近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」
山中正吉は江戸時代後期、今の静岡県富士宮市で酒造業を営んでいた日野商人で、日野に持っていた本宅が昔の近江商人の暮らしを知る資料館として一般公開されている。酒造業の方は現在も静岡県の富士宮市で富士高砂酒造株式会社として続いている。
他の日野商人屋敷と同じく玄関は庶民的な感じ。右にある赤い毛氈がかけられた部分だが、桟敷窓と言って他の地域では見られない日野独特のものである。日野守貞にも玄関の左にあった。
屋敷の中から見ると、窓の手前に桟敷があり、ここから日野祭を見物するために作られている。普段は窓を閉め桟敷も片付けておき、祭りの日のみ設置する。祭りの日には緋毛氈や御簾をかけて、見る側も華やかに演出する。何とも風流な営みである。
現在はひなまつりの季節に家々の桟敷窓の手前の部屋に雛人形を飾り、外から見て回ると言う新しい行事、「日野ひなまつり紀行」が行われているとのこと。
土間の台所には大きなカマドが5つもあり、周りには黒いタイルが貼られている。
明治に造られた主屋。
昭和に増築された新座敷。総ヒノキで作られている。凝ったデザインの照明に、奥の部屋との間の上の欄間はめっちゃ細かい桟が入っている。
床の間には蒲生氏郷公のフィギュアが(笑)。
上の床の間のふすまの拡大。引き手の部分が周りの絵の一部となっていて、案内によると七宝焼で出来ているとのこと。
大理石で出来た浴槽に華やかなステンドグラス。
接客用の洋間。どの部屋も驚くほど凝った造りになっており、解説の方が説明をして下さって初めて、それが分かった。
相当に金がかかった造りになっているのにストレートな豪華ではなく、見る人が見れば分かる格調高い豪華さっていうのが正に「八幡表に日野裏」の言葉通り。
馬見岡綿向神社
旧山中正吉邸の前の道は馬見岡綿向神社への参道となっており、少し進むと綿向神社が見えてくる。その手前に松並木になっているところがある。
ここは若松の森と言って、戦国時代には松の森になっていたと言う。氏郷が会津に転封された時、当時の会津の中心であった会津黒川を故郷の若松の森を懐かしみ会津若松と改めたと言われている。
神社の入り口には大きな杉の木に注連縄が張ってあった。神社や集落の入り口に張る注連縄を勧請縄と言って、入り口を守るバリアの役割をしているとのこと。
滋賀県湖東や湖南地方、京都府南部、奈良県東部、三重県伊賀地方にのみ見られる風習らしい。
京都市内では見たことが無かったので、きっと何か伝統のある独特な風習に違いないと思ってテンションが上がった。調べてみると本当にそうで、更にテンションがあがった。
入り口の左にはひと際、立派な杉がそびえたっている。
ここの神社が祀っているのは、東方にそびえる綿向山で元々は山の頂上に祠が建っていた。平安時代に里宮としてこの場所にも建立されたらしい。
上で紹介した日野祭はこの神社の祭礼で、日野商人の財力によって支えられている。日野商人や蒲生家からの信仰は篤く、出世開運の神として崇められている。
驚いたのは今も綿向山にある元々の祠・奥之宮は今も途切れることなく20年ごとに建て替える式年遷宮が続いているとのこと。そう聞くと是非、奥之宮も見に行きたいが、綿向山は標高1110mもあるので心が折れてしまった。
綿向神社にとって猪は神の使いと言うことで、立派な猪の彫刻が鎮座している。下には神猪と書かれている。
神社の位置が結構面白く、町から少しはみ出したところにあって周りは田畑でここだけが森に囲まれている。国道477号が神社を避けて通っているのが素晴らしいと思った。
一直線に作るため神社をぶった切ったら、入り口の勧請縄の意味とか無意味なものになってしまう。
しかし謎なのが綿向神社であるのに、何故綿向山に向かって建てられていないのか、その理由が分からなかった。
神社を出て日野商人街道を少し東へ行き477号に出ると、周りに遮るものは何もなく遠くに綿向山が見渡せた。山へ向かって真っ直ぐ伸びる道は鈴鹿山脈・武平峠を越え伊勢の国、四日市へ達する。
近江商人とって武平峠や北側の八風街道は伊勢と結ぶ重要な商業ルートであった。
日野城跡(中野城)
日野城(別名・中野城)は蒲生氏郷の祖父である蒲生定秀が1533年(天文2年)に築城した城。この向きの方向にあると思い横の砂利道を進んでも何もなかった。来た道をそのまま先へ進むのが正解で、いきなり本丸があった。
本丸には「うなぎ本丸」と言ううなぎ屋があり、新たな城主となったいた。並べられたタヌキ達が本丸を守っている。
うなぎ本丸の裏に日野城跡の案内版があった。うなぎ本丸の場所がまさしく当時の本丸の位置である。更に先に進んでみる。
信楽焼のタヌキが出迎えてくれたほのぼのとした雰囲気とは打って変わり、朽ち果てた古城という雰囲気。
ここの雰囲気、筆者は知っていて訪れたので見たときすぐに分かった。ここは「映画版るろうに剣心」で剣心と蒼紫が決闘した場所なのである。
朽ち果てた雰囲気で上に橋がかかっている立体的な地形が独特で、決闘シーンでも面白く使われていた。
るろうに剣心×滋賀県 ロケ地紹介特設ガイド
石垣の上には橋を挟んで2つの神社があった。ここは決闘シーンに出てきたかはよく覚えていない。
西大路のコスモス畑
今回の日野の町探訪のラストに、日野城から少し東へ行ったところに偶然にも一面に広がるコスモス畑を見つけた。
調べてみたところ、休耕田を放っておくと雑草が繁殖し多くのトラブルを引き起こす元となるらしい。害虫やダニが大量発生して近隣の田畑に被害をもたらしたり、雑草は土壌の栄養分を吸収し地力が低下し作付けが出来なくなってしまうとのこと。
その対策としてあまり手間がかからなく雑草を抑制する効果があるコスモスを植えていると言う事だった。
小春日和に訪れた日野の旅の終わりを、美しい夕日とコスモス畑で締めることが出来た。
日野駅に戻って、決めていたとおり帰りは近江八幡ルートで帰ることにした。
日野 全体マップ
左上の旅猫の左の→をクリックしますと、番号に対応した歴史スポットが表示されます。散策の際はご活用いただければ幸いです。
日野へのアクセス
鉄道🚃
近江八幡駅から近江鉄道で約50分(八日市駅で乗り換え)
車🚗
名神高速道路・蒲生スマートIC下車、13分。
日野町営バス時刻表へ
近江バス時刻表へ
長文でしたが最後までお読みいただきありがとうございました!
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