、この庭を鑑賞したそうです。その庭園を拝観料を払うだけで同じ庭が見られるのだから、お得すぎます。

慶雲館の書

特に有栖川宮熾仁はニワザシキからの庭園の眺めを賞賛し「慶雲館」と名付け、書にしたためました。

三上家住宅

茶室に続く縁廊下。つくばいを配置するためか、廊下を曲げて空間を作り出している。

湯殿

茶室の途中にはお風呂場がありました。なんで風呂場? 窓は上の方にあって、庭を見ながら風呂に入る趣向でもなさそうやのに。

風呂場の横には厠(トイレ)もあり、ここは貴賓用のトイレとお風呂だったそうです。たった4人しか使ったことがないとのこと。

こういうのは、貴賓を招く家ではデフォルトの設備らしいですね。

茶室

茶室は家の一番奥にあり、日常生活や仕事を忘れられるような静謐な雰囲気で包まれていました。

光沢がする高そうな床柱は、カリンの木を磨き上げたものだそうです。

三上家 庭園

訪れた日は、邸内で七五三の撮影をされていました。愚図る子供を必死でなだめて、子供にとっては大勢の大人に囲まれ、ポーズを取らされ苦痛でしかない時間なんやろな。

三上家住宅は七五三の他にもフォトウェディング等の撮影会、作品などの展示場、ライブ会場等として活用されているとのこと。

写真はちょっと撮りづらかったけど、文化財を後世に残していくためにも、嬉しい活用方法ですね。

宮津の町巡りの行程はほとんど終えていたので、雨がしとしとと降り続ける庭園を見ながら、のんびりした時間を過ごしました。

運よく夕方になると晴れたので、近くの道の駅でお土産を物色し、最後に天橋立に戻って駅のすぐ横にある温泉「智慧の湯」でスッキリしてから、帰洛しました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

宮津巡り Googleマップ

宮津へのアクセス

公共交通機関🚃🚌
京都丹後鉄道宮津駅下車 徒歩15分ほど

車🚗
京都縦貫自動者道宮津天橋立ICから5分ほど

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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