三保松原・清水港歴史観光 独特の地形が創り出した富士山の絶景を巡る

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清水港

清水魚市場河岸の市

江尻桟橋

清水港側の桟橋は日の出のりばと清水駅に近い江尻のりばがある。ここは江尻のりば。

船の向こうにはシーチキンで有名なはごろもフーズの本店工場が見える。はごろもフーズは本社を静岡市駿河区に置く静岡を代表する企業。はごろもフーズの社名も、三保松原の羽衣の松からとられている

清水港の中でも江尻は水産物を取り扱っている企業が集まっている漁港となっている。

河岸の市 まぐろ館

清水港の名物と言えば何と言ってもまぐろ。清水港は日本一の冷凍まぐろの水揚げ量を誇り、まぐろの集積地と呼ばれている。そのためリーズナブルにまぐろを食べられる店が非常に多いのである。

江尻桟橋の真横には地元民も買い物に来る魚市場河岸の市があり、市場内には正にまぐろ一色の飲食店街「まぐろ館」がある。

うおかんの新・まぐろ定食

まぐろ館内の店「うおかん」の新・まぐろ定食。一つの定食でまぐろを刺身、フライ、煮付けと三種類の食べ方が出来るなんて素晴らし過ぎる。

実はまぐろは江戸時代以前は沿岸部以外ではあまり食べられていなかった。それはマグロは傷みやすく鮮度の低下が早いせいであった。

それが変化したのは江戸中期。まぐろを醤油に漬け込んでヅケにすると保存が効くことが発見され、日本中にひろまっていった。

しかし現代は遠洋漁業で漁獲したまぐろを冷凍にして港に運んでくることが可能になり、ヅケではない新鮮なまぐろを色々な料理で食べることが出来るのである。

巴川

巴川

清水港を天然の良港たらしめているのはもちろん三保半島であるが、もう一つポイントがある。

港から静岡の中心部へ繋がる巴川である。江戸時代、大御所となった徳川家康公は駿府(静岡)の城下町を整備し、その外港として清水港を築港した(家康公以前は今の白髭神社辺りにあり、江尻津・入江津と呼ばれていた)。

駿府(静岡)と清水港を結ぶ輸送路として巴川を改修し、家康公自身も駿府城から水路を伝い巴川に出て清水港を訪れている。

巴川

巴川沿いには廻船問屋や倉庫群が立ち並び、200艘もの船が係留されていたと言われている。江戸と大坂を結んだ貨物船・菱垣廻船も入港し、駿府と清水港は一体となり発展していった。

しかし良いことばかりではなく、巴川には問題点があった。川の勾配がかなり緩やかなため、水はけが悪く氾濫しやすいのである。

これは令和の現在でも完全解決していない様で、2022年(令和4年)には台風15号による浸水が発生している。

水神社

水神社

江戸初期には清水港に大きな津波が襲い掛かかり多大な被害を受けたため、水神様を祀る水神社が建立された。

水神社 本殿
水神社 由緒書き

由緒書には「風濤鎮護のため巴川の中州に水を司る水神を祀りました」とあった。中州とはどういうことなのか?調べてみると驚愕の事実が分かった。

清水港の地形の変化

なんと江戸初期は赤で囲った範囲は陸地がなく、水神社の所は島みたいになっていたのである(赤の点が水神社)。巴川沿いの廻船問屋等は川沿いと言うより直接海沿いに並んでいたのだ。

江戸中期には徐々に巴川から流れた土砂が堆積と埋め立てによって、地図の新清水駅付近の陸地が下に伸び向島と呼ばれた。向島は新たに開発され建物は巴川の両岸に並ぶようになった。

江戸後期に起こった安政の大地震で陸地が隆起し、巴川は半分以下まで細くなった。この事で巴川沿いの港の機能は失われたので、明治に外洋に面した部分に新たな港が建設された。それが今の清水港・日の出埠頭の原型となったのである。

清水御殿跡

清水御殿跡

水神社から巴川を渡り少し進むと、保育園には似つかわしくない重厚な石垣が見えてくる。ここには徳川家康公の別荘、清水御殿があった。

当時はこの付近に巴川は無く清水御殿から海の景色を眺めるとことができ、対岸の松原を見渡せたと言われる。三保半島側の塚間の渡し近くにも貝島御殿が造られ、家康は舟遊びを楽しんだと言われている。

清水港水上バスの景色は天下人も楽しんだ絶景ということなのだ。

甲州廻米置場跡

甲州廻米置場跡

清水にはなんと山梨県があるらしい。「何を言っているか分からねーと思うが、オレも何をされたのか分からなかった」。

江戸時代、甲州(山梨県)は幕府の領地であり、甲州の年貢米は江戸へ送られていた。甲州から江戸までは富士川で駿河湾に出て一旦、写真の甲州廻米置場に集められ、千石船でまとめて江戸に送られていた。

甲州廻米置場跡

それが明治になったき、山梨県が静岡県から買い求め今でもこの付近は山梨県の土地となっているのである。

そのため、この付近の土地利用者は山梨県に賃借料を払っているのである。ただ土地自体は静岡県なので山梨県が清水市に納税しているという何とも不思議な土地となっている。

日の出埠頭

日の出埠頭

甲州廻米置場から海側に出たところにある日の出埠頭は、旅客船が発着する清水港の玄関口となっている。旅客船は富士山を望みながら入港し、その景色は日本三大美港である清水港の代名詞である。

エスパルスドリームプラザ

日の出埠頭にある複合商業施設エスパルスドリームプラザ。館内にはすし横丁や清水サッカーショップ、清水で一番の有名人ちびまる子ちゃんランドが入っている。

海の東海道

江戸時代、将軍の膝元である江戸と天下の台所である大坂を結ぶ東海道は今も続く交通の大動脈である。

江戸時代は陸送より海運がメインだったので、江戸と大坂の間にある清水港は重要な港であった。という事で海の東海道のモニュメントが設置されている。

清水港 全体マップ

日本平

最後に三保半島と清水港の絶景を眺められる日本平で今回の記事の締め括りとしたいと思う。日本平は清水港の西側に広がる丘陵地である。

以前の駿府歴史観光の記事で久能山東照宮の参拝後に訪れた。

日暮れ時の三保半島と清水港

暗くなりすぎると富士山が見えなくなるので、富士山が見えつつ街の灯りが灯るこのくらいの時間帯が一番映えると感じた。

日本三大美港(清水、神戸、長崎)の中でも、特に清水港は三保半島の独特の地形と富士山という唯一無二の山が他にはない魅力となっているのだ。

長文でしたが最後までお読みいただきありがとうございました!

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三保半島 清水港 富士山

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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