伊勢神宮歴史観光2 新たな魅力を再発見!江戸時代のお伊勢参りを辿る(内宮編)

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朝熊山

朝熊岳金剛證寺(あさまだけこんごうしょうじ)

仁王門

寺は山の頂上付近にあり、今はすぐ近くまでバスで登ってくることが出来る。

建立は不明だが、空海によって真言密教の道場として中興された。神仏習合により伊勢神宮との結びつきが強くなり、伊勢神宮の鬼門に位置していることから伊勢神宮を守る寺となった。

連間の池と太鼓橋

仁王門をくぐり境内に入ると、小さいながら赤が映える太鼓橋がかかる池が目に飛び込んでくる。

この池は連間の池といって橋の右側が比岸(迷いの世界)、橋を渡った小さな御堂がある場所が彼岸(悟りの世界)を表現しているそう

雨宝堂

御堂(雨宝堂)は高床式倉庫の様になっており、伊勢神宮との繋がりを感じさせる。

それもそのはずで、この雨宝堂に祀られている雨宝童子像は、なんと大日如来の化身である天照大御神が日向国に降り立った16歳のお姿を空海が刻まれたと解説書きにあった。これぞ神仏習合という解釈である。

御堂に付けられている幕には何故か徳川家の家紋「葵の御紋」が印字されている。ここ以外にも境内には多くの場所で葵の御紋を見つけることが出来る。

江戸時代、徳川幕府は伊勢神宮を重視し金剛證寺が幾度の火災に見舞われた時その都度、再興の援助をしていた。そのため、葵の御紋の使用が許されていたそうである。

開山堂

雨宝堂の後ろには、侘び寂びといった感じの庭園が広がりその向こうには空海を祀った開山堂がある。

開山堂

写真を拡大すると、開山堂の屋根の横の三角形の頂点と左右の辺の部分に大量の葵の御紋が。

手水舎と本堂

太鼓橋の右側、比岸(迷いの世界)に戻ってきて道なりに行くと、左側に手水舎があり階段の上には本堂がある。

本堂

本堂の摩尼殿は1609年(慶長14年)に再建されたもので重要文化財に指定されている。御本尊は日本三大虚空蔵大菩薩の一つ。伊勢神宮の式年遷宮の翌年に御開帳されるとのこと。

智慧寅

本堂前には智慧寅と福丑の像が鎮座している。伊勢神宮から鬼門である北東は丑寅にあたるので丑と寅であるらしい。しかしそもそも伊勢神宮内宮から見ると朝熊岳金剛證寺はほぼ真東にある。これは一体どういうことなのか調べてもよく分からなかった。

福丑

こちらは福丑。頭の上に福の神をのせており、福の神が鬼太郎の目玉のオヤジみたいになっている。

この智慧寅と福丑に触れることで、運と智慧と健康が増進するらしいので触ってみた。色が剥げて茶色になっている顔の部分は特にツルツルしていて、多くの人が智慧を得ようと頭を撫でてこうなったらしい。筆者もそれにあやかってみた。

明星堂

本堂から少し奥にある明星堂が、伊勢神宮の鬼門除けのためのお堂になっている。

極楽門

明星堂から道なりに坂を登っていくと極楽門が見えてくる。ここからが奥之院となっており、この先に金剛證寺で一番の見どころがある。門をくぐりしばらく行くとそこには。

奥之院への参道

大量の巨大な卒塔婆が壁の様に連なっているという異様な光景が。筆者の知識では卒塔婆とはお墓に脇に立ててある木の板のことで少々不気味なイメージを持っていた。

しかしネットで調べたところ、卒塔婆とは生きている人が親しかった故人の幸せを願うためにあの世へ送るメッセージの様なものとあった。

奥之院への参道

そう考えると、この場所は故人への思いに溢れた温かい場所に見えてきた。

親しい人を失った悲しみともう二度と会えない事実、卒塔婆はその矛盾を乗り越え心を納得させるために存在すると思った。

九鬼嘉隆公の五輪塔

卒塔婆ゾーンには戦国時代、海賊大名として名をはせた九鬼嘉隆公の五輪塔があった。織田信長の命で鉄甲船を建造したことで有名。

ちなみに五輪塔も卒塔婆の一種であり、元々卒塔婆は仏教の本場インドでストゥーパと呼ばれており、高い仏塔のことであった。

法隆寺や東寺の五重塔がそれで、ストゥーパを模して簡略化したものが卒塔婆なのである。

御木本幸吉のお墓

九鬼嘉隆の五重塔の隣には、世界初の真珠の養殖を成功させたことで有名な御木本幸吉のお墓があった。墓石は真珠の様に丸くなっている。

奥之院

卒塔婆に導かれた先、奥之院に到着。しかしちょうど閉門の時間だったようで、筆者がお参りするのを少し待っていただけた。ここまで車で乗り入れ可能みたいでお堂を閉じられた後、お坊さんは車で帰って行かれた。

ホームページは無い様なので伊勢志摩スカイラインのページへ

金剛證寺を参拝した後は、お伊勢参りのラストに相応しく伊勢志摩の全てを見渡せる朝熊山頂展望台へ向かった。展望台は寺から少し登ったところにある。

朝熊山頂展望台

鳥羽方面

鳥羽の島々とリアス式海岸が一望出来る。こんな景色を見ていると、帰るのを延期して鳥羽の方へ足を延ばしたくなる。

志摩方面

こっちは志摩方面。山と海のみが広がっている。

伊勢市方面

こっちが伊勢市方面。志摩方面とは逆に広い平野が広がっており、それを創り出した五十鈴川が蛇行する様子がよく分かる。さすがに伊勢神宮は見えないが今回巡った場所を見渡すと、旅の記憶が反芻されスッキリとした気分で家路につける。

この後、筆者はバスで五十鈴川駅に戻り近鉄電車で帰洛したが、江戸時代の人々のこの後は精進落としをするために古市遊郭に繰り出すのであった

地図 朝熊岳登山ルート

地図には江戸時代からの登山ルートも載せておいた。自らの足で登られる方はご参考に。

バスをご利用の方は三重交通バスホームページへ

伊勢へのアクセス

鉄道🚃 
・JR参宮線伊勢市駅下車。
・近鉄山田線伊勢市駅もしくは宇治山田駅下車。

🚙
・伊勢自動車道・伊勢西IC下車。約5分

長文でしたが最後までお読みいただきありがとうございました!

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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