河崎 まちなみ館
こっちには欅で作られた品の良い感じの土蔵がある。ここも博物館になっていて、伊勢と河崎の歴史が解説されている。
この博物館は特に必見で、意外な伊勢の偉業を知ることが出来る。
1階は企画展示となっていて、この時は19代目当主の小川宗徳の蔵書が展示されていた。
小川宗徳は商人としてだけでなく、国学者(日本の古典研究)として歌集の編纂をしていた。
ご存知の方も多いと思われるが、古事記の解読をした江戸時代の国学者、本居宣長は伊勢の松阪が出身地。そのためか伊勢には宣長の流れを汲む門人が非常に多く、小川宗徳もその一人だった。
ここで一つ、問題。現在日本中で流通しており、伊勢が日本で初めて生み出したものとは一体何でしょう?
筆者もここで初めて知ったが、世の中へ影響度では古事記の解読を遥かに上回る偉業だと思う。
この本の栞みたいなものは山田羽書という紙幣なのだが、これは日本で初めて発行された紙幣である。
1610年頃に伊勢山田の町人によって生み出され、幕府の公認となって明治になるまでの約250年間、伊勢周辺で流通していた。
驚くべきことに世界でもなんと2番目に古い紙幣と言われている。ちなみに世界一古い紙幣は中国宋代の交子。
しかし何故、伊勢が日本最古の紙幣を作り出すことが出来たのだろうか?
色々と調べると次の3つの要因が挙げられると思う。
- 門前町である宇治と山田は室町時代から町人によって自治が行われ、高度な都市運営能力が磨かれた。
- 日本の聖地である伊勢神宮には多くの参拝客が集まり、それにより物資が集まり一大商業地となった。
- 伊勢神宮の宣伝活動を行っている御師は、お伊勢参り誘致のため各地で重い貨幣の代わりになる伊勢で使える券を発行していった。
羽書は偽造防止のため、かなり凝ったデザインになっている。これを作るのにも金がかかってそうだ。
紙幣は金貨銀貨と違い、簡単に偽造出来てしまうため、高度な印刷技術が必要となる。
丁度、この記事を書いている令和6年7月3日は新紙幣の発行開始日。
20年ぶりの新紙幣には世界最高水準の偽造防止技術が施されているみたいで、山田羽書から始まった紙幣印刷技術の向上を思うと、紙幣そのものが芸術品に見えてくる。
水深がかなり浅いみたいで、干潮時は川底の泥が見えてしまっている。そのため定期的に浚渫をしていたらしい。
川幅が今よりかなり狭く、川沿いに蔵や町家が並んでいる。
今は先ほど見たように左岸に道路が造られ、右岸は立ち退きにより川幅が広められている。
その理由は1974(昭和49)年7月に起こった七夕豪雨にある。特に三重県が被害がひどく、伊勢市では勢田川が氾濫し河崎の町は大きな被害を受けた。
そのため、勢田川の改修が行われ、川幅を広げるために伝統的な町並みを失うことになってしまった。
もう一つ、埋め立てによって失ってしまったものがある。次はそれを見に行った。
環濠遺跡
一見ただの住宅地の路地に見えるが、路盤の感じが他の場所と違っている。
しばらく進むと、
こんな小さな堀が現れる。
路地の下は堀があり、それに蓋をした様になっている。
昔はこの堀が河崎の町を取り囲むように張り巡らされており、いわゆる環濠集落になっていたのだ。
説明によると、河崎の町は北条氏(年代的に執権の北条氏)の遺臣が移住したときに始まったらしい。
堀は環濠といって、町の自衛や排水、灌漑用水等のために造られたとある。
江戸時代の地図では川を中心に両側に環濠があって、町を囲んでいる。
ここはかなり細くなっているが、蓋をされずに今も残っている。
他の記事でも書いたかもしれないが、室町時代に環濠集落が多く造られた理由は、室町の中期以降、世情不安等で全国的に無法地帯となった。そこでヒャッハーした連中から町を守るため、環濠が造られた。
不安定で先の見えない世の中でも、一般庶民も生き残るため、環濠を作り情報を集め産業を生み出して戦っていたのである。
今回、紹介した河崎の繁栄は伊勢神宮と切っても切れない関係にあった。
以下の記事ではお伊勢参りを通して伊勢神宮とその門前町の歴史を解説しているので、こちらの記事もぜひ併せて読んでみてください。
長文でしたが最後までお読みいただきありがとうございました!
伊勢河崎 Googleマップ
左上の旅猫の左の→をクリックしますと、番号に対応した歴史スポットが表示されます。散策の際はご活用いただければ幸いです。
伊勢河崎へのアクセス(伊勢河崎商人館まで)
公共交通機関🚃
・伊勢市駅から「二見」方面行きバスで5分。「河崎百五前」下車。
三重交通公式ホームページへ
・近鉄伊勢市駅または宇治山田駅から徒歩で約10分。
車🚗
伊勢西IC、伊勢ICから15分。専用駐車場3ヶ所あり。
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 伊勢河崎歴史観光 お伊勢参りに隠れた観光地、川湊河崎を巡る […]