大野・金石歴史観光1 金沢の美食と経済を支え続けた北前船の湊町、大野・金石を散策(大野編)

金沢と言えば兼六園や金沢城、ひがし茶屋街といった「城下町」のイメージがあったが、それに比べて海の印象はあまりなかった。

そこで金沢の海沿いには何があるのか調べてみると、大野湊(今は金沢港)という面白そうなところを見つけた。大野湊は大野港と金石(かないわ)港の総称で金沢にとって歴史の深い湊町。興味深いのが両港は隣同士にもかかわらずその特色はかなり違っており、一度に二つの雰囲気を楽しむことが出来る地域となっていた。

今回は異なる魅力を持つ金沢の湊町、大野・金石を旅してきたのでその歴史と魅力をお届けしたいと思う。

今回は大野編

大野・金石、それぞれの特徴

  • 醤油の五大生産地の一つで、昔ながらの醤油蔵が立ち並ぶ大野
  • 金沢藩の北前船交易の拠点、廻船問屋や豪商屋敷が残る金石
目次

金沢市街地と大野・金石の位置

金沢を代表する2つの川、浅野川と犀川は金沢城や金沢駅を挟む様に流れており、蛇行して日本海に注いでいる。

その二つの川によって出来た扇状地に大野と金石(当時は宮腰)の町がある。

どちらも平安や鎌倉時代からある歴史ある湊町で、船運の発達に従って町は発展していった。

特に船での交易が最高潮に達する江戸時代の北前船交易では金沢藩の経済を支えるほどの繁栄をみせた。

大野・金石マップ

しかし金沢藩の外港として地位をめぐって二つの町は対立する様になった。

そこで金沢藩は融和を図るため、大野村と宮腰町を一つの町とし合併させた。新しい町名として「固いこと金石の交わり」という故事成語から金石町となった。

しかし結局、明治時代に大野は大野町として復活し宮腰はそのまま金石町となり、元の別々の町に戻ってしまう。

めでたしめでたし、かどうかは分からない(笑)が、今のところは平和な大野と金石に行ってきた。

発酵食の町、大野

大野には今も多くの歴史ある醤油蔵や町屋が残っており、独特の雰囲気を醸し出している

江戸時代には60軒以上の醤油醸造業者があったらしい。

金石地区と共に金沢市独自の重伝建地区「金沢こまちなみ保存地区」に選ばれている。

橋栄醤油みそ株式会社

今は大手のメーカーに押されてかなり少なくなったが、それでも15軒の醸造業者が軒を連ねている。

醤油の五大生産地(野田・銚子・龍野・小豆島・大野)の一つとなっており、関東の濃口醤油と関西の薄口醤油の間の色合いをしている。

また九州の甘口醤油ほどではないがやや甘口の醤油となっていて、どれにも当てはまらない独自の旨口醤油という分類になっている。

大野の特徴として、白山からの整列な水が豊富に湧き出ることや麦や大豆、能登の塩などの調達も容易なことがある。

そのため古来から味噌などの発酵食品が作られていた。

直源醤油(大野醤油の始まり)

直源醤油

江戸時代、加賀藩三代目藩主・前田利常は関西で発明されたばかりの醤油の金沢藩の産業にするため、大野の町人・直江屋伊兵衛に命じ、和歌山の湯浅まで醸造技術を学びに行かせた

伊兵衛は技術を習得し大野で醤油醸造業を始めたのが、醤油の町・大野の始まりであった。

直源醤油

前田家は参勤交代の際に立ち寄る宿場町に大野醤油を宣伝し、加賀藩の主要産業の一つとなっていった。

世に出回ったばかりの醤油に着目した前田利常の先見性には驚いた。

直源醤油は直江屋伊兵衛の流れを汲む直系の醸造元して江戸後期(1825年)に創業された。

直源醤油 店内

築100年を超える醤油蔵をリフォームした、醤油ショップ兼カフェ。外の光が入らないように窓がほとんどなく、土壁で覆われている。

直源醤油 邸宅

蔵の隣の邸宅も見学が可能でこちらは当時のまま。

直源醤油 座敷

右横書きになっている年季の入った扁額。直江源太郎とはいつの人だろうか。

直源醤油 蔵の入り口

この扉の向こうに蔵があり、現在の醤油ショップになっている。

直源醤油 邸宅

この先は関係者以外立ち入り禁止ということだった。と言うのも現在も事業主一家が住んでおられるとのことだった。

パンフレットと購入させていただいた醤油、もろみの雫

店員さんにおススメを伺ったところ、直源醤油の看板商品で金沢のお寿司屋等でよく使われており、刺身と相性がピッタリとのこと。

明治大正風のクラシカルなパッケージにも惹かれた。

直源醤油公式サイトへ

株式会社ヤマト醤油味噌

ヤマト醤油味噌

ヤマト醤油味噌は1911年(明治後期)に創業。初代・山本藤松は北前船の船乗りで、醤油作りは2代目から始まった。

ヤマト醤油味噌がある場所は川に挟まれており、小さな中州になっている。

ヤマト糀(こうじ)パーク 案内板

施設内にはヤマト糀(こうじ)パークという直売所や食堂、醤油蔵を改造した糀の解説施設(ガイドツアー付き)があった。

ガイドツアーでは楽しく大野醤油について楽しく解説してもらった。

ヤマト糀パーク 入り口

糀パークの入り口。昔の関所みたい。

ヤマト糀パーク

明治の創業時の建物が今も残っている。左の建物が醤油蔵を改造した糀の解説施設・糀蔵。

ヤマト糀パーク 井戸

大野で醤油作りが盛んになった要因の一つに白山の清冽で豊富な伏流水がある。

下の井戸が創業以来、ヤマト醬油味噌で用い続けている井戸だそう。今も井戸には白山の水が流れている。

ヤマト糀パーク 蔵内

蔵内にはヤマト醬油味噌の解説に大きな木桶が。

味噌の製造過程

ポップで可愛い味噌の製造過程の解説。

味噌の熟成度合い

味噌の熟成度合い。ガイドさんの解説によるとスーパーで売られている味噌のほとんどが6ヶ月以内らしくて、12ヶ月ともなるとかなりのレアものらしい。

店の方でも並んでいたがかなりのお値段だった。

糀手湯 

特に面白く他で見たことがなかったのが糀手湯

ここの商品である生玄米甘酒が3本分入っており、ここに手を3分間ほどつけると糀の力で手がプルプルのモチモチになるとのこと。

なのでいつも糀に携わっている職人さんはいつまでも手がスベスベの方が多いらしい。

ガイドツアーに参加すれば体験できるので、筆者も手をつけてみた。

生玄米甘酒は程よい温度に温められ、甘くていい香りがして温泉に浸かっている様な気持ちよさがあった。

寒さで乾燥した手にみるみると潤いが戻って来た感じがあった。解説も含めて無料で体験させてくれるなんて気前が良過ぎるー。

生玄米甘酒

糀手湯に入っている生玄米甘酒。いくつか種類があって筆者は「紫の一日一糀」を購入した。

色が本当に紫色で店員さんの説明通り、ぶどうジュースみたいな酸っぱさと甘さがあった。

個人的には一般的な甘酒より、さっぱりしてて飲みやすいと思った。

ヤマト醬油味噌一番の映えスポット

ここがヤマト醬油味噌一番の映えスポットと案内された。

明治の醤油工場に紛れ込んだみたい。

工場の横を流れる大野川

この路地は川に続いている。昔、船が運送の主流であった時、重い醤油を直接船に積み込める場所であった。

大野川(浅野川の下流)は上流に行けば金沢の城下町、下流に少し行けば日本海から北前船の寄港地へと非常に便利な立地となっている。

ヤマト醬油味噌 店内

蔵をリフォームした販売フロア。お客さんが多くて写真を撮るのが大変だった。

どうやっても映り込んでしまうのでそこは画像編集ソフトを使った。

醤油もろみ

ここでは醤油もろみを購入した。醤油もろみとは簡単に言うと、最後に醤油をしぼる直前の味噌の様なものらしい。

これだけで麴菌・乳酸菌・酵母菌が取れるらしく、腸活にベストな商品とおススメされた。

普通の醤油より味に深みがあって卵かけご飯にピッタリ。少しの量で味がしっかりするので、一ヶ月以上経ってもまだ無くならない。

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ヤマト醬油味噌公式サイトへ

次は一旦、醤油から離れて大野の別の歴史スポットに行ってみる。

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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