郡上八幡歴史観光1 山に囲まれ清冽な水に溢れた美しい城下町、郡上八幡の魅力を探る(南町編)

目次

最勝寺

宮ヶ瀬橋から旧塩屋町、最勝寺付近は南町で特に歴史が古く、伝統的な町並みが残っている。

願連寺からしばらく進み、路地を右に曲がる。路地を最勝寺大門といって突き当たりに寺の大門が待ち構えている。

最勝寺 大門

遠くから見ると大門という割に小さいなと思っていたら、門に不釣り合いなくらい大きく立派な屋根がかぶさっていた。

門は固く閉ざされているのかと思いきや、左にあるくぐり戸から入れた。

最勝寺 本堂

最勝寺は浄土真宗の寺院。1489年(延徳元年)に建立された。

元は別の場所にあり、郡上八幡へは三代目藩主の遠藤常友の時に現在地に移ってきた。

遠景の山や松の木の緑の中で、白壁が映える明るく鮮やかな庭園。

塀の中は外とは対照的に枯山水っぽい感じ。緑に囲まれた白い太鼓楼が美しい。

次は南町で、もう一つおススメの寺、慈恩禅寺に行ってみる。この寺の庭園は郡上八幡でも屈指の美しさ。

慈恩禅寺

山門

この付近は寺が集まっており、最勝寺を出て路地を進むとすぐに見えてくる。

慈恩禅寺(じおんぜんじ)は遠藤慶隆によって1606年(慶長11年)に建立された臨済宗妙心寺派の禅寺。

本堂

慈恩禅寺には遠藤家に関する遺産が数多く保存されており、その中である発見があった。

大河ドラマ化された小説「功名が辻」の主人公・山内千代の出生が明らかになったのである

遠藤家の系図が残っており、山内千代は遠藤盛数の娘であったことが判明した。盛数は遠藤慶隆の父なので慶隆と千代は兄妹となる。

本堂横の受付から境内に上がり、廊下を進み広い部屋に出ると、外からは全く見えなかった別世界が広がっていた。

荎草園(てっそうえん)

座敷に入った瞬間、眼前にこの景色が現れた。座敷奥からの大パノラマに言葉を失った。

荎草園

何、この美しさ…。背景の迫力ある岩山にその手前にある小さな社、流れ落ちる滝、夏の青もみじ、苔の緑と奥に連なる石畳。

雰囲気がそう感じされるのか、真夏でも暑さが控えめな郡上八幡の中でも、ここは全く暑さを感じなかった。

今回、郡上八幡へは2回目の来訪だが、こんなに素晴らしいところがあるとは1回目の時は全く気付かなかった。

荎草園

荎草園は江戸初期に半山禅師によって作庭された禅宗庭園。

座禅を組むってかなりきつそうだが、この場所なら1時間くらいだったら耐えれそう。それでも1時間だけ(笑)。

他にも見たいところが沢山ある筆者は煩悩の塊なのである。

枯山水庭園もあり、一直線に玄関まで見通せる配置がカッコイイ。

向こうの部屋に置いてあるものは何やろ?と先に進んだ。

正面にも特に解説がなく、結局よく分からなかった。

手前の置物に上の扁額、奥の枯山水庭園、配置が意味深な感じ。

次は和の雰囲気から一転して、洋風建築が残っている場所があるので行ってみる。

南町の明治建築エリア

慈恩禅寺付近から乙姫川沿いを進む。郡上八幡にはメインとなる3つの川の他にも写真の様な小川が幾つも流れている。

川を挟んで家が建っているため、各家の玄関には橋がかかっている。水との距離が近いのが郡上八幡の特徴。

郡上八幡樂藝館

1904年(明治37年)、郡上八幡にも文明開化の音が鳴り響いた。

医師の林吉蔵が開業した病院で、正面の擬洋風建築の本館とその左の旧足軽屋敷を移築改造した看護婦棟が建てられた

一見、ヨーロッパにありそうな石造に見えるが、表面だけモルタルで仕上げた木造建築なのだ。明治って感じがする。

現在は博物館になっており見学が可能。明治の病院が見学できると言うのは結構レアな気がする。

受付

院内へ入ってみる。筆者が小さい頃にもこんな感じの町の病院があって、懐かしい感じ。

和洋折衷な雰囲気のする廊下。

診察室

器具とかは古くても、医者と患者が向き合って診察が行われるのは今も変わらない。

未来では診察のやり方も変わるのだろうか。Zoomとかで遠隔で診察が行われる様になったりして。

レントゲン室

ここで特にレアなのが、大正時代からあるレントゲン室。本館と並んで登録有形文化財に指定されている。

なんと岐阜県で最も早くレントゲン施設が設置されたらしい。

郡上八幡では幕末に伝染病が流行ったため、時の藩主青山幸哉(あおやまゆきしげ)は西洋医学の導入に力を入れた。

そのため明治になった時、郡上八幡は岐阜県で最も医師の数が多く、殆どの村に医師がいたらしい

青山幸哉は学者肌な殿様で、オランダ語を学び、日本で初めてヨーロッパの度量衡(面積、重さ、数などの単位)について紹介した本を刊行している。

郡上八幡旧庁舎記念館

樂藝館の近くにはもう一つ洋風建築があった。

樂藝館よりは少し新しい1936年(昭和11年)の建築で、八幡町の役場として使用されていた。

川縁に建つ郡上八幡旧庁舎記念館

こっちは見るからに木造で、モルタルで石造に見せる様なことはしていない。

明治後半以降になると、外壁にペンキを塗って擬洋風に仕上げるスタイルが主流になっていったらしい。

現在は観光案内やお土産物売り場、休憩所になっている。

水舟

郡上八幡旧庁舎記念館の入り口には神社でも無いのに手水舎があった。しかし手水舎にしては柄杓がない。何だこれは?

これは水舟といって、郡上八幡特有の水利用システムなのである

湧水を2段または3段に分かれている水舟に溜めて、1段目が飲み水、2段目が食器や洗濯の洗い場という風に使い分ける様になっている。

面白いのがこれが町中に何ヶ所もあって、いつでも冷たく美味しい水にありつけるようになっている。

これが本当に夏に嬉しすぎる設備で、町巡り中に何度もお世話になった。

次はそろそろ昼餉にしようと、橋を渡った川べりにある新橋亭に向かった。

新橋亭

郡上八幡旧庁舎記念館から吉田川を渡り北町にある新橋亭へ。橋の上から川沿いを見ると建物がとんでもない場所に建っていた

崖際などに寺社を建設する際、柱で床下を固定する様式を懸造りというが、一般の建物でこれだけ連続して並んでいるのは見たことがない。

これが先ほど述べた平地が少ない郡上八幡の特徴の一つで、山に囲まれた狭い土地を有効利用するため、川岸ギリギリまで建てられている

新橋亭

1937年(昭和12年)創業の新橋亭。前に郡上八幡を訪れた時も、ここでお昼を頂いた。

新橋亭からの眺め

料理を待っている間、外の景色を眺める。この景色もこの店に来る理由の一つ。

レトロな洋館に前景の川と橋、遠景の山並みの組み合わせが素晴らしい。

朴葉味噌定食

飛騨地方の郷土料理、朴葉味噌。味噌に野菜や肉等の具材をからめ、朴の葉に載せて焼く料理。

郡上八幡は美濃に属するので厳密には飛騨ではないが、取り敢えず岐阜県の北部と言うことで細かいことは気にしない。

初めてこの料理を知ったのが漫画「美味しんぼ」。21巻収録「挑戦精神」で近城カメラマンが死ぬほど旨そうに食べていて、いつか食べてみたいと思っていた。

焦げた味噌の香りが食欲をそそり癖になる。

お腹が満たされたところで、午後からは北町を見て回った。

長文でしたが最後までお読みいただきありがとうございました!

郡上八幡 Googleマップ

郡上八幡へのアクセス

公共交通機関🚃🚌
長良川鉄道「郡上八幡駅」から徒歩約20分。
岐阜バス高速八幡線「郡上八幡城下町プラザ」下車。

車🚗
郡上八幡ICから約7分。

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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