大乗寺
職人町から路地に入って、小駄良川の対岸には横に伸びる石垣が印象的な寺が建っていた。
南町編で解説したが、郡上八幡は江戸時代の城下町整備の時に、郡上中に点在していた寺を郡上八幡に集めたため、小さい町ながら13もの寺がある。
大乗寺は川と山に挟まれた斜面上に建っており川一つ隔てただけなのに、緑豊かでしっとりとした雰囲気を味わえる。
山門である鐘楼門(楼門と鐘楼が合体した門)がいきなり良い雰囲気。
大正の大火災は大乗寺まではこなかったため、古い建物が残っている。
鐘楼門は1803年(享和3年)に再建。
川を一つ渡っただけで、町中から隔絶された山奥の寺のような雰囲気。
大乗寺は1603年(慶長8年)、日蓮宗明覚寺の末寺として建立。本堂は1872年(明治5年)に再建された。
境内には西方の山に向けて鬼子母神堂が建っている。
鬼子母神は法華経の守護神と言われ、日蓮宗の寺で祀られていることが多いらしい。
次は小駄良川左岸の町並みを見て回る。ここも重要伝統的建築物群保存地区ではないが良い雰囲気が残されている。
郡上街道
南町編でも解説したが、郡上八幡には郡上街道が通っていた。
岐阜から長良川沿いに上ってきた郡上街道は、郡上八幡で飛騨高山方面と北陸方面に分岐する。
郡上八幡は交通の要衝的な特徴も持っていたのである。
特に今の石川県にある白山は古くから山岳信仰のあつい山で、多くの参拝者が郡上八幡を通って行った。
ここもかなり雰囲気が素晴らしい。
道の広さが江戸時代のままのため、当時を感じれる。
昔の旅人が郡上八幡を出発し、福井や金沢に向けて歩きだした姿が目に浮かんでくる。
この付近は小駄良川・吉田川と山に挟まれたところで、多くの水舟があるらしい。
今まで見つけた水舟は観光用って感じだったが、ここは地元の方々が使っている感じがする、
山の崖をくり抜いた様なところにお地蔵様を発見。横にはしっかりと水舟も置いてある。
解説によると天保年間に郡上八幡でも大飢饉があって、多くの人が餓死をした。地元の住民が弔いのために地蔵尊を建立したらしい。
次は最後に郡上八幡のシンボル、郡上八幡城に登城して今回の旅を締めようと思う。
郡上八幡城
今回は時間がなかったので郡上八幡城には行けなかったが、前に郡上八幡を訪れた時に登城したのでその時の写真で解説していく。
大手門跡があったと言われる四辻を安養寺の方へ行くと史跡八幡城登口の石碑があり、その横の道を登っていくと城山公園駐車場にたどり着く。
駐車場には何故か山内一豊とその奥さんである千代の銅像があった。
この時は気に留めなかったが、今回訪れた慈恩寺(南町編で解説)が所蔵している郡上八幡城主・遠藤氏の家系図に、遠藤盛数の娘が山内一豊の妻という記載があるとのこと。
城山公園からは本格的な山登りに突入し、頭文字Ⅾに出てきそうなつづら折りの連続ヘアピンカーブをうねうねと登っていった。実際、車も通るので結構鬱陶しい。
登っていくと右側に石垣が見えてくるので、そこからは階段があるので車を気にせず登れる。
階段を登りきると曲輪の様な場所に到着し、目の前には見事な石垣と郡上八幡城が現れた。
郡上八幡城は東氏を滅ぼした遠藤盛数によって1559年(永禄2年)に築かれた。
荒々しい野面積みの石垣、白壁の郡上八幡城、道に沿う木々の緑の組み合わせが、芸術的にまで美しい。
歴史小説家の司馬遼太郎は雪に積もった郡上八幡城を「雪の上に可愛らしい天守閣と隅櫓がそこに置かれるように立っていて、粉雪という動くものを透して見ているせいか、悲しくなるほどに美しかった」と評している。
江戸時代は遠藤氏の治世がしばらく続き、井上氏、金森氏と変わり、最後に青山氏の時に明治維新を迎えた。
明治維新を迎えた時、廃城となり、石垣以外はすべて取り壊されてしまった。
今ある建物は全て再建されたものである。
城は1933年(昭和8年)に再建された。復元ではなく大垣城を参考にして建てられた模擬天守となっている。
全国的に昭和に建てられた模擬天守の多くが鉄筋コンクリート造りになっている。
しかしこの郡上八幡城は木造で建てられており、日本最古の木造模擬天守なのである。
木造のため、説明を読む前は現存か復元天守だと思っていた。それだけ土地に馴染んでいるということだろう。
司馬遼太郎も「決して違和感を感じず、いかにも隠国の城といったふうの感じだった」と述べている。
城が建っている八幡山は丁度、町の真ん中にあるので町全体を見渡すことが出来る。
狭い盆地に中に肩を寄せ合うようにびっしりと建物が建っている。
江戸時代は今より人口が少なかったので、城の西側は農村地帯であった。
吉田川と一緒に山へ分け入る郡上街道は飛騨高山の方に通じている。
東側も西側も全ての平地には建物がひしめき合っていて、これぞ日本の盆地って感じがする。
右上に見える吉田川はその先の長良川に合流し、その辺りに長良川鉄道、国道156号線、東海北陸自動車道が走っており、今も昔も美濃と北陸を繋ぐ重要な幹線となっている。
帰りは現時点で最も早いルートとなっている高速バスで岐阜市内に戻ることにした。なんとたった一時間ちょっとで岐阜駅前に到着出来るのである。
江戸時代の郡上街道、昭和の長良川鉄道、平成の東海北陸自動車道と交通の発展を感じながら郡上八幡を後にした。
長文でしたが最後までお読みいただきありがとうございました!
郡上八幡 Googleマップ
郡上八幡へのアクセス
公共交通機関🚃🚌
長良川鉄道「郡上八幡駅」から徒歩約20分、もしくは
岐阜バス高速八幡線「郡上八幡城下町プラザ」下車。
車🚗
郡上八幡ICから約7分。
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