大原は京都の市街地から車で30分ほど山に分け入った先にある里で、夏の蒸し暑さに定評がある京都盆地の避暑地として、平安時代から愛された土地である。
由緒ある古刹が数多くあり落ち着いた趣が魅力となっている。
また京都と福井県小浜を結ぶ鯖街道(若狭街道)の宿場町の一つでもあり、鯖街道は戦争や政争で敗れた人が京都からの脱出ルートに使われていた。
都落ちしてきた人は大原を通り、この地に魅了され出家・隠棲の場所として知られるようになった。
一体、大原の何が人々を魅了したのだろうか?今回は大原の癒しの魅力を探って行く。
大原の癒し効果、3つのポイント
- 都の洗練された文化の影響を受けた美しい古寺
- 大原特有の湿気が生み出した苔の庭園
- 大原の名物、しば漬けの効能
出町柳駅
京都在住の筆者は、鯖街道の京都側の起点で大原行きのバスが多く出発している京阪出町柳駅から京都バスで大原へ向かう。
バスに乗る前に、鯖街道を行く昔の旅人の気分を盛り上げるスポットがあるので、そこを見に行った。
出町柳駅から橋を渡った対岸のところに鯖街道口の碑が立っている。
豊臣秀吉が京都の町割りを整備した際、町の防御として御土居で取り囲んだ。
京都から伸びる街道には出入口が設けられ、京の七口と呼ばれた。ここがその一つ「大原口」。
鯖街道口は向こうに見える橋の左岸にある。ここで左の鴨川と右の高野川が合流する。
大原は高野川を上流に遡ったところにあり、鯖街道はひたすら高野川に寄り添って、右上に見える山へ突入していく。
昔の石碑やこれから山越えに挑む風景を見ると、旅の気分が俄然盛り上がってくる。改めて駅に戻り、大原行きのバスに乗車した。
大原盆地
出町柳からどこまでも高野川に寄り添う鯖街道(367号線)を北上し、約30分ほどで大原に到着。
大原は高野川沿いにある盆地で、京都から朽木宿まで一直線に出来た花折断層の途中に位置している。
鯖街道は断層谷よって出来た谷に流れる高野川沿いを通っており、京都から朽木宿までほぼ一直線に貫いている。
その途中の大原では幾つかの川が東西の山から流れ込んでおり、この断層谷で唯一広めの盆地が形成されている。
大原の地形はシンプルで中心に高野川が流れその両岸に家屋や田畑が広がっている。東西の川沿いには大原の最大の魅力である美しく落ち着いた雰囲気の古寺が点在している。
まずは大原で一番有名な寺、大原三千院に行ってみる。
三千院は東側の山の斜面にあり、川沿いの道を登っていく。道沿いには風情ある旅館やお土産物屋などが立ち並んでいるのだが、お店の方々の呼び込みがちょっと強めだった。
「行きで買うと荷物が重くなるので、帰りに寄せてもらいます」と避けつつ三千院に向かった。実際お土産は買う予定だったので、京都人的な遠回しの断り口上ではなかったと付け加えておく。
この辺りの店で買うとは限ったわけではないが…(笑)
三千院の南側を流れる呂川(りょせん)。ここまで来ると三千院はもうすぐ。
大原三千院
京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり♪
デューク・セイエスの曲「女ひとり」で歌われた三千院。筆者が生まれる前の曲だが若い人も聞いたことがある人も多いと思う。歌詞にあるように三千院は昔から癒しのスポットとして知られていた。
山門で出迎えてくれるのはお城の様な立派な石垣。この石垣は大津市坂本の石垣のプロフェッショナル職人「穴太衆」によるもの。
ここは勅使玄関といって天皇の使い番専用の玄関となっている。山門の写真の門の前には菊の御紋があり、三千院は天皇家とゆかりが深い寺ということがわかる。
古くから三千院は皇族が出家した時、入山する寺となっていた。そのおかげか、三千院は非常に品が良く文化度が高い雰囲気を感じる。
聚碧園
玄関で靴を脱ぎ、客殿を進んだ先には江戸時代の茶人・金森宗和が作庭した池泉回遊式庭園・聚碧園(しゅうへきえん)が。
客殿では美しい庭園を見ながらお茶を頂くことが出来、そんな雰囲気を見ているだけで癒される。
しかしこれだけだと三千院に限らず多くの寺で体験できる。三千院の癒しパワーはここも含めて3つも庭園があり、ここはまだ序章にしか過ぎないのだ。
有清園
本尊の薬師如来が祀られている宸殿を出ると、二つ目の庭園、有清園が広がっている。ここも池泉回遊式庭園になっているが、特に美しいのは逆側のエリアである。
池があるエリアとは打って変わって超シンプル。苔が一面に広がるこの雰囲気が三千院、ひいては大原の特徴となっている。大原は南北の高野川に、東西の山からは雪解け水が川となり流れている。
小さな盆地で寒暖が大きいので、早朝には小野霞と呼ばれる霞が棚引き湿気が溜まりやすくなる。そのため、大原には苔むした場所が随所で見られる。
苔に囲まれた簡素な寺院、往生極楽院。平安中期の976年に建てられた三千院で最も古い寺院。堂内の国宝・阿弥陀三尊像はお堂に比べて大きいので、お堂の中心辺りの天井を高く折り上げられている。
苔の絨毯に、苔むした灯篭、奥でひっそりとたたずむお堂。
苔は桜や紅葉の様な華やかさはないが、質素さや閑寂さの中に美しさを見いだす侘び寂びを感じる。それが癒し効果に繋がっている気がする。
個人的には三千院でこの場所が一番、美しいと感じた。観光客が多く気を遣ってしまうのが、癒し効果のマイナスポイントだが。筆者もそのうちの一人なのでお互い様か。
普段はおそらくここまで多くはないと思う。この日、多かったのは理由があるのである。もう少し奥へ行くとそれが分かる。
宸殿と往生極楽院を一望。池泉庭園は極楽浄土を表現しているとも言われており、池の西側が彼岸、東側は此の世を表している。
そのため、池の西側には阿弥陀堂を配置している。
大根炊き
さらに上にいったところでは、大量の大根が炊かれていた。三千院では無病息災を願い、毎年2月11日の前後4日間、有機栽培された地元の大根の大根炊きを参拝客に無料で振舞っている。
もちろんこれが参拝客が多い理由で、筆者も大根目当てにこの時期の大原を訪れた。
ちなみにこの方々の服装は大原女(おおはらめ)といって、昔、大原の女性が大原の柴や農産物を京都まで売りに出る時の服装。鎌倉時代から昭和まで続いていたらしい。
京都の風物詩となっていたみたいで、品の良さと作業のしやすさを兼ね備えているスタイルは江戸時代に人気が出て、美人画の題材となった。
大原女の方から振る舞われた大根。2個も入っていた。今回、初めて食べたが、無限に飲み続けれるくらい旨い出汁が大根によくしみていて、高級料理店より旨い気がする。
慈眼の庭
大根炊きの場所から更に上に登ったところに三つ目の庭・慈眼の庭が広がっている。
下二つの庭は江戸時代に作庭された庭だが、この慈眼の庭は平成9年に作庭されたかなり新しい庭となっている。
この庭園は一番上にあるのでここまで来る参拝客は少なく、ゆっくりと落ち着いて堪能できるのが癒しポイント。
ここは有清園の極楽浄土(西方浄土)に対して補陀落浄土(南方浄土)を表しているらしい。極楽浄土の池泉庭園はよく聞くが補陀落浄土の庭というのは初めて聞いた。
特徴は補陀落浄土には観音菩薩がおられるらしく、庭の隣には観音堂が配置されている。観音庭園ともいわれる。
庭の隣にある観音堂。堂内には金色の観音像が祀られている。
隣には小観音堂があり小さな観音様が並べられている。全部で8万4000体の観音様がおり、一般の参拝客が縁を結んだ観音様となっている。
観音様の下には個人名が書かれているので、近くで撮ることは出来なかった。
おさな六地蔵
三千院の北側を流れる律川(りつせん)。川沿いに人が集まっており、何を見ているのだろうと行ってみると、素晴らしい癒しスポットであった。
川沿いに、なんとも可愛いお地蔵様が並んでいた。
頭に鳥が乗っている。見ているだけで和む~。
苔が生えすぎて、髪がフサフサになってしまっている。
案内には六地蔵と書いてあったがお地蔵様は全部で六体以上あった。六は数ではなくて六道から救ってくださると言う意味らしい。
見ているだけで、心が和んで確かに救われた気がする。
しかしまだ救われ足りないので、次の寺へ向かう。大原の癒し探究の旅はまだ始まったばかりなのだ。
勝林院
三千院を出て右へ行くとすぐに勝林院が見えてくる。
勝林院は2024年の大河ドラマ「光る君へ」に登場する源雅信の八男・源時叙(寂源)によって建立された。
一番の特徴は少し山を登ったところにある来迎院と共に天台声明の一大研究研鑽道場であったこと。声明とは仏教の経典などに節を付けて歌の様に唱える仏教音楽。
堂内ではスイッチを押すと声明が流れる様になっているので、本場大原で声明を聴くことが出来た。家のYouTubeで聴いても全く雰囲気が出ず、1分も耐えられなかった(笑)。
大原の声明は謡曲や浄瑠璃などの原型と言われており、日本の伝統邦楽の基礎となっているらしいが、伝統音楽は全く分からない。今の音楽には何か影響を与えているのだろうか?
宝泉院
宝泉院は勝林院の僧坊(僧侶の生活施設)で勝林院の真隣にある。ここの庭園は大原の中でも特に美しいと感じたので、是非とも立ち寄られることをお勧めする。
ちなみに宝泉院は勝林院の関連施設にもかかわらず、拝観料が別になっていた。せめてセット券を設けて割引にするとか、もうちょっと気を利かしてくれてもいい気がするなー。
三千院で癒されたはずの筆者の心にみみっちい心が溢れてきた。
拝観料を支払い、中へ入るといきなり庭園が広がっており、道は左右に分かれている。宝泉院にはメインとなる庭園が2つあり、その美しさは甲乙つけがたかった。
まずは休憩を兼ねて書院から見られる庭園「盤桓園」がある右へ進んだ。
廊下を抜け客殿に入った瞬間、絶景が目に飛び込んできた。額縁の庭園ともいって、柱や鴨居は額縁に見えるように計算されて配置されいるらしい。
絶景に感嘆し、意識が飛んでしまっていると茶菓子が運ばれてきた。宝泉院の拝観料には勝林院は含まれていないが茶菓子が含まれている。筆者の心の癒しは最高の回復を得れた。
ただ少し申し訳ないことをしたのが、お菓子に砂糖がまぶしてあることに気付かず、食べる時に砂糖を畳に落としてしまったのだ。
何とか落とした砂糖は拾い集めたが完全には拾いきれなかった。こういう事をより深く堪能するためには、文化的な経験が不足していることを実感した。
旅を通して、少しづつでも知識や経験が蓄積され、自分の成長と共により深く日本の美しさを感じれるようになりたいものである。
気を取り直して庭園の鑑賞を続けよう。西側には竹林の間を通して見える大原の山々を借景にした雄大な景色が。
柱や鴨居の位置はこの床の間の席から見ると、美しく見えるように設計されているとのこと。特にこの席に座って驚いたのが下の写真。
演出が憎すぎる。一つの部屋、一つの庭園を色んな見せ方で変化をつけている。
これは南側。午後2時ごろで太陽の位置関係上、明るく感じる。
庭園の他にも見どころがあり、ここの天井は血天井と呼ばれている。
関ヶ原の戦いの直前、家康の忠臣である鳥居元忠は伏見城で籠城し、石田三成の大軍に攻められ敗れた。鳥居元忠一党は伏見城で自刃し、その時の血がついた板の間を天井にしてあるのだ。
寺の人に伺ったところ、戦国時代にはよく見られ、血糊のついた板を寺の天井にすることで霊を弔っているそう。伏見城の血天井は京都の幾つかの寺で見られるらしい。
あと玄関にも面白い仕掛けあり、手を叩くを音が反響する様になっていた。ただ画像では表現出来ないので、次の庭園に移動しよう。
入り口から左へ行くと、2005年に作庭された新しい庭園「宝楽園」がある。ここの庭園は一言で言えないほど複雑な造りをしている。
まず枯山水になっているのだが、立体的で上から見下ろすという視点は見たことがない気がする。
奥の石橋は途中までしかないという不思議な造り。石橋の突端に行ってみたかったが立入禁止だった。
岩組、樹花、白砂等で神仏の世界を表現しているとのこと。ここは癒しと言うより、芸術家の個性あふれる表現力に圧倒されるばかりであった。
日本庭園も凄い進化を遂げているもんだとビックリした。
次は三千院から更に登った先にある、山深い静寂に包まれた来迎院に向かう。
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