傘松公園
天橋立ケーブル 府中駅

籠神社後ろの石畳の参道を進むと、狭い道にお土産物屋が並ぶ風情のあるエリアに入ります。
その一角に、文殊エリアと同じく展望公園へのケーブルカー&リフト乗り場があります。
天橋立ケーブルカーの歴史は古く、開業は1927(昭和2)年8月13日。しかし、戦時中に天橋立観光なんか不要不急とされ、レールと車両を没収され廃止。その後、1951(昭和26)年より再開業し今に続いています。戦時中の中断がなければ、創業100年の最古級のケーブルカーでした。
ちなみ日本最古は1918年(大正7)年開業の生駒ケーブル。

駅舎は数年前にリニューアルされましたが、駅舎内は再開業時に建てられた時のままで、新しくペンキを塗り直した様です。
天井にはトラス橋みたいな木組みが、これでもかと言うほど組み込まれています。
駅中央には、今まで見たことのないものが置かれています。ケーブルカーの運転台とのこと。昭和26年製で、再開業時のもの。
下の駅にある運転台って珍しい。上の駅にあるところしか見たことがないですね。

約5分で山上の傘松駅に到着。レールは見事なほどに一直線に敷かれています。
昔は、車両を引っ張るワイヤーをレールに沿って曲げる技術が不十分だったため、古くに開業したケーブルカーは、一直線になっています。
ケーブルカーという技術のおかげで、自力で登らずとも誰でも天橋立観光が出来る様になったのです。
ちなみに傘松公園へは車道が無いので、車では来ることが出来ない様になっています。

これこそが徒歩の時代から人々を魅了し続けた天橋立の絶景、昇龍拳。ではなくて「昇龍観」です。
まるで飛んで来る敵をアッパーカットで迎撃している様です。それはもういいって(笑)
対岸の文殊エリアの山の中腹あたりには、午前中に行った天橋立ビューランドらしき建物が見えます。
海を挟み両サイドに手ごろな山があり、その間に海を突っ切る天橋立が伸びている。見事としか言いようのない配置です。

天橋立と言えば、体を曲げて股の間から天地が逆転した景色を見る股のぞきが大人気です。
そもそもこれって、いつからあるんやろ?
傘松に展望台が出来たのが、1900(明治33)年頃。宮津の観光振興に尽力した吉田皆三により開かれたと言われています。
この人物が古くからやられていた股のぞきを、観光客にアピールしました。お土産の絵葉書に股のぞきの写真を入れることで、全国的に有名にさせていきました。

どう考えても足の長さ的に不可能な短足青タヌキも股のぞきをやっています。
この辺りは、傘松公園のメインエリアから階段を登った少し離れたところのせいか、人が少なめです。
気兼ねすることなく股のぞきが楽しめます。

ハイ、写真を逆にしただけです~(笑)。っていうか股のぞきをしながら写真を撮るのって、普通に怖いです。無理です。
これを最初に考えた人って、天才ちゃう。マジで天に掛かる橋に見えるやん。ホンマに天橋立なんやな。感動しました。
ちなみに、明治以前の人々が見ていたのは、ここではありませんでした。先ほど述べたように、傘松に展望台が出来たのは、1900(明治33)年頃です。
ではそれ以前の人々はどこから見ていたのでしょうか?
その場所に行ってみることにします。
成相寺

車道も駐車場も無いはずの傘松公園に謎のバス発着場があります。次の目的地の成相寺へはそこからのバスで行くことが出来ます。
傘松公園と成相寺を結ぶ道はバス専用道となっていて、自家用車とは一度もすれ違う事はありませんでした。ハードな山道を右へ左へカーブしながら上ること約7分、成相寺の山門に到着。
江戸時代からの参詣道である成相本坂道も残されており、登り口はケーブル府中駅から少し西にいったところにあります。
バス専用道の途中で成相本坂道が合流し、この山門が時代を経ても変わらない共通の入口となります。
いや実は、バスはこの山門の横に設けられた車道を通り、山門をくぐらずに石段の前まで登って行きます。山門をくぐらへんとか罰当たりにもほどがあるわ!

バスはこの石段の手前が終点で、傘松公園に折り返していきました。他との接続がない完全な独立路線となっています。
狭く坂道になっているところでの切り返しが、見ていて迫力がありました。
成相寺は704年(慶雲元年)に文武天皇の勅願寺として建立。当時はここより更に上の方にありました。1400(応永7)年に山崩れがあり、現在の場所に移転しました。
西国三十三所巡りの二十八番札所となっています。

鐘楼は1608(慶長13)年の建築で「撞かずの鐘」と呼ばれています。
何故、撞かないのかと言うと、鐘の鋳造の日に多く見物人が集まりました。大勢の見物人の中で乳飲み子を抱いた母親がおり、銅湯の入った坩堝の中に乳飲み子を落としてしまいました。鐘は見事に鋳上がったたが、撞いてみると乳飲み子の悲しい鳴き声が聞こえてきました。聞いている人々はあまりの悲しみのため、成仏を願い鐘を撞くのをやめたと言われています。
母親は何をしてんねん。クソやで。

石段を上がったところにある本堂は、1774(安永3)年の建築。正面は千鳥破風と軒唐破風軒の二重構造で、軒全体を作り出している細かい尾垂木が見事です。
本尊は身代わり観音、美人観音として有名な木造の聖観世音菩薩。
ここを参詣することが江戸時代の天橋立観光のゴールの一つでした。

本堂内は写真撮影禁止でしたが、唯一、この龍の彫刻は撮影OKでした。
江戸時代の飛騨の彫刻職人、左甚五郎が宮津に滞在していた折、依頼し製作された「真向(まむき)の龍」。

本堂の隣には熊野権現社がありました。寺の中に神社があるのは神仏習合の名残ですね。
1676(延宝4)年の建立で、現在の成相寺で最古の建物とのこと。その割にはそこまでの古さを感じられないなと、思って、近づいてみると…

祠の中に立派な社殿がありました。こっちも尾垂木の木組みが凄い。
おそらく雨風などから守るために祠に覆われているのでしょう。

池と五重塔の組み合わせは、お寺での王道の美しさです。京都のお寺みたいと思いましたが、ここも京都ですからー。
江戸時代の人もこの風景を楽しんだかと思っていたら、この五重塔、1998(平成10)年に完成したらしい。めっちゃ新しくやん。
新しくても鎌倉時代の建築様式で建てられており、これ以上ないほど風景と調和しています。今や成相寺の顔になっている様です。

成相寺の近くにある弁天山展望台からの天橋立。
この弁天山からの景色が江戸時代の人々が楽しんだ天橋立でした。と言っても、傘松公園からとそこまでの違いはない気がします。
次は最後に、江戸時代から更に遡り、天橋立が丹後の中心地であった古代の丹後国府の名残を探しに行きます。
