平等院参道 お茶屋巡り

宇治橋通りを宇治橋手前で右折して平等院参道へ入る。この道は平安時代から平等院の参道として賑わってきた。
こちらにはお茶屋だけでなく、歴史ある様々なお店が今も並んでいる。
菊屋萬碧楼

平等院参道にも中村藤吉の店舗が。
暖簾だけ手前にあって、店が庭を通った奥にあるという料亭の様な作りになっている。

中村藤吉平等院店は、江戸時代の豪商・菊屋久左衛門の別邸として1809年(文化6年)に建てられた。
1818年に旅館・菊屋萬碧楼となり、多くの文人、財界人が宿泊した。
どうりでお茶屋っぽくないわけである。

2006年(平成18年)に中村藤吉が菊屋萬碧楼を改修し、平等院店として開店。
本店と同じく、旧菊屋萬碧楼も宇治の重要文化的景観に選ばれている。

広い木の階段が、いかにも昔の旅館という感じがする。
思わず、手前の段差で靴を脱いで上がるのかと思ってしまった。

宇治川沿いに建っており、宇治川の流れと宇治山が眺められる。
ちなみに隣の中村藤吉マークがある白の覆いは、覆下栽培の白バージョンではなくて、改装工事中で新しい店舗が出来るらしい。いつ出来るかは…、訊きそびれてしまった😢
能登椽 稲房安兼

お茶と言えば、和菓子がつきもの。
能登椽 稲房安兼は1717年(享保2年)創業の和菓子屋さん。
江戸時代は別のところに店があり、明治時代にこちらに移って来られたらしい。
建物は平等院参道の中の町屋でも特に古い家屋で、宇治の重要文化的景観に指定されている。

店内には更に古そうな雰囲気が。ここが本来の店先で表のは増築したのではないかと思う。
名物、喜撰糖は御室御所(現在の仁和寺)に昔から納めており、「椽」の使用を許され店名としたらしい。「椽」とは宮家から職人に与えられる名誉ある称号。
茶団子も名物らしく、値段も手ごろだったので購入した。
三星園 上林三入本店

二度あることは三度ある。三たび、上林のお茶屋を発見。
ここの上林が一番謎で、春秋家の弟さんの店「お茶のかんばやし」のお話しでは、「三入さんは勝手に上林を名乗っているだけで、名前も田中さんですよ」と仰っていた。
一体どういう事だってばよ?

店の2階は歴代の品々の展示室になっていた。ここに謎の答えがあるかもしれない。

上林春松家で紹介した家系図は実は三入家にあったもの。三入家は春松家以外で唯一残っている店。
上林三入家は元々は上林家ではなくて、宇治郷の藤村っていう家だった。その藤村家に初代三入(旧姓・今西さん)が養子に入った時から、三入家のお茶屋としての歴史が始まった。創業は天正年間で約450年の歴史がある。
上林家は元々、丹波にいた家系で宇治では新参者だったが、信長、秀吉、家康の三人の天下人に重要視され宇治での地位を固めていった。
そんな中、藤村三入家も上林春松家と同じく御物御茶師として認められ、上林の名を名乗る様になった。三代目の時には上林竹庵家からから妻を娶り、名実ともに上林の一員となったのである。

ただ現在は三入家ではなく、大正時代に経営が危ぶまれた時に、店の権利を譲られた田中さんが経営されているらしい。
「お茶のかんばやし」さんが三入さんは上林と違うと言っていた理由が分かった。
個人的には店や会社は血縁よりも能力の方が大切だと思うので、他人が継ぐことに違和感は感じない。
ただ日本人的には血縁で相続している方が歴史的なロマンを感じてしまう。

大名行列のジオラマがあった。お茶と何の関係があるのかと思ったら、駕籠に乗っているのはお殿様ではなく、宇治茶が詰まった茶壺なのだ。
徳川将軍家に献上するお茶を運ぶ行列で、御三家以上に権威があり、道中ではお茶に対して土下座しなければいけなかった。
総責任者を務めていたのは御物御茶師に選ばれた上林家。上林家の卓越した政治力が宇治茶ブランド確立の要因のひとつであった。
次は地理的なポイントから宇治茶を見ていこうと思う。宇治は宇治川の扇状地に出来た町だが、宇治川よりも重要な川がある。それを見に行く。
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