九州最大の都市と言えば福岡。しかし、駅名は博多駅、名物は博多ラーメン、方言は博多弁、博多どんたくに博多人形という風に福岡が全く出てきません。
博多は古くからの地名で、平安時代には博多津と呼ばれていました。
江戸時代、筑前の領主となった黒田長政(黒田官兵衛の息子)は博多の西側の福崎に城を築城し、城下町も整えました。この時に新たに付けた地名が「福岡」でした。
黒田家の先祖「黒田高政」は備前国福岡(岡山県瀬戸内市長船町福岡)に在住する武士で、長政は先祖ゆかりの地名をとり「福岡城」と名付けたのです。
備前福岡は黒田家のルーツの地であるだけではなく、岡山の城下町を築いた戦国大名「宇喜多直家」を育てたあげたのも、備前福岡の豪商たちでした。
今回は、黒田氏や宇喜多氏と関係が深い中世の商業都市「備前福岡」を巡ってきました。
備前福岡巡り 3つのポイント
- 黒田氏、宇喜多氏のゆかりの寺、妙興寺
- 戦乱から町を守る「三叉路」「歪」「襞」「環濠」
- 大地主と地元の名建築家が建てた豪邸「仲﨑邸」
備前福岡ってどこ
備前福岡は岡山市の東側、吉井川沿いにある商業都市で、その歴史は鎌倉時代にまで遡ります。
吉井川と西国街道が交差する交通の要衝であり、室町時代には西国街道で最大級の商都として栄えたと言われています。
長船駅

この日は岡山旅行の2日目。市内で1泊し、早朝の岡山駅から赤穂線に乗り、30分ほどで長船駅に到着しました。
長船と言えば日本刀の備前長船が有名な刀鍛冶の町で、福岡と同じ長船町に属しています。
長船は福岡から吉井川を少し上流に行ったところにあり、福岡が繁栄した大きな要因の一つでした。日本刀の一大生産地であった長船と、様々な物資が行き交う流通拠点であった福岡は、「モノづくり」と「商業」を支える車の両輪でした。
長船では、今も日本刀の聖地として刀作りが行われており、多くの観光スポットがあります。福岡と長船はどちらもコンパクトな町で地理的にも近く、セットで観光出来る規模感でした。この日は午前中に福岡、午後に長船を見て回ってきました。
まずは福岡の町に向かいます。いつもの様に折り畳み自転車を取り出し、10分程で福岡の町並みに入りました。
福岡の町並み

田園地帯を抜け福岡の町に入ると、伝統建築が残る町並みが。
駅近の便利な場所でもなく、川と田園地帯に挟まれたエリアに突如現れる伝統建築を残す集落。
家屋はひしめき合って立ち並び、ただの農村集落ではないことを感じさせます。

歴史を知らなかったら人通りの少ないただの田舎町の様に見えますが、かつて西国街道有数の商業都市として栄えていた町でした。
町を散策していると、町中にかつての繁栄と中世の商業都市の名残がそこかしこに残されていました。それを探すのが古い町巡りの面白いところです。
長い歴史を持つ町は道が狭くなっていることが多いですが、ここは車が行き違えるくらい広くなっています。
車社会になってから拡幅されたのかと思いきや、江戸時代からこの道幅だったようです。

前日は同じ岡山県の大原宿に行ってきましたが、ここも同じく夢街道ルネサンスに選ばれていました。
夢街道ルネサンスとは、中国地方の街道と宿場町の魅力を伝える観光誘致活動。
福岡は江戸時代に整備された七小路が残っていて、それが夢街道ルネサンスに認定されているみたいです。

しかし、あまり観光地化はされておらず、どの古民家も住宅としての本来の役目を続けているようでした。
大原宿もそうでしたが、夢街道ルネサンスの町は過度な観光地化をしていない様に感じます。敢えてそうしているのかは分かりませんが、観光客がドッと押し寄せるようにするのが正解とは限りません。
しっとりと落ち着いた町並みは、町の歴史に思いをはせやすく、想像力は室町や鎌倉時代の風景を現出させます。

この家の門まわりの石垣はかなり凝っていて、石のアート作品みたいです。

この家も瓦屋根や白壁の透かし窓、蔵の石垣など、デザインの良さを感じます。
江戸以降の福岡は西国随一ではなくなりましたが、中世から育まれた商業都市としての豊かさや奥ゆかしさが建物にも表れているのでしょうか。
明治時代の福岡には名棟梁がおり、その仕事かもしれません。
その棟梁が建てた古民家で拝観が出来る家があるので、あとで行ってみます。
福岡の市

福岡では鎌倉時代から定期市が開かれており、既にその頃からかなりの賑わいだったと言われています。
室町時代には定期市が常設市(現在の商店街の様な感じ)になり、「福岡千軒」と呼ばれる商業都市に発展しました。
今は小さな社(木野山神社恵比寿宮)と石碑が建っているのみですが、当時は沢山のお店が並び多くの人で賑わっていたと思います。

社の後ろには小さな祠があり、その向こうには吉井川の土手が見えます。
ここは吉井川のすぐそばで、舟運が基本の中世や近世では、川は町の発展に非常に重要でした。水難除け、商売繁盛のご利益がある恵比寿様はこの地に必須の神様です。
岡山県を流れる三大河川「吉井川」「旭川」「高梁川」の中でも吉井川流域の開発が最も早く、1700年前から始まったそうです。
高瀬舟という船底が平たく吃水が浅い川船がありますが(京都の高瀬川が有名)、その発祥はこの吉井川だと言われています。上流の津山から下流の西大寺まで、大型の高瀬舟が頻繁に行き交っていました。
高瀬川を開削した角倉了以は、吉井川の高瀬舟を見本にしたそうです。

福岡の市跡の前の道は「市場小路」といい、通り名にも市の名残が残っています。
いつ無くなったのかは分かりませんが、2006(平成18)年から現代版福岡の市が復活し、毎月第4日曜に開催されているとのこと。
中世の頃と同じく、この市場小路の端から端まで屋台がズラリと並びます。鎌倉時代の定期市に戻った感じですね。
市場小路には、もう一つ興味深い石碑がありました。

石碑には「福岡一文字造剣之地碑」とあります。
備前の刀鍛冶と言えば、同じ長船町の備前長船が有名ですが、福岡も元は刀工の町だったのです。
福岡一文字派は鎌倉時代初期に起こり、鎌倉中期に多くの名工を輩出しました。当時の福岡は皇室の庇護を受けた荘園で、後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めていたとのこと。
しかし、鎌倉後期になると長船派(備前長船)や吉岡派(吉岡一文字)などが生まれ、やがて長船が備前のみならず日本随一の刀剣生産地に成長しました。

