日和山・金鳳寺(ひよりやま・きんぽうじ)
中国の寺の様な山門。戦国時代に開山された曹洞宗の禅寺。門の石積みは色合い的に笏谷石だと思われる。
江戸時代には船の出入りを決めるため、天気模様を確認する必要があり、そのための山を日和山と呼んだ。各湊にあり三国は金鳳寺が日和山となっていた。
滝谷出村遊郭街
栄えた湊町に必ずと言っていいほどある遊郭街。この橋の向こうがかつての遊郭街となっており、境目となる橋の名前を思案橋といった。
「行こか戻ろか思案橋」と多くの男が財布のことや奥さんのことで思い悩んだことから名付けられている。
またこの橋は福井藩(三国湊側)と丸岡藩(遊郭街側)の境目にもなっていた。ここには福井藩の施設・港銭取立所と三国湊口留番所があった。
この施設で船を検問し、出入りする貨物をチェックして税金を課していた。これにより丸岡藩側の滝谷出村の湊は大打撃を受けた。そこで遊郭の街として発達させ活路を見出した。
思案橋を渡り少し行った先の路地に入ったところには、かつての芸妓の置屋(芸者や遊女を抱える家のこと。今も京都の祇園に舞妓さんの置屋がある)がある。現在は料亭「魚志楼」として営業している。
思案橋の道に戻り先へ進むと、立派な鐘楼門を持つ永正寺が見えてくる。この寺は遊女たちの教育施設として、教養を教えお茶やお花を身に付けさせた。三国の遊女は北国一の品格を持つと評判になり、粋な豪商たちの憧れとなっていた。
みくに龍翔館(坂井市龍翔博物館)
個性あふれる建物が多い三国の中でも王者の如く高台でインパクトを放っているのが「みくに龍翔館」。
明治時代に建てられた擬洋風建築で、なんと元々は小学校であったらしい。今の無味乾燥した学校からすると考えられないくらいお洒落な建物となっていた。
擬洋風建築が多く建てられた明治時代の北海道の様な雰囲気。
実はこの龍翔館は2代目であり、初代の龍翔小学校は傷みが激しくなり一度取り壊されている。
その後、1970年代に三国に郷土資料館を建設することになり、外観は龍翔小学校を復元したものとなったとのこと。
展示品で特に凄かったのが、5分の1サイズの千石船復元模型。本来はこれの5倍の大きさと言うのだから相当の大きさである。
特に帆が一枚のみで異様に広くなっていてモロに風を受けるとマストが折れそうに見える。江戸時代の船は幕府の禁令のせいでマストを二本以上つけることは禁じられていたためである。
上から見ると甲板がないことが分かる。これも幕府の禁令によるものである。水が入ったらどうするん?と思ってしまう。
三国湊は司馬遼太郎の「街道をゆく18・越前の諸道」で登場し、その中で千石船模型をこの様に讃えていた。「日本でただ一艘千石船を再現したというのは、三国町の快挙というべきものにちがいない」
現在、千石船は野辺地、佐渡、淡路島等で復元されているが、日本で初めて復元したのは三国なのである。
千石船が活躍していた時の、写真が展示されていた。
屋上からは三国湊の町並みが見渡せる。自らが作った福井平野を潤わしながら流れてきた竹田川と九頭竜川が合流する。三国は船の一大ジャンクションなのであった。
竹田川と九頭竜川が合流して日本海へ注ぐ。少し見えづらいが川が海へ注ぐ先に細い突堤の様なものがある。これも千石船に並ぶ、三国湊の快挙だと思うので見に行こうと思う。
三国港突堤(エッセル突堤)
曲線を描きながら海へ突き出していく突堤がある。明治時代、政府のお雇いオランダ人技師・エッセルによって建設された。三国湊は地理的に有利な湊であったが、問題も抱えていた。
九頭竜川が運んでくる土砂の量が多く、河口に溜まり水深が徐々に浅くなっていたのである。江戸時代を通じて様々な工事が行われたが、根本解決には至らなかった。
明治時代、三国の豪商6人が発起人となり、日本初の近代的河口改修工事が実施され三国港突堤が建設された。
突堤の左の海と右の海を見比べると、左は波が無いのに対し右はかなりの波が来ている。
これが突堤の効果で弧を描くことで河口に波が寄せるのを防ぎ、川から流れてきた土砂は押し戻されず海に流れていくという素晴らしい機能を持っている。
今の三国湊は商業港の役目を終えかつてほどの賑わいを失ったが、漁港として新たな活路を見出している。三国港突堤は今も三国漁港を守り続けている。
三国港突堤の右側には三国サンセットビーチがあり、港のすぐ近くに砂浜があるというのはかなり珍しいと思う。河口とは逆にこちら側に集中して土砂が堆積している。
夏には北陸最大級である三国花火大会が開催され三国の誇りは今も生き続いている。
白山の遠景と三国の海産物
これが三好達治が感動した白山の風景と思うと感慨深いものがある。北陸の湊町は遠景に高い山脈が連なり独特の風情を醸し出している。
三国港から北前船は消えてしまったが、多くの漁船が停泊している。福井県の海産物と言えば越前ガニが有名で三国港でも水揚げされているが、特に三国港の名物となっているのが甘エビである。
甘エビを初めて水揚げしたのがここ三国港で、甘エビ発祥の地と言われている。現在も福井県で一番の水揚げ量を誇っている。
甘エビは水深500mに生息しているため、昔は獲る技術なかった。そのため甘エビを水揚げ出来るようになったのは昭和中期ごろらしい。
水揚げされた甘エビを最高の状態で流通させるために、三国では様々な工夫や配慮がされているとのこと。甘エビの漁獲量は北海道が日本一だが、大消費地の関西や金沢に近いのは三国の強みとなっている。
北前船を失った北陸の湊町はレトロさのみが残った寂しい町かと思っていたら、新しい活路を見つけ出し素晴らしい海の恵みを未来に繋げられるように努力し続けているたくましい町だった。
三国湊 全体マップ
左上の旅猫の左の→をクリックしますと、番号に対応した歴史スポットが表示されます。散策の際はご活用いただければ幸いです。
三国湊へのアクセス
鉄道🚃
福井駅からえちぜん鉄道三国芦原線で約50分、三国神社~三国港駅下車
車🚗
北陸自動車道・金津IC下車、23分。
長文でしたが最後までお読みいただきありがとうございました!
コメント