葛城古道歴史観光 神話の時代の史跡が残る日本最古の道、葛城古道を辿る

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次の目的地、吐田極楽寺(はんだごくらくじ)まではかなり距離があり、徒歩で約50分となる。

一言主神社を出て杉並木の参道を東へ向かって下っていく。途中の二の鳥居を通り過ぎ、長い参道をさらに進み県道30号線の下をくぐる。すると大きな一の鳥居が見えてくる。ここが本来の一言主神社の入り口である。

そこを右折し南へ進むと、古い民家が立ち並ぶ名柄集落に入る。ここは名柄街道(葛城古道)と、水越峠を超えて大阪に出る水越街道が交差する宿場町で、ここで古代の雰囲気から江戸・明治の雰囲気に変わっていく。

宿場町を抜けてしばらく行くと右手に中学校が見えてくる。その次の十字路を道標に沿って右折し、再び山に向かった坂を上り田園地帯を進む。更に山裾に近づくと吐田極楽寺に到着する。

吐田極楽寺(はんだごくらくじ)

吐田極楽寺

吐田極楽寺は奈良時代の僧侶、一和僧都(いちわそうづ)によって951年に開山されました。

本堂にはこの場所から一和僧都が発掘したという仏頭が本尊として祀られていたが、1614年興福寺の戦国大名筒井順慶によって焼き払われてしまった。その後は仏頭に替わって本尊となった阿弥陀如来が祀られており現在に至る。

外観
天得堂

毎年4月15日には天得会式が行われ、天得堂の本尊、天得如来絵が御開帳されるようだ。

鐘楼門

ここの鐘楼門は下の部分に対して屋根がかなり大きくなっておりアンバランスになっている。他ではあまり見たことがないのだが、地震や台風で崩れたりしないのだろうか。

美しい庭の中には明治時代のガス灯の様なランプが立っていて、古代から近代へ戻ってきたように感じさせる。

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地図

次の目的地、高天寺橋本院(たかまでらはしもといん)までは徒歩で約15分。

吐田極楽寺を後にし次のスポット、高天寺橋本院に向かう。極楽寺を出ると更に山側に上っていく。途中山道になり、そこを抜けると視界が広がり高天寺橋本院の庭園が目に入ってくる。

高天寺橋本院(たかまでらはしもといん)

鐘楼と六角堂(慈恩堂)

高天寺橋本院は日本神話の高天原の伝承地とされる場所にある高野山真言宗の寺院である。718年、高天山登拝のために訪れた行基上人は、この地を霊地と感じ開山した。

本堂
蓮の池に浮かぶ仏陀像

ネットの情報によると、本堂には上人が刻まれた十一面観音像が本尊として祀られており、江戸時代に修復され金箔が張られた美しい仏像とのこと。筆者が訪れたときは見ることは出来ず、毎月21日が御開帳となっている様だ。

高天原の碑

この寺院は花の名所になっていて、春は桜、夏は紫陽花、秋は彼岸花が特に有名。しかしこれも時期が外れていたため見ることが出来なかった。

寺院の山側には高天原の石碑があり、ここからはいよいよ神話の世界に突入する。

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地図

次の目的地、高天彦神社(たかまひこじんじゃ)まで徒歩で約10分。

神話の伝承地、金剛山白雲岳の中腹にある高天彦神社を目指す。坂を上り進むと民家が見えてくる。そこから暫く進むと今回の旅の最高地点、標高441mにある高天彦神社に到着する。

高天彦神社(たかまひこじんじゃ)

高天彦神社

高天彦神社は背後の金剛山白雲岳を御神体としており、創建年代は不明。社殿の概念が出来る前から、山を神奈備山として崇めていたと云われ、日本の山岳信仰の原点となっている古社である。

また古代葛城氏の祖神で、天孫降臨神話に登場する高皇産霊神(たかみむすびのかみ)を祀っており、葛城氏の歴代王を祀っていると云われている。

神社への参道

樹齢数100年の杉並木に通された参道は舗装はおろか、石畳にもなっていない。奥に見える古社はこの辺りの自然を神としたアニミズム精神の象徴の様に感じる。

鳥居手前の老杉のうろの中にも神様がいらっしゃった。

鶯宿梅

高天彦神社を出て参道を通り抜けた先には、鶯宿梅と言う梅の木がある。奈良時代、ある僧の年若い弟子が亡くなり、僧は嘆き悲しんだ。その時、この梅の木に鶯がとまり

「初春の あした毎には 来れども
  あはでぞかえる もとのすみかに」

と鳴いたという。そこでこの梅の木を鶯宿梅という様になった。

地図

次の目的地、この旅のラストを飾る高鴨神社まではやや距離があり、徒歩で約35分。

鶯宿梅から坂を下っていくと、右手に高天彦神社のシンプルな形の鳥居が見えてくる。これは鳥居が現在の形になる前の形だったと言われている。

鳥居を過ぎ山を抜け視界が開けると広大な段丘水田が広がっている。この付近には金剛山を水源とした葛城川やその支流が流れ落ちており、葛城で最も古くから水田作りが始まったところだと言われている。

高鴨神社の近くの段丘水田

ここからはルートがややこしく道標がないところがあるので、当サイトの地図を参考に進んで頂きたい。水田と民家を抜け、森を抜けると高鴨神社に到着する。

高鴨神社(たかかもじんじゃ)

高鴨神社 鳥居

高鴨神社は全国にあるカモ(鴨、加茂、賀茂)神社の総本社で、葛城王朝の名門豪族であった鴨氏の発祥の地になっている。

鴨氏は祭祀を司っていた一族で、縄文時代からこの神社で行われていたという、日本最古の神社の一つである。主祭神は阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)で別名、迦毛之大御神(かものおおみかみ)ともいい日本神話に登場する神様で、大御神と名がつく神様は天照大御神と伊弉諾大御神と、そしてこの迦毛之大御神の三神しかいない。

日本誕生の原点である前二神と並ぶということは、鴨氏は朝廷にかなり強い影響力があった一族だったと考えられる。

高鴨神社 本殿前

本殿手前の鳥居と巨大な御神木。高天彦神社とはまた違って、凛とした神秘性を感じさせる。ここより先は写真撮影禁止である。

元々、「カモ」と「カミ」は同一語といわれており、それらの語源はお酒の「かもす(醸す)」に遡る。

最も原始的な酒造りは、お米を口で嚙んで吐き出したものを発酵させて造った口噛み酒である。口で噛むので「かむ、かみ」から「かもす」に派生したと言われており、日本において口噛み酒は神に仕える巫女がその役目を担ったと言われている。

また「かもす」は雰囲気を醸し出すと言う使い方もされる。高鴨神社の神域は鉱脈の上にあるため、多くの気が放出されており、鴨氏はそれを強く感じとる感受性を持った一族だったと言われている。

鴨氏からは修験道の開祖・役小角、陰陽道の大家で安倍晴明の師・賀茂忠行、方丈記の作者・鴨長明などの著名人を輩出した。現在も神社の宮司は鴨氏に繋がる方が務められておられるということで、本当に古代と繋がっていることを目の当たりにした。

縄文時代から今も朽ち果てる事なく地元で篤く信仰されている神社、受け継がれてきた行事、連綿と続く血筋、変化のスピードが上がってきている時代の中で、3000年間変わらないものがあると言うのは、不変の秩序と営為の美しさがあり、そこに人が生きる誇りを感じた。

高鴨神社 本殿遠景

6月の紫陽花が咲いており、池の向こうで緑に囲まれて厳かに佇んでいる本殿は、清々しい神気で充溢している様に見える。

神社の説明版
境内の案内図

神社は本殿を中心に東側と西側に分かれており、沢山の摂社、末社がある。右下の花壇では毎年4月下旬~5月上旬にかけて日本さくら草祭りが開催される高鴨神社では3代前の宮司の代から約500種類のさくら草を保存、育成しており、開花期には2000株の花が咲き乱れ高鴨神社の魅力の一つとなっている。

公式ホームページへ

葛城の道歴史文化館・そば小舎

葛城の道歴史文化館

高鴨神社の隣には「葛城の道歴史文化館」がある。葛城古道や鴨氏関する資料が展示されている小さな資料館で、無料で拝観できるので、休憩処としても利用出来る。

また1階は蕎麦屋になっており、鴨で出汁をとった「鴨汁そば」が名物となっている。非常に大人気で売り切れ次第終了となっているようだ。

そば小舎 食べログのページへ

地図

旅のゴールとなる葛城古道の南の終点、風の森峠までは徒歩で約12分。

高鴨神社鳥居前の道を南へ直進し、古代から葛城の地を潤し続けている葛城川を渡る。途中十字路を左へ曲がり坂を下っていく。次の角を右へ曲がると、広大が畑が広がり遠くには五條市との境になっている山々が見渡せる。鉄塔の手前で右へ曲がり道なりに進むと県道168号線に合流しゴールの風の森峠に到着だ。

ここは大和盆地の南端部で、東西の山がここで収束して五條市に向かって山の回廊が続いている南側の五條市からは紀ノ川に沿って吹きあがったきた風、北からは大和盆地から吹いてきた風が風の森峠に集中する。その為、風が吹いていることが多く風の森峠と言われる様になった。

長旅お疲れ様でした。近くにバス停があるので帰りはバスで近鉄御所駅方面へ戻ることが出来ます。

地図

葛城古道ルートマップ

最後に葛城古道ルートマップを載せておきます。左上の猫の左の→をクリックしますと、番号に対応した歴史スポットが表示されます。散策の際はご活用いただければ幸いです。

葛城古道へのアクセス

鉄道🚃 
・近鉄御所線近鉄御所駅下車。
・JR和歌山線御所駅下車。

🚙
・西名阪自動車道、香芝ICから約15㎞。約25分。

長文でしたが最後までお読みいただきありがとうございました!

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葛城古道 高鴨神社

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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