大原は京都の市街地から車で30分ほど山に分け入った先にある小さな山里。
比叡山の背後に位置し、冬は雪深く山に囲まれた盆地であるため、仏教修行の最適地として多くの寺院が建てられました。
また、京都と福井県小浜を結ぶ鯖街道(若狭街道)の宿場町の一つで、鯖街道は戦争や政争で敗れた人が京都からの脱出ルートに使われていました。
都落ちしてきた人は大原を通り、この地に魅了され出家・隠棲の場所として知られるようになりました。
一体、大原の何が人々を魅了したのでしょうか?
今回は大原の癒しの魅力を探って行きます。
大原の癒し効果、3つのポイント
- 都の洗練された文化の影響を受けた美しい古寺
- 大原特有の湿気が生み出した苔の庭園
- 大原の名物、しば漬けの効能
大原ってどこ
京都盆地から高野川沿いに谷間を走る367号線(鯖街道)。その途中にある、京都盆地の飛び地の様な小さな縦長の盆地が大原の里です。
出町柳駅

大原へ公共交通機関で行くには、京阪出町柳駅もしくは地下鉄国際会館駅から京都バスを利用します。
筆者は、歴史的なルートを辿りたいので京阪出町柳駅から乗ることにしました。
バスに乗る前に、昔の旅人気分を盛り上げるスポットがあるので見に行きます。

出町柳駅から橋を渡った対岸に鯖街道口の碑が立っています。鯖街道とは京都出町柳から福井県小浜までの若狭街道の通称。
豊臣秀吉が京都の町割りを整備した際、町の防御として外周を御土居で囲こみました。
京都から伸びる街道には出入口が設けられ、京の七口と呼ばれています。ここはその一つ「大原口」。
鯖街道については以下の記事でも解説しています。


遥か遠くに見える山から流れてきた2つの川が合流しています。左が鴨川、右が高野川です。
大原は右の高野川を遡ったところにあり、鯖街道はひたすら高野川に寄り添って、右上に見える山へ突入していきます。
鯖街道口の石碑(大原口)は向こうに見える橋の左岸にあります。
昔の石碑やこれから山越えに挑む風景を見ると、昔の旅人の様な気分になってきます。あくまでも気分だけなので、バスに乗って大原に向かいます。
大原盆地

出町柳から高野川とピッタリ並走する鯖街道(367号線)を北上し、約30分ほどで大原に到着。
大原は高野川沿いにある盆地で、京都から朽木宿まで一直線に出来た花折断層の途中に位置しています。
鯖街道は断層谷よって出来た谷を通っているため、京都から朽木宿までほぼ一直線に貫いています。
その途中の大原は、幾つかの川が東西の山から流れ込んでおり、この断層谷で唯一広めの盆地が形成されています。

大原の地形は非常にシンプルで、盆地の中心に高野川が流れその両岸に家屋や田畑が広がっています。
南北に流れる高野川に、東西から数本の川が流れ込んでいます。
大原の最大の魅力である美しく落ち着いた古刹は、東西の川沿いに点在しています。
まずは大原で一番有名な寺、大原三千院に行きました。

三千院は東側の山の斜面にあり、川沿いの道を登っていきます。道沿いには風情ある旅館やお土産物屋などが立ち並んでいるのだが、お店の方々の呼び込みがちょっと強めでした。
「行きで買うと荷物が重くなるので、帰りに寄せてもらいます」と避けつつ三千院に向かった。本当にお土産は買う予定だったので、京都人的な遠回しの断り口上ではなかったと付け加えておきます。
この辺りの店で買うと限ったわけではありませんが…(笑)

三千院の南側を流れる呂川(りょせん)。ここまで来ると三千院はもうすぐ。
大原三千院

京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり♪
デューク・セイエスの曲「女ひとり」で歌われた三千院。筆者が生まれる前の曲ですが、若い人も聞いたことがある人も多いはず。歌詞にあるように、三千院は昔から定番の癒しのスポットでした。
山門で出迎えてくれるのはお城の様な立派な石垣。この石垣は大津市坂本の石垣のプロフェッショナル職人「穴太衆」によるもの。

ここは勅使玄関といって天皇の使い番専用の玄関。山門の写真の門の前には菊の御紋があり、三千院は天皇家とゆかりが深い寺ということがわかります。
古くから三千院は皇族が出家した時、入山する寺となっていました。そのためか、三千院は品が良く洗練された雰囲気を感じます。
聚碧園

玄関で靴を脱ぎ、客殿を進んだ先には江戸時代の茶人・金森宗和が作庭した池泉回遊式庭園・聚碧園(しゅうへきえん)が。

客殿では美しい庭園を見ながらお茶を頂くことが出来ます。その情景を見ているだけで癒されます。
しかし、これだけだと三千院に限らず多くの寺で体験できます。三千院の癒しパワーはここも含めて3つも庭園があり、ここはまだ序章にしか過ぎません。
有清園

二つ目の庭園、有清園。奥にあるのは薬師瑠璃光如来を祀る宸殿。
ここも非常に美しい池泉回遊式庭園になっているが、特に素晴らしいのが次の写真。

池があるエリアとは打って変わって超シンプル。苔が一面に広がる情景が三千院、ひいては大原の特徴となっています。大原は南北の高野川に、東西の山からは雪解け水が川となり流れています。
小さな盆地で寒暖差が大きく、早朝には小野霞と呼ばれる霞が棚引く湿気が発生します。そのため、大原には苔むした場所を随所で見られます。

苔に囲まれた簡素な寺院、往生極楽院。平安中期の976年に建てられた三千院で最も古い寺院です。
堂内の国宝・阿弥陀三尊像はお堂に比べて大きいので、お堂の中心辺りの天井を高く折り上げられています。

苔の絨毯に、苔むした灯篭、奥でひっそりとたたずむお堂。
苔は桜や紅葉の様な華やかさはないですが、質素さや閑寂さの中に美しさを見いだす侘び寂びを感じます。それが癒し効果に繋がっています。

個人的には三千院でこの場所が一番、美しいと感じました。
観光客が多く気を遣ってしまうのが、癒し効果のマイナスポイント。とはいえ、筆者もそのうちの一人なのでお互い様やな。
普段はおそらくここまで多くはないと思う。この日、多かったのは理由があります。それがあったのでこの日に訪れました。
真冬の大原の寒さがこたえますが、耐えに耐えたその先にご褒美が待っています。

宸殿と往生極楽院を一望。池泉庭園は極楽浄土を表現しているとも言われており、池の西側が彼岸、東側は此の世を表している。そのため、池の西側には阿弥陀三尊像を祀る往生極楽院を配置しています。
大根炊き

さらに上にいくと、寒さを耐え待ちに待ったご褒美がありました。
三千院では無病息災を願い、毎年2月11日の前後4日間、有機栽培された地元の大根の大根炊きを参拝客に無料で振舞っています。
もちろんこれが参拝客が多い理由で、筆者も大根目当てにこの時期の大原を訪れました。これを目的に何度も訪れています。
ちなみにこの方々の服装は大原女(おおはらめ)といって、昔、大原の女性が大原の柴や農産物を京都まで売りに出る時の服装。鎌倉時代から昭和まで続いていたらしい。
京都の風物詩となっていたみたいで、品の良さと作業のしやすさを兼ね備えているスタイルは江戸時代に人気が出て、美人画の題材となっていました。

大原女の方から振る舞われた大根。2個も入っています。
無限に飲み続けれるくらい旨い出汁が大根によくしみています。お寺の雰囲気や寒い中歩いてきて食べる大根炊きは、高級料理店より旨いと感じます。
大根炊きの癒しパワーが半端ねー。
慈眼の庭

更に上に登ると、三つ目の庭・慈眼の庭が広がっています。
これまでの庭は江戸時代に作庭された庭ですが、この慈眼の庭は平成9年に作庭されたかなり新しい庭。
この庭園は一番奥にあるためか、ここまで来る参拝客は少なく、ゆっくりと落ち着いて堪能できるのが癒しポイント。

ここは有清園の極楽浄土(西方浄土)に対して補陀落浄土(南方浄土)を表しているとのこと。極楽浄土の池泉庭園はよく聞くが、補陀落浄土の庭というのは初めて聞いた。
特徴は補陀落浄土には観音菩薩がおられるらしく、庭の隣には観音堂が配置されている。観音庭園ともいわれる。

庭の隣にある観音堂。堂内には金色の観音像が祀られています。

隣には小観音堂があり小さな観音様が並べられている。全部で8万4000体の観音様がおり、一般の参拝客が縁を結んだ観音様となっている。
観音様の下には個人名が書かれているので、近くで撮ることは控えさせていただきました。
おさな六地蔵

三千院の北側を流れる律川(りつせん)。川沿いに人が集まっており、何を見ているのだろうと行ってみると、素晴らしい癒しスポットでありました。

川沿いになんとも可愛いお地蔵様が並んでいました。

頭に鳥が乗っている。見ているだけで和むわ~。

苔が生えすぎて、髪がフサフサになってしまっている。
案内には六地蔵と書いてあったがお地蔵様は全部で六体以上あった。六は数ではなくて六道から救ってくださると言う意味らしい。
見ているだけで、心が和んで確かに救われた気がする。
しかし、まだ救われ足りないので、次の寺へ向かいます。大原の癒し探究の旅はまだ始まったばかりです。
勝林院

三千院を出て右へすぐのところには勝林院があります。

勝林院は2024年の大河ドラマ「光る君へ」に登場した源雅信の八男・源時叙(寂源)によって建立。
一番の特徴は、少し山を登ったところにある来迎院と共に天台声明の一大研究研鑽道場でした。声明とは仏教の経典などに節を付けて歌の様に唱える仏教音楽。
堂内ではスイッチを押すと声明が流れる様になっていて、本場大原で声明を聴くことが出来ます。
家でYouTubeで聴いた時は、辛気臭くて1分も耐えられなかった(笑)。
この癒しはレベルが高過ぎて、筆者のレベルでは効果が発揮されないのかもしれない。

大原の声明は謡曲や浄瑠璃などの原型と言われており、日本の伝統邦楽の基礎となっているらしい。
平家物語の琵琶での弾き語りを聞いたことがあるが、言われてみれば似ている気がする。
宝泉院

勝林院の真隣には、勝林院の僧坊(僧侶の生活施設)である宝泉院があります。
宝泉院の庭園は、大原の中でも特に美しいと感じました。
ちょっと細かい話をすると、宝泉院は勝林院の関連施設にもかかわらず、拝観料が別になっていた。せめてセット券を設けて割引にするとか、もうちょっと気を利かしてくれてもいい気がするなー。
三千院で癒されたはずにもかかわらず、相も変わらずみみっちい発想をしている筆者であった。

宝泉院にはメインとなる庭園が2つあり、その美しさは甲乙つけがたかった。
まずは休憩を兼ねて、書院がある庭園「盤桓園」を見に行きました。

廊下を抜け客殿に入った瞬間、絶景が目に飛び込んできた。額縁の庭園ともいって、柱や鴨居は額縁に見えるように計算されて配置されいるとのこと。

あまりの絶景に感嘆して意識が飛んでしまっているところへ、茶菓子が運ばれてきました。宝泉院の拝観料には勝林院は含まれていませんでしたが、茶菓子が含まれていました。筆者の心は最高の回復と満足感を得れました。
ただ、少し申し訳ないことをしてしまいました、お菓子に砂糖がまぶしてあることに気付かず、食べる時に砂糖を畳に落としてしまった。
何とか落とした砂糖は拾い集めましたが、完全には拾いきれませんでした。つくづく文化的な経験値が不足していることを実感しました。
旅を通して日本の美しさを少しづつ学び続けることで、心と所作で理解できるようになりたいものです。

気を取り直して庭園の鑑賞を続けます。
西側には竹林の間を通して見える大原の山々を借景にした雄大な景色が広がっています。

柱や鴨居の位置はこの床の間の席から見ると、美しく見えるように設計されているとのこと。特にこの席に座って驚いたのが下の写真。

演出が憎すぎる。一つの部屋、一つの庭園を色んな見せ方で変化をつけています。

これは南側。午後2時ごろで太陽の位置関係上、明るく感じます。

庭園の他にも見どころがあります。この天井は血天井と呼ばれています。
関ヶ原の戦いの直前、家康の忠臣である鳥居元忠は伏見城で籠城し、石田三成の大軍に攻められ敗れた。鳥居元忠と城兵は伏見城で自刃し、その時の血がついた板を天井にしてあります。

寺の人に伺ったところ、戦国時代にはよく見られ、血糊のついた板を寺の天井にすることで霊を弔っているそう。伏見城の血天井は京都の幾つかの寺で見られるとのこと。
あと玄関にも面白い仕掛けあり、手を叩くを音が反響する様になっていた。

こちらは2005年に作庭された新しい庭園「宝楽園」。ここの庭園は一言で言えないほど複雑な造りをしています。

庭園は高低差を利用し立体的な造りになっています。下にある枯山水庭園を、上から見下ろすという視点は見たことがない気がします。

奥の石橋は途中までしかないという不思議な造り。石橋の突端に行ってみたかったが立入禁止だった。

岩組、樹花、白砂等で神仏の世界を表現しているとのこと。ここは癒しと言うより、芸術家の個性あふれる表現力に圧倒されるばかりでした。
日本庭園も凄い進化を遂げているもんだとビックリしました。
次は三千院から更に奥へ行った、山深い静寂に包まれた来迎院に向かいます。


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