文殊編からの続きです。

HASHIDATE DAIMARU(橋立大丸)

両側に広がる海と松並木を見ながら走る天橋立サイクリングは最高に気持ちがよく、結構な距離にもかかわらず長さを全く感じさせませんでした。
府中エリアに到着後は、まずはお昼ごはんに行きました。
天橋立から少し海を回り込んだところにある「HASHIDATE DAIMARU(橋立大丸)」は、1908(明治41)年に創業したお土産兼お食事処。
ここは支店のシーサイドセンター。本店は文殊エリアの智恩寺参道にあります。

シーサイドセンターの名前通り、窓の外に横たわってる天橋立を見ながら食事を楽しめます。

天橋立の名物「ばんばらこ丼」を注文。「ばんばらこ」とは丹後地方の方言で散らばったという意味らしい。
丹後産の食材を使っていることだけが特徴で、特に決まったレシピはない様。ネーミング的に昔からの郷土料理かと思いきや、新しいご当地丼として考案されたものとのこと。
要は丹後の食材を使った海鮮丼ってことやん。特定の料理名が無かっただけで、昔から食べられていたと思うけど。
魚は日によって変わるらしく、何の魚かは分かりませんでした。
漬け丼になっていて、食感は硬すぎず柔らかすぎず、味付けも丁度良くて醤油は要らなかったです。魚もご飯も割と量が多くて大満足でした。
お腹も満たされたところで、府中エリアの観光をしていきます。この府中エリアこそが天橋立観光の本番です。
これまで文殊エリアだけで満足していた筆者は、仁和寺の法師の様に永遠に小馬鹿され続けるところでした。
ますは丹後国の一の宮「元伊勢籠神社」に行きましょう。
丹後一の宮 元伊勢籠神社

江戸時代の人々は、天橋立を歩いて府中側にやってきましたが、今は船で来ることが出来ます。
天橋立を歩いてきた人も、船で来た人もここで合流し、石畳の参道が元伊勢籠神社へ連れていってくれます。
石畳は天橋立の出入口から続いており、智恩寺から天橋立神社、元伊勢籠神社へは、一体となった参詣道となっています。

船着き場から歩いてすぐのところにある、元伊勢籠神社。丹後やのに伊勢とはこれ如何に?
そんなことを考えていると、そのまま自転車で入りそうなりました。慌てて下乗し隣の駐輪場へ。
神代の世からある途方もない長い歴史を持つ神社で、元々は、ここから更に奥へいったところの真名井原(今の奥宮真名井神社)にあった「匏宮(よさのみや、与謝宮や吉佐宮とも)」に、豊受大神が祀られていました。
豊受大神と言えば、伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の主祭神で、食物や穀物を司る女神様です。

10代崇神天皇の頃、天照大神が大和から丹後に遷され、今の元伊勢籠神社の場所に祀られました。その数年後の11代垂仁天皇の頃、天照大神は伊勢に遷され、あの有名な伊勢神宮が建立されました。伊勢神宮の前に、丹後で祀られていた時期があったはとは驚きです。
更に数年後、21代雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、自分の食事係として豊受大神を呼び寄せて欲しいと言われたので、豊受大神も伊勢に遷されました。この時に、今の伊勢神宮、外宮(豊受大神)と内宮(天照大神)の形になりました。
元伊勢籠神社は、伊勢神宮に遷られる元の宮ということで、元伊勢と呼ばれているということでした。
両女神が伊勢に行ってしまわれ、元伊勢籠神社には誰もいなくなったので、神主である海部氏の祖先神「彦火明命」をを主祭神とされ、本宮を奥の真名井神社から現在地に遷座し、社名を籠宮と変更したそうです。
凄いことに、今も海部氏が宮司を世襲しているとのこと。保管されている系図は、日本最古のもので国宝に指定されています。歴史の重さがハンパではない。
天橋立が古代丹後の中心地というテーマで巡っていましたが、ここまで古く深い歴史があるとは驚きです。

造形美溢れる石造の狛犬は鎌倉時代の作。
あまりに作者が心血を注いで作ったため、作者の魂が宿った狛犬が神社から出て暴れ、通行人を驚かせていた。そこを江戸初期の剣豪、岩見重太郎が狛犬の足に一太刀浴びせた。それ以来、大人しくなり魔除けの狛犬として霊験があるとされるようになったとのこと。
右の狛犬の前足が割れているのは、その時の刀傷だと言われています。
社殿内は写真撮影は禁止されていました。撮影のことを頭から外すと、集中して神社と向き合うことが出来、厳粛な気分になりました。
元伊勢籠神社本殿には南門の他に、東門と西門があります。多くの人は西門から出て、展望台があるケーブルカー駅の方へ行ってしまいました。奥宮の真名井神社がスルーされています。
籠神社の始まりの場所である奥宮真名井神社へ。
真名井神社

一旦、神社を出て駐輪場に戻り、自転車で真名井神社へ。この時、近道だったので神社の中を自転車で突っ切ってしまい、神社の方に注意されてしまいました。すいません。下乗するのを忘れていました。
本殿裏の道に出て右へ曲がり少し東の方へ行くと、途中で石畳が無くなり本当にこの道であっているのかと半信半疑になりながら進むと、小さな鳥居が見えてきました。
石碑には真名井神社の旧名「吉佐宮」とあるので、ここで間違いないでしょう。

かなりの坂道を自転車でヒーヒー良いながら上ると、山に分け入り、途中に小さなホテルがありました(今回、筆者が泊まった天橋立ユースホステルです)。そこに自転車を停めて、少し進んだところに真名井神社がありました。
入口は鳥居がなく、注連縄が張られてだけです。地域によっては勧請縄とも。
どっちにしろ、縄だけで神域を示すのは、鳥居が定着する以前、古代の神社の形がそのまま残されています。

神域に足を踏み入れると、すぐに湧水が流れる手水舎がありました。天橋立神社では水が出ていませんでしたが、ここは湧き出てくれてました。
この湧き水は御神水と呼ばれており、天村雲命(あめのむらくものみこと)が神々の国から黄金の鉢に入れて地上に持ち降り、宮崎の高千穂に伝わったと言われています。そこから、真名井神社へ遷されたそうです。
説明によると、伊勢神宮の外宮の井戸水は、ここの湧水を遷したもので、伊勢神宮建立から1500年以来、毎日欠かさず両女神にお供えされているとのこと。どうやって遷したんやろ? 給水車で運ぶんかな(笑)

ここの水は飲むことが出来る様で、隣に持ち帰り用の給水口がありました。注意書きには一人10リットルまでとあります。10リットルって、めっちゃ太っ腹やな。
自転車の筆者はそんなに汲むことは出来ないので、ちょうどなくなりかけのお茶を飲み干し、ペットボトルに水を補給しました。

6月のジメジメした感じが、水っ気の多い神社内ではより重く感じられます。しかし、気温は町中ほど高くなくイヤな感じではありません。
天の眞名井の水で汗を流し身体に流し込むと、サッパリして清々しい気分になりました。
2匹の可愛い狛龍が守る鳥居で一礼し、本殿へ進んで行きます。

階段の手前に、「これより先、撮影禁止」の立て札がありました。ここが撮影限界地点です。ここより先で撮影しようものなら…、どうなるのでしょう?(笑)
階段を登った先には、社殿が一つありました。
それ以上奥には行けませんでしたが、社殿の後ろにも小さな2つの鳥居があるのが見えました。
よく見ると、鳥居の向こうには鬱蒼とした森と迫力ある巨石があり、社殿を通してそれらを拝む形になっています。
この森と巨石こそが真名井神社の始まりの姿、縄文時代から受け継がれし「磐座」です。まだ社殿を造営する文化が無かった頃の、自然崇拝の形が今に残されていました。
磐座は左右に2つあって、社殿の真後ろのが「豊受大神」。左が「天照大神、伊邪那岐、伊邪那美」の3神が祀られています。日本の原点の神様が揃い踏みです。
こんなにすごい神社なのに、あまり人はおらず天橋立観光の穴場になっていました。
次は籠神社の方へ戻って、江戸時代の人も楽しんだ伝統的な天橋立の絶景を見に行きます。

