生野銀山

奥銀谷を流れる市川の橋を渡り、山に向かう道を登って行きます。
タクシーの時は楽ちんで坂になってることに気付きもしなかったですが、自転車だと否応なしにペダルの重さがのしかかってきます。
普通にこぐのが無理なレベルだったので、降りて自転車を押しました。歩くこと数分、重厚な感じの門が見えてきました。生野銀山に到着です。
門柱は1876(明治9)年、生野製鉱所の正門として造られました。官営だったことを示す菊の御紋が彫られています。
生野銀山文化ミュージアム

門を入ると、生野銀山の歴史などを解説している生野銀山文化ミュージアムがありました。
生野銀山にはここを含めて3つの資料館があります。
生野銀山文化ミュージアムでは歴史や文化にフォーカスしている感じでした。まずはここで、生野銀山の歴史的背景をざっくりと掴んでから次へ行くのがおススメです。

1875(明治9)年の古地図がありました。
左側の町が口銀谷。そこから川沿いに上ってくると、生野銀山本部(今の三菱マテリアル株式会社生野事業所)があり、更に進むと細長い奥銀谷の集落があります。
奥銀谷から川をはずれて山に分け入ったところが、今いる生野銀山です。

ここまで来てふと思ったのですが、そもそも何故、銀を掘り出す必要があるのでしょうか?
もちろん貨幣になるからですが、何故、銀なのでしょうか? それはいつからなのでしょうか?
銀が人類の歴史に登場したのは、紀元前3000年前だったといわれています。もともと人々は、物々交換によって必要なものを手に入れていました。しかし、物々交換では、お互いが相手の持っている品物を欲しがっていなければ取引が成立しません。
そこで共通の決済手段が望まれるようになりました。そこで目がつけられたのが銀です。
銀は希少性が高く(当時は金より銀の方がレア)、変質しにくく、分割できる。これらの性質が銀を貨幣として選ばれた理由です。時代とともに国家の財政や世界貿易を支える重要な資源となりました。
古代ギリシャでは、銀山から得られる収益が都市国家の繁栄や軍事力を支えました。中世になると、ヨーロッパやイスラム世界で銀貨が広く流通し、商業の発展に伴って銀の需要も高まっていきます。
日本には銀が伝わってきたのは紀元前1~2世紀頃でした。その後、7世紀ごろから日本でも銀山が発見され、807(大同2)年、生野銀山が発見されました。
1542(天文11)年、山名祐豊によって本格的な生野銀山の採掘が始まりましたが、織田信長の命を受けた羽柴秀吉の侵攻によりその支配下に入りました。
大河ドラマ「豊臣兄弟」では、但馬侵攻を任された羽柴秀長は、山名家臣である太田垣輝延が守る竹田城を見事な作戦で落城させていました。実の父親に対して「家臣の命を何じゃとおもってるんじゃー!」と言って殴るシーンは、名シーンでしたね。最初は気付きませんでしたが、秀長役の仲野太賀さんと輝延役の中野英雄さんは実の親子。
話がそれました。戦国時代の日本は世界有数の銀産出国でした。同じ頃、南米でもポトシ銀山やメキシコの銀山が開発され、スペイン帝国に莫大な富をもたらします。
こうして日本や南米で産出された銀は、世界中を巡り中国へ流れ込み、「銀の大行進」という現象を引き起こしました。生野銀山の銀は日本だけではなく、グローバルな規模で経済、流通に影響を与えていたのです。

生野銀山文化ミュージアムの隣のお土産物屋さんに、銀のインゴッドが平然と置かれていました。生野銀山に行ったお土産でガチの銀を買うやつがどこにおるんや!
よく見たら、下にレプリカって書いてあるし。それやったらお土産として面白くてちょうどいいな。でも、レプリカも売って無さそうでした。
それにしても、岩石から銀だけ取り出すって凄い技術。ところどころ光っていて銀が含まれているのが分かります。

生野銀山を語るのにこのグループの存在を避けては通れません。
江戸幕府の三大鉱山である「石見銀山、佐渡金山、そして生野銀山」。石見銀山と佐渡金山はそれぞれ世界遺産に登録され注目度を上げているのに、生野銀山だけ取り残されています。
生野銀山閉山後も坑内で当時の仕事ぶりを伝えるため働き続けてきた鉱夫たちが、生野銀山の窮地を救うため立ち上がり、アイドルグループを結成しました。
生野銀山に行けばいつでも会える「超スーパー地下アイドルGINZAN BOYZ」です。
銀杏BOYZのパクリやん。しかし、筆者は銀杏BOYZの曲は何も知りませんが、GINZAN BOYZのデビューシングル「ギンギラ銀山パラダイス」は何度も聞きました。彼らの仕事っぷりや喜怒哀楽が感じられる名曲です。

生野代官所をイメージした入場ゲート。入場券を買って、GINZAN BOYZに会いにいきましょう。
鉱物資料館

生野銀山の資料館その2、鉱物資料館です。こちらは、坑内でどうやって銀を採掘していたか実際の仕事の仕組みが分かる資料館になっています。
江戸時代の坑内全体模型は必見です。想像以上の広さと深さです。

大江戸線もびっくりの地下深くまで掘り進められ作業しています。
一番の敵は地下水のようで、手動の汲み上げ機(竹樋)で水を排水しています。

立ち入り禁止になっている洞穴を見つけました。
これは江戸時代に手彫りで掘られた穴で、奥に祭壇が設けられていました。
ちなみにこの近くに、GINZAN BOYZ最初のメンバー、次郎羅茂(じろうらも)がいるはずですが、見当たりませんでした。どこにいったのでしょう。

奥はそれほど深くはなく、入口から見えるほどです。
祭壇は旧生野鉱山職員宿舎の近くにあった山神宮の分社で、神棚には黄銅鉱が供えられています。
洞穴に祭壇があるというだけで、なにやら神秘的なものを感じてしまいます。夜に見るとなんか出てきそうな雰囲気。

生野銀山の資料館その3、吹屋資料館です。
資料館シリーズのラストの吹屋資料館は、江戸時代の銀の精錬所「吹屋」の様子を紹介した資料館。
吹大工たちが黙って作業工程を伝えてくれています。ボタンを押すと彼らは動きだします。
銀山から掘り出された鉱石は、吹屋で純度の高い銀に精錬されます。戦国時代に日本に伝わった灰吹法によって効率的に高純度な銀が抽出可能になりました。
灰吹法には約850℃の高火力が必要で、火力源は木炭を使っていたとのこと。生野は銀山だけでなく豊かな森林があり、採掘から精錬までの作業が支えられていました。
生野銀山 坑内

おおー!、マジでRPGに出てくる洞窟の入口みたい。RPGの鉱山って大体が放棄されてモンスターの巣窟になっている気がします。
しかし、生野銀山はそんな野蛮なところではありません。ここは地下アイドル「GINZAN BOYZ」の聖地なんですから。
入口はレンガ積みになっています。明治初期のお雇い外国人「ジャン=フランソワ・コワニェ」が築造したフランス様式のアーチ型レンガ積みです。

入口に近づくと何か寒気のような気配を感じました。やはりモンスターの巣窟になっているのだろうか…。
おそるおそる中に入って進むとそれは気配ではなく、気温自体が低くなっていたのです。真夏とは思えない涼しさです。
坑道口の気温は年間を通して約13℃で、ほとんど変化しないとのこと。
主な理由は3つあります。
- 地下の岩盤は温まりにくく、冷えにくい
- 地下は直射日光が当たらない
- 岩盤が巨大な蓄熱体になっている
これは完全に避暑地ですね。関西の軽井沢と言っても過言ではないかも(笑)
ちなみに前回も今回も真夏に訪れています。

GINZAN BOYZのメンバーは全60人。出来ればその全員に会いたいところですが、そこまでガチファンではないので、ほどほどにしておきます(笑)。
「風太郎」はその名の通り坑道内に風を送る仕事をしています。新鮮な空気を坑道内に送る大事な役目です。

「嫌われる勇気」が愛読書の「潮(うしお)」は、樋を使って地下水の汲み上げしています。
彼は汲み上げた地下水を「銀の湧き水」と銘打って、売り出す計画をしているとのこと。

四つん這いにならないと通れない狭い穴から顔を出すのは、狸掘りの「源太」。
狸掘りとはタヌキが穴を掘る様に、人力でトンネルを掘ること。

やたら測定範囲が広い温度計がありました。案内にあったように、ジャスト13℃になっています。
ほぼ温度変化が無い坑道内では、宝の持ち腐れやな。

面白いことに坑道内でワインの熟成貯蔵が行われていました。一年を通じて一定の湿度・温度である坑内は、お酒にとって最適の環境とのこと。
いや~、商売上手ですね。こんなものを見たら飲みたくなるじゃないですか。
外のお土産物屋さんに売ってましたが、丁度いいサイズのが無かったので、結局買わず仕舞いでした。

GINZAN BOYZは、江戸から昭和まで様々な時代の人がメンバーになっています。
人力の江戸時代と比べて、機械化された昭和期は作業工程も複雑になっています。スラッシャーってなんやねん?

「コ・シバ」の仕事は発破で砕かれた鉱石をスラッシャーで集めて漏斗という井戸に入れる作業です。
井戸の下にはトロッコが走っていて、それに載せて外へ運ばれます。上から下に落とすことで、トロッコに積みやすくなるみたいですね。
サンドスライムというのは、採掘が終わったところは空洞が出来ます。そこを鉱石から銀などを取り出す過程で出た廃棄物(砂や泥など)で埋め戻すという方法です。こうすることで落盤を防ぐことが出来、不要な廃棄物を邪魔にならずに済みました。

トロッコ担当の「駆くん(かけるくん)」。坑道内は安全運転だがプライベートではスピード狂らしく、竹田城で頭文字Dをしているとのこと。

今でも、坑道内には銀や金が眠っているようです。
場所によって岩肌の色が違っているのが不思議な感じです。

上に向かって飛翔するがごとく削岩しているのは、「翔(しょう)」。
真下に削岩すると思っていましたが、上向きにも削岩するようです。削れた岩が落ちてきて危なくないのだろうか。

ここに来て案内図がありました。真ん中あたりでしょうか。
じっくりと写真を撮りながら見ていたので、ここまでで15分くらいかかりました。この調子で行けば1時間くらいかかるかも。

発破作業中の「ちえお」。近くのボタンを押すと、彼の仕事が作動します。
坑道内では時折、ダイナマイトの爆破音が響いていましたが、ついボタンを押してしまった観光客の仕業だったようです。
もちろん、私もボタンを押しておきました。発破ー!!ドカーン!

太閤水と名付けられている湧水が出ています。
秀吉が生野銀山を訪れた時、湧水の美味しさに感動し、お茶を点てたという逸話があるようです。
残念ながら、今は飲むのが禁止となってました。

流れ落ちる滝を見ながら一息つける休憩スペースがありました。
坑道内にはほとんど座れるところが無かったと思うので、これはありがたいですね。

しばらく進むと広い空間に出ました。そこに中心には生野銀山で最大規模の機械、巻揚機が据え付けられていました。
生野銀山の最深部は地下800mを超えています。そんな深くから人力で鉱石を運搬したり移動していては、銀山の歴史が終わってしまいます。
立坑ごとにエレベーターが設置され、巻揚機で動かしていました。

巻揚機の奥の場所にエレベーターがあります。鉱石の運搬や坑夫の移動などに使用されました。

エレベーターで降りてきた伊右衛門、菊之丞、竹泉。じろふみが運転するトロッコで持ち場に向かいます。
伊右衛門は出勤するや否や、今日の昼ごはんのことを考えています。めっちゃ分かるわ~(笑)。
きっと、お土産物屋の2階のレストランマロニエに行くんでしょう。っていうかこの近くの飲食店ってそこしかないし。
ここで行き止まりなので戻ります。入口と出口は途中で別ルートになっていました。

再び江戸時代ゾーンに入りました。比較的浅めなところが江戸時代のメンバー、深いところが昭和期のメンバーになっていて、鉱山技術の発達を感じさせます。
意外なことに、江戸時代の生野銀山では女性も働いていました。男女が共同で参画する職場ですね。
しかし、男女の役割は違っていて、主に男性は鉱脈掘りや鉱石の運搬、女性は鉱石を砕き選別する作業となっていたようです。
性差を考慮した業務内容になっています。それを男女差別とかうんたらかんたらいう話はうっとうしいので深掘りはしません。そんなことよりもツッコみたいのは、名前の付け方が適当過ぎる(笑)。

ここは休息所です。きちんと休憩時間も確保されているようで、結構ホワイトな職場なんでしょうか。

幕府の役人、左門(さもん)。掘り出された鉱石を調べ監督するのが仕事。
説明によると、昼夜2交代制だったようですね。2交代制って結構キツくないですか~。

外の光が見えてきました。
実は寒くて一旦、外に出ました。Tシャツ一枚で1時間くらい坑内を廻ってると、けっこう冷えてきました。
