駿府城
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駿府城は今川氏の時代は今川館と呼ばれていた。今川氏は鎌倉時代の地頭で三河国幡豆郡今川荘が発祥であった(現在も西尾市に今川町の地名が残っている)。
南北朝時代、同族である足利尊氏に味方したことで、遠江、駿河の守護に任命され守護大名今川氏が誕生した。今川氏は他国が手本とする様な優れた領国経営を行い駿河の発展に力を尽くした。
しかし戦国時代となり12代目当主今川氏真のとき、武田信玄と徳川家康に攻められ滅亡してしまう。その武田氏も織田・徳川連合軍に滅ぼされると、駿河は徳川家康が領有した。数年後、豊臣秀吉の天下統一によって家康は関東に移封されてしまう。
秀吉の死後、関ケ原の戦いに勝利した家康は征夷大将軍となり江戸幕府を開く。将軍職を2代目の秀忠に譲り、大御所として隠居の地として選んだのが駿府だった。この時、家康により駿府城の改修工事が行われ隠居城として相応しい城に生まれ変わった。
城の殆どは1657年(寛永12年)の城下からの火災によって焼失してしまい、再建もされなかった。写真は平成になってから復元された巽櫓と東御門である。巽櫓と東御門と下で紹介する坤櫓は資料館として中を見学することが出来る。
桝形虎口
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東御門をくぐると桝形虎口が待ち受けている。城の入口に設けられた防衛ゾーンの事を虎口と呼び、桝形虎口は戦国時代を通して発展してきた虎口の完成形と言われており、踏み入ったら最後の恐怖のキルゾーンだ。
東御門を突破しなだれ込んだ来た敵を、直角の曲がり角を設けることで敵の勢いを削ぐ。そこを四方に配置された櫓等から鉄砲の集中砲火を浴びせ敵の侵入を阻止する仕組みとなっている。
徳川家康像とみかん園
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桝形虎口を無事に突破できた者のみが家康公とご対面が出来る。
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家康公のお近くには家康手植えのみかん園がある。家康公が大御所時代に植樹したと伝わる県指定天然記念物のみかんの木だ。
このみかんは紀州みかんの一種で紀州藩浅野家から献上されたといわれている。時期が合えば褒美としてみかんを頂けることがあるそうだ。
坤櫓(ひつじさるやぐら)
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坤櫓も復元されている。坤櫓という名は、築城当時は方角を表すのに干支を用いられており、坤櫓がある南西の方角は南の未(ひつじ)と西の申(さる)の間であるため坤櫓と呼ぶ。
駿府城跡天守台発掘調査現場
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2023年(令和5年)現在、天守台では発掘調査が行われており、これまでの調査で二つの天守台が発見された。
奥側の赤のカラーコーンが天正期の天守台(1500年代後半)で、手前の緑のカラーコーンが家康が大御所になった慶長期の天守台(1600年代前半)だ。
二つの天守の違いとして石垣の積み方に差がある。天正期の天守は石をそのまま積み上げた野面積みで、慶長期の天守は石を加工した打ち込み接ぎ(うちこみはぎ)となっており、技術の進歩が見て取れる。
慶長期の天守台の大きさは南北68m・東西61mもあり、これは江戸城よりも大きく日本最大級の大きさであることが判明した。家康の大御所時代の権力の強さがうかがえ、駿府が日本の首都であったといっても過言ではないのかもしれない。
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左の岩には刻印が印されている。刻印は当時の職人が印したもので、藩の記号、人名、作業の順番などを示しているといわれている。石垣はもちろん石の階段といった意外なところにもあるので、他の城に行かれた時は探してみるのも面白いかもしれない。
右の岩の長方形の窪みは矢穴といって石を割るためにいれるものらしいだが、割らずに残っている。
静岡県庁 展望ロビー
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駿府城の南にある静岡県庁には無料で観覧が出来る21階の展望ロビーがあり、駿府の町を一望出来る。写真は桝形虎口を上から見たところで、侵入者を囲い込むように櫓が配置されている様子がよく分かる。
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駿府城の北西を望むと賎機山の先端が見え、その先端部分に静岡浅間神社がある。写真には見えないが賎機山とその向こうの山の間に安倍川が流れており、賎機山がちょうど、駿府城を川から守っている地形となっている。
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南西方向に目を転じると、駿府の城下町が広がっており、東海道本線と新幹線が静岡市と焼津市の間に立ちはだかる満観峰に向かって伸びている。
次は家康の町づくりを見に江戸時代に移動しよう。
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