今庄宿歴史観光 全ての道は今庄へ!?かつて交通の要衝だった今庄宿を巡る

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京藤甚五郎家

京藤甚五郎家

白駒酒造の社長宅、京藤甚五郎家

酒造業の他に脇本陣(藩の宿泊施設)に指定されていたので、京藤一家が暮らす主屋と大名などが宿泊する陣屋があった。

他の建物と違って土壁に覆われた土蔵作りになっている。屋根の両端には見事な卯建があがっており、完璧な防火構造となっている。

ここまで出来るのは酒造業や宿泊業で相当に潤っていたのだろうか。

囲炉裏には立派な自在鉤(じざいかぎ)が吊ってある。

囲炉裏がある部屋は天井が高くなっており、煙が貯まらないようになっている。

案内の方に伺ったが、煙を炊きだすことで、屋根の防虫防腐や柱や梁にすすを付着させることで耐用年数を高める効果があるとのこと。

レンガ造りである西洋建築と木造の日本家屋との違いが、煙突の有無に関係しているということか。

漢字の様なそうでない様な、分けがわからない文字が書かれた屏風。

説明によると書道の神様「書聖」といわれる王義之の息子・王徽之の漢詩らしい。

屏風の解説

作者の王徽之は役人として栄達していたが、辞職して田舎でひっそりと暮らすようになった人。

宮廷のネチネチした人間関係に嫌気がさして、竹の真っ直ぐで爽やかな感じに惹かれたってことだろうか。

日本でいうと西行法師や鴨長明っぽい。その気持ちは何となく分かる気がする。

床の間

床の間には日本地図の屏風が飾ってある。地図を床の間に飾るセンスがイカし過ぎ。

京藤さんも地図オタクだったに違いない。

芸術的な欄干

欄干には中国の水墨画の様な彫刻が施されている。右側の木は竹っぽい気がするので、屏風もそれに合わせているのだろう。

柱に残された刀傷

床の間の柱には刀傷あった。案内の方によるとこれは、幕末に宿泊した水戸天狗党が酒に酔った勢いでつけたものらしい。

なんちゅう迷惑な連中なんや。器物破損で水戸藩に突き出すべきやな。

幕末の水戸藩は藩内抗争が激化しており、天狗党はその中の一派。水戸から京都を目指して、今庄宿まで辿り着いた。

この後、結局は敦賀で追い詰められて投降し、捕まった。

橘曙覧の解説

堀口酒造の銘柄、鳴りひさごの短歌で紹介した橘曙覧に関する解説があった。京藤家に弟子がおり、ここに泊まったこともあるらしい。

橘曙覧の句で特に有名なのが、

たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 
     無かりし花の 咲ける見る時

この歌は平成天皇と皇后美智子様がアメリカを訪問した際、ビル・クリントン大統領が歓迎挨拶の中で引用したというエピソードがあり一躍、橘曙覧が注目されるようになった。

ここらで一息入れて、今庄おススメ飯の紹介をしよう。

そば処 おばちゃんの店

そば処 おばちゃんの店

福井県は越前そばが名物で、とくに今庄で作られた蕎麦は今庄そばといって、酒に並ぶ今庄の名物となっている

今庄の寒暖の差の激しさや山からの清冽な雪解け水は美味しいそばを育てるのに適しており、宿場には多くの蕎麦屋が立ち並んでいる。

今庄セット

福井県は厚揚げも美味しいと聞いたことがあったので、厚揚げとのセットを注文した。

そばは大根おろしでさっぱりしてて安定の美味しさだが、福井市や越前大野で食べたそばとの違いまでは分からなかった。

厚揚げが意外な美味しさ。ジューシーで豆腐がギュッと詰まっていて水で薄めていない感じ。

そば処 おばちゃんの店 食べログサイトへ

甘露梅肉

高野由平商店

今庄の隠れた名物、甘露梅肉を江戸時代から作り続ける高野由平商店

甘露梅肉は高野由平商店の一子相伝で受け継がれている商品でここでしか買うことが出来ない。

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解説によると梅干しとは違い、甘さ酸っぱさしょっぱさのバランスがよくてご飯だけでなくお肉やパン、サラダにも合うそう。

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こっちは紅梅液。甘露梅肉が凝縮された液で冷水で薄めてジュースにしたり、お酒で割ったりと色々な楽しみ方が出来るとあった。

本陣跡

本陣跡 公徳園

本陣跡は建物がなく公園となり、町の方々が雑談をしたり子供達を連れて散歩をしたりと憩いの場となっていた。

今庄を訪れたのは4月中旬で京都の桜はかなり散っていたが、今庄ではまだ咲き乱れていた。

北陸本線(ハピライン)に乗っていると、敦賀では雪が解けた後でも北陸トンネルを抜けて南今庄に着くと、「そこは雪国だった」と言う車窓をよく目にする。

雪や桜は今庄の冬の長さを物語っている。

本陣跡 公徳園

本陣とは大名や幕府役人の宿泊施設。江戸幕府により大名が江戸に出張する参勤交代が義務付けられたため、各宿場に設けられた。

本陣は大名家が懇意にしている土地の有力者に委託されることが多く、今庄宿では福井藩の大庄屋である後藤覚左衛門家が担当していた。

本陣跡 明治殿

本陣跡で唯一、残っているのが明治天皇が北陸巡行の際に宿泊された、行在所(あんざいしょ)

後藤家が移住して本陣が撤去された時、今庄の実業家であった田中和吉が御座所の間を残して、明治殿と名付けた写真の建物を建設し、周りは公園として整備をした。

田中和吉は今庄の偉人として、郷土の経済発展に力を尽くした人らしい。

田中和吉が郷土のために建築した建物は明治殿だけでなく、今庄宿の中でひと際異彩を放っている建物が残されている。

昭和会館

昭和会館

丁度、真ん中に木があるせいでせっかくの建物が隠れてしまっている😢

田中和吉が私財を投じて社会教育等の公共の利用施設として1930年(昭和5年)に建てた昭和会館

この日はサロンコンサートが開催されていて、和の大人の雰囲気が魅力の今庄に洋のエレガントな雰囲気がプラスされた感じだった。

筆者は見た目は大人、頭脳は子供なので、聴きに入る勇気が出なかった。

昭和会館

当時としてはかなり珍しい鉄筋コンクリート造りの3階建ての洋風建築。

宿場町としての役目が終わった昭和の今庄にも、時代の最先端を行く勢いを感じさせる。

多くの宿場町は鉄道の開通と共にその役目を終え往年の繁栄を失っていったが、今庄は昭和になっても栄えていた

その謎の答えが今庄駅にあったので行ってみる。

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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