伊勢河崎歴史観光 お伊勢参りに隠れた観光地、川湊河崎を巡る

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河崎 川の駅

川沿いを少し北へ行くと、いかにも船着き場という場所がある。

ここも江戸時代にはなく現代になって造られたもの。

伊勢神宮参りは陸路だけは無く、船参宮といって船で伊勢にやって来る人も多かった

その伊勢の港の一つが河崎にあったことから、ここに港が造られている。

今も当時の雰囲気を再現し、船で下流にある二軒茶屋や神社港まで船参宮を体験できる様になっているみたい。詳しく以下のサイトで。

神社みなとまち再生グループ 公式ホームページへ

船着き場の建物は、昔の蔵にテラスが付いていて、左上には駅名表記の様なものが下がっているという不思議な感じになっている。

蔵は江戸時代の醤油問屋の蔵だが、手前はかつて伊勢市内を走っていた路面電車の駅をモチーフにしたものを組み合わせている。

蔵の中は資料館となっている。

2階は勢田川の改修前の写真が展示されていた。

これが残っていたら間違いなく重伝建地区に選ばれていただろうなぁ。

表は蔵の前に玄関を作った様になっていて、これは当時は無かった気がする。

切妻屋根の蔵の前に、後付けで平入り屋根の玄関を設けているのは、伊勢っぽくないと思う。

この付近には河崎で一番のフォトジェニックスポットが広がっている。

とくと見るがいいこれが河崎の本気である。

小川商店

カラーコーンさえなければ完璧である。あと欲を言えば電柱もない方がより良かった。実利的な意味でもマジで邪魔。

この付近一帯は江戸時代に創業された酒屋「小川商店」の敷地。

河崎を代表する大企業であった様で現在も蔵が7棟、町家が2棟が残されており、全ての建物が国の登録有形文化財に指定されている

小川商店は現在、伊勢河崎商人館となっており当時の暮らしや河崎の歴史を学ぶことが出来る。

ちなみにおはらい町には登録有形文化財は一切ない

古そうに見える建物は全て平成になって町並み再生計画で修築されたもの。

けっしておはらい町をディスっているわけではないが、マイナーなところにある本物を見つけた時の快感は、歴史好き冥利に尽きるのである。

蔵はリノベーションされて、カフェや食料品店、雑貨屋、古着屋等の約20店舗の店が出店している。

昔の建物に今のショッピングモールが融合した感じ。

伊勢河崎商人館

伊勢河崎商人館 入口

小川酒店は小川三左衛門が元禄年間(1688~1703年)に創業した酒問屋。

なんと1999年(平成11年)までここで営業されていたとのこと。

300年以上の生きた酒屋さんの歴史が詰まっている。

商人俱楽部

入り口では館内の案内があり、まずは説明通りに母屋の隣にある洋風の建物へ。

ここは1924年(大正13年)に建てられた和洋折衷の応接間。

変わったデザインの暖炉は当時、ヨーロッパで流行っていたモダニズムスタイルを取り入れたものらしい。

こういう洋風建築を建てることが出来るってことは、小川酒店がかなり経済力を持っていた証である。

母屋一階 和室

母屋は明治中期の建築。ガラス障子やちゃぶ台が明治時代って感じ。

箪笥の上のレトロなバスの模型が良い味を出している。緑のボンネットバスは1984年まで伊勢市内で活躍していた。

2階へ上がってきた。2階はおそらく小川家の生活空間と思われる。

格子窓を通した外の景色は、一切のよどみがないくらい江戸明治の景色。

古い建物を見物するときは、天井は必見

上には生の木の躍動感がそのまま残っている様な太い梁が。

横揺れ地震の多い日本では、梁は柱の次に重要な部材なのである。

一階の和室の奥には茶室があった。

京都の裏千家11代目玄々斎がデザインした茶室「咄々斎」。ここはそれを模したもの。

裏千家にあるオリジナルの咄々斎は一般公開されていない様なので、意外な場所で見ることが出来た。

茶室の掛け軸

ただ〇が書いてある掛け軸ってなんなんやと思い撮影。

これは円相といって禅宗で悟りや真理を表現しており、円は始まりも終わりもなく角も無いため、あらゆる執着から解き放たれた心の状態を表しているらしい。

茶道の美学である侘び寂びはそれを芸術化したもので、現代のミニマリズムにもつながっている。

当時の帳場と古道具類。

土間の奥には蔵があり、博物館になっている。

伊勢地域で一番多く見られるしめ縄。一般的にしめ縄と言えば正月の時期のみ飾られるが、伊勢地域では1年を通して飾られているとのこと。

その理由はしめ縄の札に書かれている蘇民将来にある。

蘇民将来が書かれた護符は日本各地で見かけるが、その云われとは?

解説を要約すると、武塔神という神様が伊勢に立ち寄った時、泊まるところがなくて困っていたところ、蘇民という男が宿を貸し手厚くもてなしてくれた。

武塔神は蘇民に感謝し、一宿一飯のお礼として「蘇民将来子孫家門」と書いて茅の輪を家の周りに張っておけば疫病から免れると教えた。

蘇民家以外の人々は疫病に倒れたことで伊勢地域では蘇民にあやかって「蘇民将来子孫家門」の札をしめ縄につけて飾る様になったとのこと。

蘇民将来の云われは伊勢にあったのだ。

河崎の特徴の一つ、鬼瓦が展示されている。

右の鬼瓦は小川家のもので丸に×は小川家の家紋。鬼瓦は魔除けの意味だけでなく家の目印としての役割もある。

左は「水」と書かれており、火災から家を守る願いが込められている。

面白いことに人形が彫られている鬼瓦もあるみたい。

商売繫盛を願って商業の神様「恵比寿様」が彫られている。

これにアニメの推しキャラを彫ったら痛瓦になるのだろうか(笑)

母屋の裏口を出たところ。外も昔の雰囲気が残っている。

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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