富士山世界文化遺産の構成遺産の一つとなっている三保松原。約7㎞の海岸に沿って約3万本の松と白い砂浜が続き、白砂青松と富士山の絶景は多くの芸術家を魅了してきた。
三保松原の美しさは三保半島の独特の地形が創り出している。半島は付け根のところから外海にではなく、内陸に向かって鳥の嘴の様に伸びている。
この様な地形を砂嘴といい、三保半島は3つの砂嘴が重なっている珍しい砂嘴で、3つの砂嘴なので三保と名付けられたともいわれている。
三保半島が創り出したモノは富士山の絶景だけではない。内海の折戸湾を抱きしめる様に伸びた三保半島は天然の良港・清水港を創り出し、その美しさは日本三大美港に選ばれている。(あと2つは神戸港と長崎港)
今回は富士山の絶景を巡りながら三保半島の独特の地形が創り出したモノを探って行こう。
三保半島の地形がもたらした3つの恵み
- 白砂青松と富士山の絶景
- 温暖な気候を生かした農作物
- 半島に守られた天然の良港
三保半島
まずは三保松原を目指し清水駅からバスに乗った。バスは三保半島に入るために折戸湾を南に迂回する。
20分ほどで三保半島に入ると県道199号が一直線に半島を貫いており、道の直線上に富士山の雄大な景色が現れた。
バスは富士山に向かって突き進んでいるようで、このまま麓まで行けるのではと思ってしまいそうになる。
御穂神社
松原に行く前に、まずは御穂神社に立ち寄った。三保松原には羽衣の松という天女が羽衣をかけたといわれる松があり、その羽衣の松を依り代として降臨した神を祀っているという伝承がある。
太古の昔は海の向こうに神様の世界あるという考え方があった(仏教の補陀落渡海、沖縄のニライカナイ等)。
三保松原では神様は海の彼方から羽衣の松を目印に現世に降臨され、羽衣の松と御穂神社との間にある神の道を通って御穂神社に鎮座された伝わっている。
2月に行われる筒粥祭(つつかゆさい)では三保松原で神を迎える神事が行われる。
降臨した神様は「ひもろぎ」という榊に宿り、それを神職の方が持って御穂神社にお祀りする。その後、社殿の前でお粥を大釜で大量に作って豊作を願うというお祭りである。
海から来た神様を人々の生活圏でお祀りするという意味合いがあったので、その為か社殿は松原とは逆方向を向いている。
神の道
羽衣の松に降臨した神様を御穂神社へ迎えるため通る神の道。一直線に並んだ松の木に木製の参道が先が見えないくらい続いている。
松の樹齢は200年~400年で何代か代替わりをしている様。少しでも長生きしてもらうため、松の根元を傷つけないように参道は少し地面から浮かしてある。
いつから神の道があったのか分からなかったが、御穂神社へ神様を誘うための道のため、御穂神社よりも古くからあったのではないかと思う。
基本的に松林は防砂防風の為に植林された人工林であり、江戸時代には御穂神社がある付近にも松林が広がっていたと言われている。しかしそんな内陸にまで松林を作る必要があるのか理由がよく分からなかった。
神の道を抜けるとお土産物屋などがある場所に出る。一瞬、松並木は途切れるがまだ先に続いている。
この階段を上がると三保松原の松林に入る。松林がある地形は少し高くなっているが、それは三保半島の成り立ちに関係している。
三保半島は西にある安倍川や久能山の砂礫が沿岸流で半島に運ばれて形成していった。
砂礫は半島の外側に溜まっていくので、外海側が徐々に高くなっていくというわけである。外海側とは逆に内海側の折戸湾に向かうと徐々に低くなっている。
松林には枝振りがうねりまくった松が至るところに。
その中に天女が羽衣をかけたといわれる羽衣の松があった。樹齢650年の2代目は衰弱が激しく2010年(平成10年)に世代交代したらしい。
この3代目の松は樹齢200年で人間でいうと40才くらい。世代交代する年齢としては丁度良い年頃かもしれない。
松林の向こうには海岸が見える。
羽車神社(はごろもじんじゃ)
羽衣の松の近くには御穂神社の離宮である羽車神社がある。小さな社だが厳かな雰囲気がする松林に向かって建てられているので、本殿よりも神聖な感じがする。
三保松原
広がる砂浜は安倍川の山奥や久能山から流れてきたとは驚きである。
海の向こうには伊豆半島が見える。関西から伊豆は行きづらく筆者はまだ行ったことがない。
丁度、清水港から西伊豆の土肥港(といこう)まで駿河湾フェリーが結んでいるので、乗りたい衝動に駆られてしまう。
視点を左へ転じると、三保松原から見る富士山の絶景が!しかしガイドブックなどでよく見る風景と違うような。実は場所が少しずれているのである。
手前が海、奥に富士山、間に三保松原という配置は海岸線に沿って右の方へ行った場所で撮影出来る。羽車神社から海岸線沿いに右に200mくらい行くとテトラポットがあるのでその付近である。
そこからだとこのベスト配置で富士山を見ることが出来る。
これがはるばる静岡までやってきて見たかった景色。
今回は12月に来たのだが、以前夏にも来たことがあった。その時はそこにあるはずの富士山は存在しなかった。
夏は湿度が高く湿気は光を遮り、遠くまで光が届きづらくなるため、見えなくなるそうだ。それを知らずに訪れたため、富士山が見当たらないことが狐につままれた様だった。
清水灯台(三保灯台)
松原を半島の先へ向かって進むと真っ白な灯台が見えてくる。松林に白が映える清水灯台は1912年(明治45年)に設置された、日本初の鉄筋コンクリート製の灯台であるらしい。
海岸沿いには遊歩道があり三保半島の突端まで行くことが出来る。ここまで来ると対岸に興津や薩埵峠が見える。
三保半島の突端
ここが三保半島の突端。松林はここまで続いている。松林は綺麗に円状になって左右に広がり、手前にはテトラポットが設置されている。
景観的にはあまりよろしくないが、半島と松林を守るためには必要なことらしい。
突端からの富士山もかなりいい感じ。船と富士山の組み合わせで撮ることが出来た。
先ほど紹介した清水港~土肥港を結ぶ駿河湾フェリーが清水港に入っていく。
清水港は三保半島が守る天然の良港であるため、特に水運が主流であった江戸時代には多くの船が行き交っていた。
歌川広重による三保半島の浮世絵。多くの帆船が駿河湾を行き交っている様子が描かれている。
三保半島の農業
海岸づたいに三保半島の先端まで行ったので、今度は町並を見るため引き返してきた。散策していると多くのビニールハウスが目に留まった。
三保半島はかなり温かい土地柄でそれを活かした野菜の促成栽培が盛んとのこと。筆者が訪れたのは12月末にもかかわらず10月くらいの気候で、もってきたコートが邪魔で仕方が無かったほどだった。
三保半島は促成栽培発祥の地と言われており、江戸時代から行われているとのこと。三保半島特有の黒い砂は熱をためやすく、ビニールハウスがない江戸時代から促成栽培を可能にしたのである。
ちなみに三保半島ではビニールハウスや畑がほとんどで、逆に水田が全く見当たらなかった。それもそのはずで三保半島は砂地で土がなく、川が一筋もないのである。
引用元:JAしみずホームページ
折戸地区で作られている丸くて可愛い折戸なすは三保半島のブランドなす。
徳川家康の大好物であった折戸なすは、徳川家康公を祀る「久能山東照宮」に初物の折戸なすを毎年奉納しているそう。
折戸なすは普通のなすに比べて収穫量が少なく、明治時代に一度栽培が途絶えていたらしい。それを平成になり研究を経て再び復活を果たしたそうだ。
瀬織戸神社(せおりどじんじゃ)
折戸地区は半島の付け根にあたり、一番細くなっている場所である。そこで瀬織戸神社という神社を見つけた。
創建は767年と言う事で今から約1250年前。御穂神社といい三保半島は相当古い歴史をもっている。
祭神は瀬織津姫で水神、海神と言われている。海に近いせいか港や入り江を意味する戸や津の文字が使われている。
しかし瀬の意味は川の浅瀬や海流の速いところを意味するが、この辺りには川はなく海流も速いわけではない。そこで外の神社の案内板を見てみると妙な事が書いてあった。
「瀬織戸の渡しあと」とは何のことなのか?
解説書きを見ると、なんと室町時代以前、三保半島は島であったと書いてある。ここは浅瀬の海で隔てられていて渡し船で渡っていたそうだ。
戦国時代の連歌師・里村紹巴の紀行文には三保から半島の付け根である駒越まで浜づたいに徒歩で渡ったとあるので、この時には徐々に島ではなく地続きになりかけていた模様。江戸時代には完全に繋がり半島になったそうである。
しかし江戸時代でも三保半島へは南へ大きく迂回するより清水から直に船で渡った方が便利なので御穂神社の参詣へは渡し船が連絡していた。
それが現在でも運航しているらしいので、それに乗って清水へ戻ろうと思う。
塚間の渡し
塚間桟橋には今も常夜燈と鳥居があった。この鳥居は御穂神社の一の鳥居で、鎌倉時代から続く御穂神社参詣のメインルートなのである。
鳥居や常夜燈よりある意味レアな電話ボックスがある。周りには民家が広がっており本当に今も機能している桟橋なのか不安になってくる。
桟橋は工場地帯に挟まれていて、壁で覆われているため海を見ることも出来ない。歴史案内の解説書きがかつてあった渡し船の雰囲気を強めてくる。
近くを探してみると鳥居の右横に時刻表が貼ってあるのを見つけた(写真を撮り忘れた)。
しかし日曜は運航していなく、平日も朝8時の次は17時25分発とふざけたダイヤになっていた。
これはこの付近にある工場で勤務されている通勤客に合わせているためである。神戸の和田岬線と同じようなタイプの路線ということで納得した。
ではどうやって清水港に戻るのかというと、ちゃんと昼間も渡し船が運航している航路がある。半島の突端近くにある三保のりばから出ている。
清水港水上バス
三保のりばには壁は一切ないので海と対岸が一望出来る。というか余計なものが何もなくシンプルに桟橋が伸びているだけの潔いつくりになっている。
時刻表は清水港水上バス公式ホームページへ
工場地帯の海にも関わらず、水が透き通っている。
出港して間もなくすると、大量のユリカモメにまとわりつかれた。
清水港では11月から3月末にかけてユリカモメ群れが飛来し、それが冬の風物詩となっているとのこと。この期間中はカモメのエサを買えるようになっている。
後ろから見ていると、カモメたちは飢えたハイエナの如くエサに有りつこうと集まってくるので、ちょっと怖いくらいであった。
カモメのいない隙を狙い富士山を撮影。有名な三保松原と富士山の構図とは違うが、海と松原と富士山の組み合わせで撮ることができた。
船内放送によると遠くに見える海上にあるクレーン(ガントリークレーン)は、全国で唯一富士山との景観を考慮し、青か白で塗装されているとのこと。
ガントリークレーンだけでなく清水港の港湾施設は青か白で塗装され、富士山を背後に抱く日本三大美港の景観を創っている。
JOYLと言えばさらさらキャノーラ油のパッケージで見たことがある。油の原料はオーストラリアやアメリカ等から輸入され、はるばる清水港に運ばれてくる。
清水港には多くの巨大タンカーが停泊している。どれも遠い外国から長い航海を経てやってきたものだろう。現代においても大量のモノの遠距離輸送には船が一番便利なのである。
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