郡上八幡歴史観光1 山に囲まれ清冽な水に溢れた美しい城下町、郡上八幡の魅力を探る(南町編)

郡上八幡(ぐじょうはちまん)は岐阜県郡上市にある、山あいの城下町。

美濃や飛騨の深い山々に囲まれ、山から流れる清冽で水量豊富な川が町を流れていく。

統一された様式美を持つ町屋と縦横無尽に張り巡らされた水路と水利施設は、郡上八幡ならではの風情。

今回は水と伝統建築が織りなす美濃の小京都、郡上八幡の魅力を探って行きたいと思う。

郡上八幡は思った以上に魅力あふれた町で調子に乗って書いているとかなりの長編になってしまったので、南町と北町に分けることにした。今回は南町編

郡上八幡3つの魅力

  • 山の遠景と水路や水舟、伝統建築が織りなす風景
  • 13もの寺、伝統工芸品、間口の狭い町屋が残る美濃の小京都
  • 作家、司馬遼太郎が悲しくなるほど美しいと讃えた、郡上八幡城
目次

長良川鉄道 郡上八幡駅

長良川鉄道 郡上八幡駅

この日は岐阜旅行の2日目。1日目は美濃和紙とうだつの町並みで有名な美濃市を観光してきた。

美濃太田のネカフェで一泊し、再び長良川鉄道に乗って長良川を遡上。

美濃市を通り過ぎと、長良川と一緒に山に分け入って行く。

山に入ると蛇行しまくる長良川を付き合っていられるかと、何度も橋で貫通し、美濃太田から約1時間とちょっとで郡上八幡に到着した。

現在は駅前にも町が出来ているが、この辺りは鉄道が開通して出来た地域

真の郡上八幡は駅から少し離れたところにある。

日本中のどこにでもある吉野家は日常である安心感を抱かせ、郡上八幡にしかない伝統文化は非日常の世界への期待感を溢れさせる。

旧郡上街道

長良川沿いに寄り添ってきた国道156号線(郡上街道)は、長良川鉄道と同じく郡上八幡の町へ入らずに真っ直ぐ北を目指している。

しかし旧郡上街道はここで大きく曲がり、郡上八幡の町中を経由するルートを取っていた。

この旧郡上街道を道なりに行けば旧市街に入って行ける。

徐々に古い町並みがちらほらと。

まだこの辺りも旧市街ではなく、大正・昭和的な雰囲気。

この辺りから大正・昭和と江戸・明治が混在した雰囲気になっていく。

駅前の現代的な感じから徐々に時代を遡っているのが面白い。

大抵の町は中心から町が出来、徐々に外縁部に拡大するので、内側に旧市街、外側に新市街となる傾向がある。

郡上八幡の様なコンパクトな町はその変化を感じ取りやすい。

郡上八幡鳥瞰図

まちなみ交流館の郡上八幡鳥瞰図

これは大正から昭和に活躍した鳥瞰図絵師の吉田初三郎が描いた昭和初期の郡上八幡の絵図。観光を始める前にこう言う古風な絵図で町を俯瞰すると雰囲気が出てワクワクしてくる。

駅の下の長良川、町を貫く吉田川、左から流れる来る小駄良川の3つの川が流れている。その他にも無数の谷川が流れ込んでいて、正に水の町といった感じ。

しかし平地が少ないため農業には向いておらず、町は限られた空間に作られている。その弱点を補うための生活文化が郡上八幡の特徴の一つにもなっている

郡上八幡 南町

郡上八幡の町は吉田川を境に北町と南町に分かれている

北町には郡上八幡城、武家町や職人町、南町には商屋が立ち並ぶ商人町が広がっている。

今回は南町を中心に紹介して行く。

歴史の長さでいえば郡上八幡城がありその周りに作られた城下町である北町の方が古い。

重要伝統的建築物群保存地区が選定されているのも北町だが、しかし実際に古い建物が多く残っているのは南町の方なのだ。

その理由は後編の北町で説明するので、まずは南町から見て回る。

特にこの付近は郡上八幡でも最古級の町屋が並んでいて、多くが登録有形文化財に指定されている。

やなか水のこみち

やなか水のこみち

ここは南町で特に風情のある場所で、水路のある小道と伝統建築の組み合わせは郡上八幡有数の映えスポット。

小道にある石は長良川や吉田川で採取した8万個の玉石を敷き詰めてあるらしい。

地元の子っぽい女の子がここで音楽を聴いていたりして、観光客だけでなく地元の人にとっても、憩いの場所になっているみたい。

いつか大人になって町を出ていくことになっても、この場所は故郷の源風景として生き続ける気がする。

野中稲荷神社

やなか水のこみちを進んだ先には、小さな神社があった。

この付近は江戸時代初期の郡上八幡の領主・遠藤家の屋敷があり、その屋敷神として稲荷神社が建立されたとのこと。

やなか水のこみち付近には3館のミュージアム(おもだか家民芸館、遊童館、齋藤美術館)が建ち並んでいて、雰囲気の良さに拍車をかけている。

ただ全部行っていては時間足りないので、今回はパスさせていただいた。

やなか水のこみちはここまでだが、江戸時代にはこの先にあった遊郭に行くために、旦那衆や侍がこっそり通り抜けた艶っぽい路地であった。

遊郭はもう跡形も残っていないが、古い建物が残っており遊郭の置屋(遊女、芸妓を抱え斡旋する家)だったかもしれない。

遊郭が無くなった町の置屋が、業種転換して現代に残っているケースをたまに見る。

南町の町並み

旧郡上街道(新町通)に戻り、先へ進むと左手に橋が見えてくる。

旧郡上街道はここで左へ曲がり、橋を渡って北町に入っていた。

宮ヶ瀬橋

吉田川に架かる宮ヶ瀬橋を渡り、南町を見渡す。

町は手前の吉田川と杉の木に覆われた山に挟まれた狭い場所にある。

道の突き当り正面には寺があり、その手前に並ぶ店は昔、塩を売る店が多く塩屋町(しょうやまち)と言われていた。

現在は吉田川には数本の橋が架かっているが、江戸時代ではこの宮ヶ瀬橋が北町と南町を繋ぐ唯一の橋だった。

旧塩屋町(現橋本町)

袖うだつの建物が並ぶ旧塩屋町。

願連寺

突き当りの山裾にある願連寺。

郡上八幡は美濃の小京都と言われているが、実際に京都っぽいと感じるポイントの一つが寺が非常に多いことがある

元々、郡上八幡の各地には多くの寺が点在しており、それらが初代藩主の遠藤慶隆の城下町整備により郡上八幡城下に集められた。

寺は防衛の拠点になるため、町の周囲の山裾に13もの寺が並べて配置されている。

さすがに全部を訪れることは出来なかったが、素晴らしい寺が幾つもあったので、おススメを紹介する。

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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