龍野歴史観光 そうめんと醬油の町、播磨の小京都・龍野を堪能する

たつの市 龍野城

兵庫県の西部にある龍野は揖保川の下流にある城下町で、武家屋敷や美しい白壁の土蔵や城が残り播磨の小京都と呼ばれている町並みは江戸時代から昭和前期に建てられた建物が保存されており、重要伝統建造物群保存地区に認定されている。

また揖保川の清流はたつの市が誇る三大地場産業「醤油、そうめん、皮革」をもたらしヒガシマル醤油や揖保乃糸といった誰しもが知る有名企業を生み出した。今回はそんな魅力に溢れた龍野を散策してみた。

龍野の魅力、3つのおススメポイント

  • 播磨の小京都と呼ばれ、美しい白壁や土蔵が残る町並み
  • 製法に触れて味わう。龍野の名物、ヒガシマル醬油と揖保乃糸
  • 春は桜、秋は紅葉が美しい龍野城と龍野公園

ちなみにたつの市にはたつの、龍野、竜野の三通りの表記がある。龍野は伝統ある表記で以前は市の名前も龍野市と表記されていた。2005年に龍野市、新宮町、揖保川町、御津町が合併してたつの市になった。

ひらがなになったのは龍野市のままだと龍野市に吸収合併されたされた様に感じると言うことで、たつの市になったそうだ。ただ使い分けがされている様で市内中心部を指すときは龍野、市全域を指すときはたつのと表記されるそうだ。

当ブログでは市内中心部の紹介のため龍野と表記している。ちなみに竜野は駅名に使われている。

目次

本竜野駅

京都から新快速に乗って姫路まで1時間半、そこから姫新線に乗り換える。

姫路の市街地を抜けて約20分でたつの市の中心となる駅、本竜野駅に到着する。2時間で着けるって意外に近い。

山陽本線にも竜野駅があるが、たつの市の中心からはかなり外れたところにある。

姫新線の車両側面のドア横にはkishinの文字と何故か赤とんぼをモチーフにしたマークが描かれていた。

何故赤とんぼなのだろうか?駅に降りてみるとさらに…

なんとたつの市のゆるキャラも赤とんぼがモチーフになっていた。

何故赤とんぼなのかは、町巡りをしていたら自然に理由が分かったので、その答えは後のお楽しみに!

龍野城

龍野城

江戸時代の龍野は脇坂氏龍野藩5万3千石の城下町で、その居城龍野城の遺構が現在に残されており白壁が映える龍野の町のシンボルとなっている。

城は鶏籠山と言う小高い山の裾に建てられており、背後の山の緑と手前の城の瓦と白壁が良い色合い配置で絵画的に思わせる。

写真は桜の時期で城の至るところに桜が咲き乱れており、白壁と相まってより一層美しさを際立たせている。

桜の時期には龍野さくら祭りが開催され武者行列を始め様々なイベントが催される。

明確な日は決まって無いようだが、4月の第一日曜日に開催される事が多いようだ。

大手門
本丸御殿

当時の遺構は石垣のみだが御殿、武具櫓、隅櫓、大手門などが再建されており十分に当時の雰囲気を楽しむことが出来る。

余談なるが、御殿の写真の幕に描かれているのは脇坂家の家紋「輪違紋」なのだが、一瞬シャネルのマークに見間違いそうになってしまった。

龍野城は元々は室町時代、播磨の守護大名である赤松氏が鶏籠山上に築いた山城であった。

その後戦国時代に豊臣秀吉に手に渡り、不便な山城である鶏籠山城を山裾に下ろしてきて、こんにちの龍野城の基礎を築いた

現在では赤松時代の山城を龍野古城と呼ばれており、御殿の左へ歩いたところに登り口がある。

山城特有の遺構が幾つか残されているので山城好きな方にはオススメ。

ルートはこちらのサイトを参照→西播磨の山城

入城時間などは兵庫県公式観光サイトへ

龍野歴史文化資料館

引用元:たつの市ホームページ

大手門を右へ行ったところには龍野歴史文化資料館が併設されており、龍野の古代から近世に至る変遷を紹介している。

古代の龍野は播磨国の中で最大の都として繁栄した土地であり、揖保川は龍野に米作りをもたらし多くの人口を養うことを可能にした。

この龍野の町から揖保川沿いに北へ車で45分くらい進んだところに播磨国一宮である伊和神社がある。

この一宮というのは平安~鎌倉時代に選定されたその国の最も重要な神社のことである。

ということはこの揖保川流域が播磨の中心地域だったことは想像に難くない。

戦国時代関連は賤ヶ岳七本槍の一人で初代藩主の脇坂安治が使用した十文字槍や秀吉や家康から拝領された鎧が展示されていえる。

たつの市ホームページ 龍野歴史文化資料館のページへ

三木露風生家

三木露風の生家

こちらは三木露風の生家で龍野城のほど近いところに位置しており、明治初期に建築されたものだと言われている。

三木露風は1889年(明治22年)6月23日にこの家に生まれ、6歳まで暮らしていた

三木露風って誰やったかなと思っていたら、童謡の赤とんぼが室内に流れていた。

あっ!そうか。三木露風は赤とんぼの作詞者やった。

姫新線の車両に赤とんぼが描かれてたり、たつの市のゆるキャラが赤とんぼになっている理由が分かった。

室内には露風の年表、生い立ち(露風が龍野にいた中学生時代まで)、自筆の原稿、論文が掲載された雑誌、家族構成と人間関係の説明が展示されている。

露風に対する愛情溢れた暖かみのある手作りの説明文は、見る側に一つずつ丁寧に読んでいきたい気持ちにさせる。七歳のとき両親が離婚し母親と生き別れになったことや、最後は交通事故で亡くなったというのは初めて知りショックを受けた。

赤とんぼの童謡を聴くと露風の思い出の龍野の風景が蘇ってくる様。

夕焼小焼の 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を 小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか

十五で姐やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた

夕焼小焼の 赤とんぼ とまっているよ 竿の先

そうめん処 霞亭

そうめん処 霞亭

次は、少し早かったが昼ご飯を食べに行った。

龍野で食べるものといえば、そうめん以外ありえないので、あらかじめネットで調べておいた店に行った。

そうめん処 霞亭」は男はつらいよの撮影地になったり、テレビでも度々取り上げられたり、そうめん店で初めてミシュランガイドに掲載された超有名店

昼時に行くと相当の行列が予想されるので(特に当日は桜祭でかなりの人出だった)、開店直後くらいに行ってみた。少しの待ち客がおり、多少待っただけで無事席に着けた。店を出たときは思った通りかなりの行列が出来ていた。

人気観光地は昼ご飯が難敵だが、時間をロスすることなく無事クリア出来た。

かけにゅうめん大盛り

個人的にはそうめんは冷やしが好きなのだが、出汁が美味しそうな気がしたのでにゅうめんにしてみた。

にゅうめんだとコシが弱くてそうめんで大切なのど越しが良くない事が多いのだが、ここのにゅうめんは全くそんなことは無かった。大盛りしたので多少食べるのに時間がかかったが、最後までコシが失われていなかった。

龍野醤油の旨さのおかげか、出汁も美味しくて全部飲み干してしまった。

そうめん処 霞亭の食べログへ

1 2
たつの市 龍野城

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

この記事が気に入ったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

コメント

コメント一覧 (1件)

コメントする

目次