小豆島尾崎放哉記念館

尾崎放哉は種田山頭火と並ぶ自由律俳句の代表的俳人。
尾崎放哉と言えば自由人で孤独な俳人のイメージを持っていたけど、意外な事に東京帝国大学出で、大企業の出世コースを歩いた超エリートだったのだ。
そんなエリートが突然、社会からドロップアウトし俳句にのめり込んでいった。
全国の寺を転々としながら極貧の中、俳句を創り続け、小豆島が放哉の終焉の地となった。現代の西行法師って感じ。

小豆島では西光寺奥の院「南郷庵」で、最後の8ヶ月を過ごした。
無収入のニートのため、寺の住職や近所の人の施しで暮らしていたとのこと。この頃の放哉は重度の肺結核にかかっていて、病気と闘いながら句作を続けていた。
この記念館は、当時の南郷庵を復元した建物で、放哉が暮らしていた時の雰囲気を感じ取ることが出来た。

質素な南郷庵での暮らしと病気との戦いは、仏教感や哲学的な感性に磨きをかけ、有名な句の多くは小豆島で詠まれている。
「咳をしても一人」
「足の裏 洗えば白くなる」
「こんな良い月を 一人で見て寝る」
「嘘をついた様な 昼の月がある」
「入れものが無い 両手で受ける」
「障子開けて置く 海も暮れきる」
旅をしながら句を詠んだ動の種田山頭火に対して、放哉の句は静の中の孤独や無常観を表現している。また日常の何気ないことをユーモアを交えて句にしているのも特徴である。
ちなみに今の筆者の状況は「ブログ書いても一人」。当たり前やろ!(笑)
公式ホームページ:尾崎放哉記念館
エンジェルロード(陸繋砂洲)

迷路の町から歩いて15分ほどのところに、世界でも珍しい陸繋砂洲を見ることが出来る観光スポットがあるので行ってみる。
陸繋砂洲とは島との間に砂が溜まり陸続きなった砂洲のこと。別名でトンボロともいわれている。
特にここの砂洲は、干潮の時だけ砂洲が現れ島と繋がるという、珍しい現象を見ることが出来る。
日本でこの現象が見られるのはわずか数カ所のみ。

ここの陸繋砂洲は、「エンジェルロード」などという氷室京介の歌詞に出てきそうな名前が付けられている。
ONE WAY SO FAR AWAY
STAND BY ME ANGEL
エンジェルが現れるのは1日2回の干潮時。下記のサイトで干潮、満潮の時間帯を確認することが出来る。
この日は2025年5月5日で、書いてある時刻より2時間も早く行ってしまったせいで、エンジェルはまだ現れていなかった。
エンジェルを待つ間に、近くに見晴らしの良い場所があるので、そっちを見に行ってみる。

この小高い丘の上から、砂洲を一望することが出来る。ここは特に必見で、マジで素晴らしい景色が見れた。

眼下にはまだ完全に現れきっていない陸繋砂洲が、向こうの中余島までうっすらと繋がっている。
何故、ここだけに砂が溜まっているのだろうか?
ここの砂は元々、小豆島を形成している花崗岩で、風化して砂になり、川によって海へ運ばれてきた。それがこの辺りの沿岸流の関係で、丁度ここに溜まるようになっていった、ということらしい。
ここの陸繋砂洲は特に珍しく、中余島から更に先にある、小余島と大余島まで砂洲で繋がっていて、連続砂洲になっているのだ。

数分待ってくらいでは、エンジェルは現れてくれなかったので、土庄の町をブラブラして時間をつぶした。
約1時間後、サンダルだったら余裕で渡れるくらいになっていたが、靴だと濡れてしまいそう。
これ以上、ここで時間を費やすと今後の予定に支障が出るので、靴を脱いで裸足で突入することにした。

無事、渡海に成功。
砂洲は花崗岩が風化して出来た真砂土で出来ていて、サラサラしている。
しかし粗い粒の石英や貝殻とかが混じっていて、場所によっては裸足で歩くと足の裏がかなり痛かった。

中余島の先には小余島と大余島が続いているが、これ以上は行けない様になっている。

小豆島側にもあった、切り立った花崗岩。
花崗岩は硬くて浸食に強いが、長い時間が経つと表面が風化して、もろくなり砂になっていく。
ゴツゴツした岩場や断崖だらけの中余島は、典型的な花崗岩の島。

そろそろ、小豆島側に戻って次の場所へ行こう。
ここで衝撃的な事実を明かそう。実は目の前に見えている小豆島は、実は小豆島ではなかったのだー!
「ちょっと何言ってるか分からない」とツッコまれると思うので、それが分かる場所へ行ってみよう。
土渕海峡(どふちかいきょう)

土庄の町中に戻ってきた。迷路の町のすぐ横には川が流れているが、実はこれは川ではなく海峡なのである。
写真の右岸が小豆島(渕崎地区)、左岸が前島(土庄地区)と言う別の島となっていたのだ!
海峡である証拠として、満潮と干潮があり、その差は約2メートル。満潮時は両岸の色の変化している部分まで増水する。

この海峡の全長は2.5キロとかなり長いのだが、幅は最も狭い箇所で約10メートルしかなく「世界一狭い海峡」としてギネス認定されている。
橋を渡った人には土庄町役場で横断証明書をもらうことが出来るみたい(笑)。
ここに住んでいる人は横断証明書が無くとも、全員がギネス認定された海峡を越えた人達に違いない。

真の小豆島に戻ってきた。西光寺やエンジェルロードは対岸の前島にあったのだ。
小豆島を観光しているつもりが、名前も知らない島を巡らされていた。
ブログのタイトルから考え直す必要があるかもしれないが、誰も前島で検索しないだろうから、小豆島のままの方が無難やな。

海峡は途中で伝法川と合流する。少し分かりづらいが、左側が土渕海峡、右側が伝法川。
合流した後は、海峡なのか川なのか、どっちなのだろうか?
次は、仏教用語から来ているっぽい伝法川を遡ったところにある、宝生院に行ってみる。
宝生院は、前述の西光寺で触れた超巨大樹、日本一のシンパクがあるお寺。
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