吉崎御坊歴史観光 布教の天才、蓮如が流浪の末に選んだ吉崎の秘密

目次

本願寺 吉崎別院と東別院

吉崎別院と東別院

山の下には壮麗な寺院群が広がっている。

現在本願寺は西本願寺と東本願寺に分かれている

その発端は、戦国時代に織田信長との戦いで本願寺は和睦派(准如)と抗戦派(教如)で対立していたことによる。

それにより本願寺派、西本願寺(准如)と真宗大谷派、東本願寺(教如)に分かれることになり、どちらも京都に本堂が置かれることになった。

現在、京都では親しみを込めて西本願寺をお西さん、東本願寺をお東さんと呼んでいる

左が東別院、右が吉崎別院

江戸時代初期、東本願寺が聖地・吉崎に御堂を移そうとし、西本願寺がそれに反対するという騒動が起こった

結果、幕府の調停によって御山は幕府の直轄地となり、麓に両寺院が建立されることになった。

そのため吉崎は唯一、不仲な西と東の本願寺が両隣にあるという日本のエルサレムの様な所となっている。

吉崎別院

吉崎別院 念力門

こちらの吉崎別院はお西さんの所属となっている。

この念力門は元々、京都の西本願寺あったもので豊臣秀吉が寄進したもの。

元々あった門が昭和に起こった福井大地震で倒壊してしまった。

そこで西本願寺から百名の信徒によって16台の荷車で運ばれてきたとのこと。

境内
本堂

雪が降りしきる本堂。一度焼失し江戸中期に再建された。中には本尊の阿弥陀如来像が安置されている。

中宗堂

中宗堂は江戸時代、対岸の浜坂出身である豪商で熱心な浄土真宗門徒であった松下吉三郎が、蓮如像を安置するため自費で建立したのが始まり。

吉崎周辺の浜坂や塩屋、瀬越村には北前船の豪商がおり、その寄進によって吉崎の本願寺は維持されていた

となると北前船が終わった現代では、どの様に寺の維持管理費用を捻出しているのだろうか?

ちなみに吉崎の両寺院とも拝観料は無料であった。

資料館

苔の庭園に佇む資料館。

資料館の案内板。

次はお東さんの方へ行ってみる。

吉崎東別院

吉崎東別院の山門

お東さんである吉崎東別院の山門。緑が多い西に対してこちらは重厚な雰囲気。

本堂

本堂はこちらも江戸中期に再建された。こちらは本堂の廊下の周りにもガラス戸が付けられている。

かなりの年代を感じさせるお西さんの本堂に対して、こちらはかなり新しくきれいに改装したようであった。

鐘楼

お西さんの方は跡地しか残っていなかった鐘楼。

屋根の下の木の組み方がかなり複雑で、釘を使ってない様な気がする。下の入り口から中へ入れそうなので入ってみた。

鐘楼内部

中は所々破損しており、恐る恐る登ってみた。やはり釘を使っていないようである。とりあえず鐘を撞くのはやめておいた。

太鼓堂

太鼓堂は本堂と同時期に建てれており、名古屋城の櫓と同じ建築様式とのこと。こちらは本当に釘類を一切使わずに建てられているとあった。

江戸時代には刻を知らせる役割を果たし、明治時代には吉崎小学校として多くの子供達がここで学んでいたらしい。昭和以降は宝物館となっている。

太鼓堂 後ろ側

昭和初期に発生した福井地震にも倒壊しなかった。吉崎のメインシンボルとなっている。

宝物館 案内板

展示物にも色々と違いがあるのだが、仏教にそこまで詳しいわけではないのでよく分からない。

一つ分かるのが左端の蓮如上人御影道中神輿・神輿車。これはお東さんオリジナルのものなのである。

吉崎東別院 パンフレットより

お東さんで特に凄い行事が蓮如上人御影道中

毎年4月17日に蓮如の御影(肖像)を神輿に載せて、徒歩で京都の東本願寺からゆかりの地を巡りながら吉崎東別院まで運ぶ行事が行われる。

約240㎞を1週間歩きぬき4月23日に到着するらしい。もちろん、帰りも一週間かけて徒歩で戻る。300年以上続いている行事となっている。

願慶寺

願慶寺 山門

ここは蓮如が吉崎にやってきた時、吉崎に住んでいた和田重兵衛が蓮如の弟子となり建立した寺。

当時は道場の一つで蓮如の吉崎退去後も守り続けていた。吉崎東別院の真隣になのだが山門は別になっている。

本堂

江戸中期にこの本堂を御坊として吉崎御坊願慶寺となった。所属はお東さんとなっている。

ここにも吉崎寺でもあった嫁おどし肉附面がPRされている。

これほど猛プッシュしているということは有名なものなのだろうか。こちらは中に入ることが出来た。

あわら市観光案内 パンフレットより

写真撮影は禁止の様だったので代わりにパンフレットの写真を載せておいた。

和田住職(和田重兵衛の子孫とのこと)の話によると、

「昔、信心深い嫁がおり吉崎御坊を参拝していた。それを疎ましく思った姑が参拝をやめさせようと、鬼の面を付け待ち伏せして脅した。

しかし嫁は全く動じず、それどころか面が顔に食い込み外さなくなった。

助けを乞う姑に嫁は蓮如の教えと説き、改心した姑が「南無阿弥陀仏」と唱えると面はポロリと外れた」という話だった。

その後、面を寺に預けられ各地で布教する際に面のレプリカを持ちこの話を語り歩いたらしい。

様は布教のための宣伝PRの一環ということである。

今でもどんなに良い商品でも宣伝が下手だと伝わらず、効果的なPRが出来るかが成功のカギとなっている。

最後にすぐ近くにある道の駅に寄って、今回の旅の締めくくりにしたいと思う。

道の駅 蓮如の里あわら

道の駅 蓮如の里あわら

筆者が訪れた日は雪が降り、かなり寒かったので何度も入ってお世話になった。拝みたくなるくらいありがたい道の駅。

福井公式観光サイト ふくいドットコムより

お土産で購買欲をそそられたのがあわら市産のさつまいも「とみつ金時」。これを練りこんだパンを購入した。

福井県でさつまいもが栽培されていたとは知らなかった。あとで知ったがマツコの知らない世界のさつまいもの回で登場していたみたい。

食べ物の感想が下手なのでうまく言えないのだが、またあわら市に来ることがあったら毎回食べたくなる程美味しかった。

貯蔵の寒暖差でデンプンの糖化が促進され、相当に甘くなるらしい。

鬼面酒まんじゅう

こんなところにまで嫁おどしの鬼面があった!お土産になるくらい鬼面の話のPR効果って相当凄かったのだろか。

おろしそばと焼き鯖寿司

福井県の定番、おろしそばと焼き鯖寿司。真冬で凍えそうになっているのにもかかわらず、福井県に来るとやっぱりこれが食べたくなる。

吉崎限定のメニューでいうと鬼面オムライスというのがあった。どこまでも鬼面がまとわりついてくる吉崎御坊の旅であった。

道の駅 蓮如の里あわら公式サイトへ

吉崎御坊 全体マップ

左上の旅猫の左の→をクリックしますと、番号に対応した歴史スポットが表示されます。散策の際はご活用いただければ幸いです。

吉崎御坊へのアクセス

電車🚃とバス🚌
IRいしかわ鉄道大聖寺駅から加賀周遊バスCANBUSで20分、吉崎御坊蓮如上人記念館バス停で下車

車🚗
北陸道加賀ICから約5分

長文でしたが最後までお読みいただきありがとうございました!

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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