仲﨑邸住宅

明治末期から大正に至るまで10年の歳月をかけて建てられた仲崎邸住宅。幸い、ここは開館中の様です。
入口に刀鍛冶のゆるキャラみたいなのがありますが、刀鍛冶の家ではありません。あれは福岡と長船のイメージキャラクター的なものみたいです。

福岡だけでなく周りに広大な土地を持つ大地主であった仲﨑家。
施主の仲﨑善吉郎氏は建築マニア、石マニアだったらしく、そのこだわりを具現化した家を建てようとしました。それを体現したのが地元の名棟梁、東原佐之吉氏と職人集団です。一流の大工、建具師、石工、瓦職人等の技が随所に散りばめられているとのこと。
建築は素人ですが、一流に触れる良い機会ですので余すところなく見ていきましょう。
玄関に早速、石工の技があるようです。扉の下の石ですが、大きな一枚の御影石をくり抜き、敷居石と沓石が一体となっているとのこと。

江戸や明治時代に建てられた豪邸と言えば、物凄く広い敷地に何部屋もある平屋建てが多い傾向があります。しかし、この家はそんなに広くはありません。
広さよりも、使用されている木材や、さり気ないところに凝らした技術、美しい調度品などにこだわりが見られるとのこと。

庭に面した大広間。玄関から一つ部屋を挟み一直線に並んでいて、扁額のとおり風の吹き通しが良さげです。
エアコンが無い時代の工夫の涼しさを感じていると、現代的なアニメキャラが仲良く並んでいるではありませんか。
日本刀を擬人化した刀剣男子を育成して戦うゲーム「刀剣乱舞」のキャラクターです。
刀剣と縁のある博物館や美術館とよくコラボをやっていて、特に日本刀の聖地である長船には多くの「とうらぶ(刀剣乱舞の略)ファンが聖地巡礼している様。
「山鳥毛」と「日光一文字」は福岡一文字を代表する名刀。「山鳥毛」の方は、この後で訪れた備前長船刀剣博物館で公開されていました。
ちなみに「日光一文字」は、日光二荒山神社→北条家→黒田家という流れで持ち主が変わり、今は九州の福岡市博物館に所蔵されています。周り回って福岡にあるのが面白いですね。

縁側に出ると、庭の奥に離れがあり、そこに伸びる廊下がありました。

離れって自分だけの秘密基地みたいで、なんかワクワクしてきます。

なにこれ、配置がめっちゃ面白い!
太い木を囲って細い木々が円陣を組んでるみたいです。

離れと言えば茶室です。掛け軸の漢詩は、「茶室を囲む景色は、鮮やかな山水画の様」ってところでしょうか。
自宅の中に人と隔絶し自然に囲まれた空間を作っています。茶室って引きこもりを芸術に昇華したものかも。
次は2階を見て回ります。2階は特に見どころが多かったです。

この部屋の入口は凄い。襖絵、襖の引手、欄間と全てが凝りに凝っています。特に欄間のデザインがカッコイイ。
ちなみに襖の引手は部屋単位で全部デザインが違っていました。細かいー。

屋久杉の床柱が途中で無くなっています!
これは、敢えて中抜きをすることで、遊び心をもたせ部屋全体の緊張を和らげる手法だそうです。

窓横の狭い廊下。ガラスは大正ガラスで、当時は一枚の大きなガラスは出来なかったので、桟で区切りが出来ています。それが古風な装いを醸し出しています。

2階の一角には洋間もありました。
シンメトリーに配置された空間と大正ガラスに映る田園風景。えも言われぬ美しさが。

玄関横から庭に出ることが出来ます。

屋根瓦は1枚1枚が特注品で、発注時に包んだ新聞紙に葺く位置が記され馬車で運び込まれたとのこと。

入る時は気にも留めなかったですが、ガイドさんに見逃さない様にと教えてもらったことがありました。
門の屋根瓦ですが、左右で波打っている方向が違っているのです。ちょうど真ん中の瓦は特注のM字型にすることで、屋根瓦をシンメトリーにしているのです。これは気付かへんわ~。
他にも色々、教えてもらったのですが、情報量が膨大過ぎて覚えきれませんでした。是非、現地で体験してみてください。
丁度、お昼になったので昼ごはんを食べに行きます。
一文字うどん

吉井川沿いにあるうどん屋さん「一文字うどん」。岡山ではかなり有名なお店のようで、福岡の町のどこよりも賑わっていました(笑)
店内はセルフ形式になっていて、讃岐うどんみたいやなーと思っていたら、セルフうどんの発祥は岡山であるらしい(やっぱ香川県であるという説もあります)。どっちでもええけど。
注文は、既に茹でてあるうどんが入った丼が並んでいるので、好みの玉数のを選び、湯通ししてうどんを温めます。出汁を注いで、好みで天ぷらを乗っけてレジで会計をするフルセルフ形式でした。

うどんは2玉にして、菜花の天ぷらを乗せました。うどんは少し茶色がかっていて、地元産の小麦「ふくほのか」を石臼で製粉しているらしいです。関西の柔らかいうどんと違って、もちもちシコシコしたコシがありました。讃岐うどんとも違う感じ。倉敷うどんも美味しかったし、岡山って意外にうどん県やなー。
あと、「どどめせ」っていう聞きなれないメニューを追加で注文しました。炊き込みご飯にお酢を混ぜた合わせた料理で、炊き込みご飯とお寿司の良いとこどりみたいな感じでした。テイクアウトが出来るおにぎりのどどめせがあったので、小腹が空いた時の楽しみにしました。
発祥は鎌倉時代、福岡にあった吉井川の船着き場の飯屋で、酔った船頭が炊き込みご飯に酸っぱくなったどぶろくをかけたところ、美味しくなったことから「どぶろくめし」として定着しました。それが略されて「どどめせ」となり福岡の郷土料理となりました。ばら寿司の元祖になったと言われています。
次は備前福岡巡りの最後に、幻の福岡城を探しに行きます。
福岡城跡

一文字うどんを出て、吉井川沿いに少し北へ進みます。河川敷はゴルフ場になっています。
綺麗に刈り込まれたフェアウェイに、人工的に植えられた感じのする樹木。その中に自然そのままっぽい森の様なところが見えます。
実に怪しい。ゴルフ場が出来る前から、何かがあった感じが伝わってきます。通行可能ところがあるので、近づいてみます。

森は小高い丘になっていて、小さな鳥居がありました。

バーディーになるかパーセーブか! パッティングに集中しているグリーンの隣で、城跡探しに集中しているという歪な状況の中、見つけました。
鳥居の横に福岡城跡の石碑がありました。
福岡城は鎌倉時代、頓宮四郎左衛門によって築かれた。室町時代は赤松氏が備前守護となったが、嘉吉の乱で没落。赤松氏に変わって山名氏が領有した。応仁の乱後は赤松氏が備前守護に返り咲き、赤松政則は福岡千軒をも城に取り込んだ大城郭に改築した。
福岡城が歴史上の舞台となるのは1483(文明15)年の福岡合戦。赤松政則の家臣、松田元成は主君との関係が悪化したことで、赤松氏と因縁のある山名氏に救援を求め、反旗を翻した。松田、山名連合軍は備前守護代、浦上氏が守る福岡城に押し寄せた。
吉井川を天然の要害としている福岡城の防御は固く、城方は頑強に抵抗を続けた。播磨にいた赤松政則は、山名氏の本領の但馬を攻撃しようとしたが、山名勢に惨敗した。このことで福岡城の士気は大きく低下し、50日の激闘の末、城は落ちたのであった。
このことで赤松氏の備前での威信は大きく低下し、備前が戦国時代に突入する契機となった。
赤松氏って良いとこナシやな。特に嘉吉の乱はやり過ぎやろ。将軍殺しはリスキー過ぎる。幕府は滅ぼしても追放にとどめた織田信長の判断は流石。リスクヘッジを考えてるなー。

その後の福岡城は、大永年間(1521〜1528)の大洪水により吉井川が流れを変えた為、城は水没し廃城。最後は自然の驚異によってとどめを刺されたのでした。
現在は謎の稲荷神社が寂しく佇むだけですが、ゴルフ場開発でここだけが残されているのは、特筆すべきこと。ひょっとして開発者は城マニアだったのかもしれない(笑)。
吉井川の対岸に道が折れ曲がり岸辺が川に突き出た箇所がありますが、そこも福岡城跡と言われています。
今は東岸と西岸で二つに分断されていますが、当時の吉井川は今より東側を流れており、一つの大きな城でした。福岡の町も対岸の上道地区も含んでいて、その大半が洪水で飲み込まれてしまったのです。
今回は対岸の上道地区には行ってませんが、そちらにも福岡神社や一日市という地名など、福岡の町の名残を思わせるスポットが残っています。その辺りも含めると、町は相当広い範囲だったようで、西国一の都市というのも納得です。
次は吉井川を少し上流へ行ったところにある刀鍛冶の町、備前長船へ向かいました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
備前福岡巡り Googleマップ
備前福岡へのアクセス
公共交通機関🚃🚌
JR長船駅下車 徒歩20分ほど
車🚗
山陽自動車道山陽ICから20分ほど
