今庄宿は福井県敦賀市の北にある山を越えた南越前町にある小さな宿場町。
今も江戸時代の建物が残り、重伝建地区になっている素朴な雰囲気の田舎町だが、かつては越前(福井県)で有数の繁栄をしていた宿場町だった。
敦賀や滋賀県の木之本宿からの街道の合流地点でもあり、多くの旅人で賑わっていた。
また今庄宿の南側には広大な南条山地が広がっているため、山を越える前も越えた後も、今庄宿で宿泊しなければならなかった。
しかし鉄道の開通後は多くの宿場町と同様に今庄宿も廃れていった。と思いきや、不思議な事に賑わいが続いていたのである。
今回は今庄宿の繁栄の謎を探りながら、かつての賑わいの面影を巡ってみた。
今庄宿 繁栄の3つのポイント
- 敦賀と今庄宿の間に立ちはだかる大山脈
- 今庄宿で合流する2つの道
- 山越えの準備は人だけでなく鉄道も
今庄駅
京都から新快速に乗って約1時間半で敦賀へ。そこからハピラインふくいに乗り換え約15分で今庄駅に到着。
駅舎は2017年(平成29年)にリニューアルされた。
宿場町の町屋の様な雰囲気が取り入れられていて、外壁は地元の杉の木を使用。
駅には小さな歴史博物館「今庄まちなみ情報館」が併設されていたが、そっちは後で紹介することとし、ますは今庄の風情ある町並みを見に行こう。
今庄宿 町並み
福井の城下町からやってきた旅人は、約一日かけて今庄宿に辿り着いた。福井から今庄まで約35㎞で、昔の人が一日で歩く平均的な距離だった。
福井から今庄宿までは比較的平坦な道だが、ここからはガラリと変わる。
今庄宿は北側以外を1000m級の山に囲まれており、多くの旅人はここで山越えの準備をしていった。
ここが江戸時代の入り口で、いきなり鍵の手状のクランクになっている。
鍵の手、桝形と色々言い方はあって、ここでは矩折(かねおり)というらしい。
矩折を曲がり、今庄宿に入ると江戸時代から残る町屋が立ち並んでいる。
今庄宿の町屋は正面から屋根の面が見える平入りになっている。
火事の時に隣からの延焼を防ぐため、両端には袖卯建(そでうだつ)が設けられている。
屋根が出ている箇所には豪雪で屋根が崩れない様に、太い登り梁が支えている。
町の中にも矩折(かねおり)が。中央分離帯の鮮やかなカーブに合わせて、華麗にドリフトを決めたら気持ちが良さそう。
とはいえドリフト以前に筆者は免許を持っていないが。
蓮如の道とは今でも続いている京都の東本願寺の行事。
徒歩で神輿を曳き東本願寺から福井県の吉崎御坊までを2週間程かけて往復するものである。
その下には北陸道と北国街道と書いてあり、今庄で2つの重要な街道が合流する。
北陸道は敦賀から琵琶湖西側を通って京都に至るルート、北国街道は琵琶湖東側の木之本や長浜を通って中山道と合流するルート。
今庄は交通の要衝だったため、今庄宿繁栄の要因の一つである。
次は宿場町内を散策してみる。
白髭神社
レトロな路地にある神社の石碑。吸い込まれるように先へ進んでみた。
町中にあるタイプかと思いきや、山の上に続いている。古社といった雰囲気。
静かで張り詰めた空気感の境内には、かなりの樹齢がありそうな杉の木が。
創建年代は不明の事だが、少し南にある新羅神社の下の宮であるとのこと。
本殿が面白い位置にあって、拝殿と繋ぐ渡り廊下が石垣に巧みに乗っかっている。屋根も段々になっていて、こんな社を持つ神社は見た事ない。
今庄の地酒
今庄宿を囲む1000m級の山々から湧き出る清冽な水、越前平野でとれる良質な福井米、盆地特有の冬の底冷えは酒造りにピッタリな土地であった。
更に多くの旅人で賑わい消費者にも恵まれており、江戸時代にはなんと15軒もの酒屋が並んでいたとのこと。
今は数が4軒まで減ってしまったとは言え、当時の店構えと酒蔵で昔ながらの酒造りが受け継がれている。
4軒の酒屋を紹介したいが、試飲したわけではないので、それぞれの味わいは是非購入してご自身で確かめてもらいたい。
堀口酒造
堀口酒造は1619年(元和5年)創業で、今庄宿だけでなく福井県で最古の蔵元。
看板に書いてある酒の銘柄は幕末の福井の歌人・橘曙覧の短歌から名付けられた。
とくとくと 垂りくる酒の なりひさご
うれしき音を さするものかな
橘曙覧は日常のささやかな楽しみを「たのしみは~」で始まる短歌で表現した歌人。
正岡子規から最大級の賛辞を与えられており、楽しみ名人とも呼ばれている。
橘曙覧のことを初めて知ったときは目から鱗が落ちる思いがして、幸せの本質とは何かを教えてもらった気がした。
北善商店
北善商店は1716年(享保元年)、初代・北村善六が創業。
代表銘柄には清らかな水の里より、世の中の平和を祈るという意味を込めて聖乃御代と名付けられている。
福井藩は全国で初めて幕府から藩札の発行を認められていた。
江戸時代の藩は財政を米のみに依存していたので、どこも徐々に財政難になっていった。
そこで藩札を流通させることで藩のマネーサプライを調節出来るようにしていた。
今庄宿は藩の南端にあったので、江戸時代の基本流通貨幣である金銀銅と藩札を両替できる施設が設けられていた。
藩はその施設の運営を北善商店に委託していたとある。
白駒酒造
白駒酒造は今庄宿で2番目に古い蔵元で、京藤家が1697年(元禄10年)に創業した。
徳川将軍奉行所から古代酒鑑札を交付されていた。
酒鑑札とは今でいう酒造り製造免許のこと。しかし古代というのは調べたがよく分からなかった。
ここも古い酒蔵が残っており、昔ながらの手作りで酒造りをしているとのこと。
あと白駒酒造は唯一、創業者の邸宅が残っていて見学が出来るようになっているので、後ほど行ってみた。
色々調べたが購入のやり方がよく分からなかった。
どのサイトにも白駒酒造の商品がなかったので、ひょっとすると直接店で買うしかないのだろうか?
畠山酒造
畠山酒造は1835年(天保6年)の創業。元々は旅籠屋を営んでいて、宿泊客に酒を提供するために酒造りを始めた。4軒の中では一番新しい。
店先には緑の杉玉がかかっている。杉玉は酒屋の風習で新酒が出来たこと知らせるもの。
元々は奈良にあるお酒の神様である大神神社の文化で「美味しいお酒が出来るように」という願いが込められていた。
畠山酒造の二大銘柄、百貴船(ももきぶね)と雪のきらら。
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