伊勢神宮歴史観光2 新たな魅力を再発見!江戸時代のお伊勢参りを辿る(内宮編)

目次

宇治・おはらい町

おはらい町

猿田彦神社のすぐ近くからお伊勢参り最大の観光地、おはらい町が内宮の入り口まで800mに渡って続いている。沿道には江戸時代、宇治山田で一般的だった「妻入り」の木造建築が立ち並んでいる。

外宮の門前町・山田のところでも触れたが、山田と比べるとおはらい町はいつ行っても凄い賑わいで、町並みも江戸時代の様な雰囲気が残されていて観光地として魅力が圧倒的に勝っているのである。

しかし山田で述べたように昔は交通の利便が良い山田の方が賑わっていたのである。

おはらい町にあるおかげ横丁

特におはらい町が不遇の時代だったの1970年代の高度経済成長期の間だった。駅から遠いと言うハンデをバスや駐車場を整備して内宮入口まで簡単に来られるようにしたことで、内宮の参拝客の増加に成功した。

しかしおはらい町が素通りされることになってしまい、おはらい町は「日本一の滞在時間が少ない観光地」と揶揄されていた

その原因は、伊勢の伝統的な建物が空襲で焼かれ、近代的な建物で復興したため観光地としての魅力を失ってしまったのである。

赤福本店

そこで伊勢の老舗和菓子屋・赤福が立ち上がり、伊勢の伝統的な建築が立ち並ぶ町並みの再現に取り組んだ

特に赤福本店の向かい側にある「おかげ横丁」は伊勢の伝統的な建築を再現、移築し江戸時代の町並みを創り出している。

この取り組みは大成功をおさめ、以前は20万人に落ち込んだ観光客は2000年代には400万人を突破し、かつてのお陰参りの賑わいが戻って来たのであった

伊勢神宮の前にある門前町だから、大勢の観光客で賑わっているのは当たり前だと思っていたが、歴史を紐解くと町を守ろうとする人々のドラマがあるということに気付かされた。

伊勢神宮内宮(皇大神宮)

内宮入口

おはらい町を抜けると大きな鳥居が待ち構えており、お伊勢参りのハイライト、伊勢神宮内宮に到着する。鳥居のすぐ先には五十鈴川が流れており宇治橋がかかっている

見ての通り外宮とは逆に右側通行になっている。理由としては手水舎がある位置に準ずるらしい。外宮は左側、内宮は右側にある。

皇大神宮(内宮)案内パンフレット
宇治橋横の橋脚

この橋も式年遷宮で架け替えられると聞いていたので、横にある杭が橋の付け替えの時の橋脚だと思っていた。そうではなく、木除杭といって五十鈴川が増水した時、上流の流木が宇治橋に当たることを防ぐ役割をしているそう。

内宮 神苑

橋を渡って、右に曲がると広い参道があるのでそこを真っすぐ進んでいく。参道の右側には神苑と呼ばれる庭園がある。内宮は森に囲まれた場所が多いのだが、ここだけ広い空間を作り出している

実は江戸時代、ここもおはらい町が広がっていたのだ。しかし明治時代、神域内に俗なものが存在することは、神宮を穢すことになるという理由で全て立ち退かせて、跡地に庭園が造られたという経緯があった。

庭園ゾーンを過ぎ、小川が流れており火除橋を渡り、手水舎が見えてくる。二度目の川を渡りここに手水舎があると言うことは、ここからが真の神域となる

五十鈴川御手洗場

内宮は手水舎ともう一つ禊ぎをする場所がある。五十鈴川御手洗場は川で直接、禊ぎが出来る様になっているのである。今は手と口だけでいいのだが、昔は全身を禊ぎしていたそう。

五十鈴川御手洗場

古来、どの神社でも禊ぎは川や海で行われるものだったが、水質の変化等で多くの神社では川や海の代わりに手水舎が設置されるようになったらしい。しかし内宮では古来の風習が続いているのである。

五十鈴川

透明でいかにも清浄そうな五十鈴川。今もこの水質が保たれているからこそ、古来の風習を今に残すことが出来ている。

瀧祭神

五十鈴川御手洗場のすぐ近くには瀧祭神がある。ここは御正宮に行く前に行くのが正式ルートとなっている様。しかし脇道に逸れた場所にあるためか、誰もいなかった。筆者も今回、初めて見つけた。

瀧祭大神という五十鈴川の水の神様を祀っており、この場所は五十鈴川と後ろに流れる島路川の合流点で治水の神様である。

御正宮への参道

御正宮へ向かって、木立が立ち並ぶ参道を進む。ここは五十鈴川と島路川の河岸段丘であり、左側は段丘崖となっている。

参道の右側

参道の右側は下がっており、木立の向こうには島路川が流れている。

内宮御正宮

遂に内宮御正宮に到着。御正宮は地盤の固い河岸段丘の更に高い段丘面に鎮座しており、筆者がいる参道が低い段丘面となる。倭姫命は選んだ場所は理想的な地と言える。

御祭神はご存知の通り天照大御神、御神体として三種の神器「八咫鏡」が祀られている。ここはどの神社よりも遂に御正宮に辿り着いたという感じがあるので、正宮が醸し出す清々しい雰囲気にゆっくりと浸りたくなる。参拝後しばらく社殿や周りの風景を見つめていた。

鳥居の中はもちろん撮影は禁止となっている。

御正宮 古殿地

こちらも御正宮の隣には古殿地があった。

荒祭宮の途中にある巨木

御正宮を後にし、別宮を巡っていく。御正宮のある段丘を一度下りて、隣にある階段を上がり再び段丘面へ。荒祭宮へ向かう途中に内宮でもっとも樹齢の長い巨木がある。直径が10mもあり樹齢は400年~900年はあるとのこと。

御稲御倉

神宮神田で収穫された稲を保管する倉。一見ただの高床式倉庫に見えるが、御正宮と同じ唯一神明造で造られている御正宮は見ることが出来ないので、唯一神明造を間近で見ることが出来る

特徴として主に次の4つが挙げられる。

  • 屋根の上に鰹木(かつおぎ)という木が置かれている。
  • 高床式で外に棟を支える棟持柱(むなもちばしら)がある。
  • 柱の下に石を置かず地中に突き刺さっている。
  • 入口が正面にある。
荒祭宮

荒祭宮は内宮の荒御魂を祀っている。御正宮のちょうど裏手に建っている。

島路川

次は島路川を渡り風日祈宮(かざひのみのみや)へ向かう。ここは内宮で唯一、川の対岸に建っている。

風日祈宮

農耕にとって大切な風雨を司る神様で元々は末社だった。しかし元寇の時、神風を起こし日本を守ったということで別宮に昇格した、何故ここだけ対岸に建っているのか謎である。

再び橋を渡り次の別宮に向かう。

左は子安神社、右は大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)

2つの小さく可愛い神社が並んで建っている。左の子安神社は安産の神様、右の大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)は山の神様を祀っており、他の土地でも見かけた覚えがある。

宇治橋

内宮から出る前に宇治橋を見渡せる絶好のスポットがあるので、立ち寄るのを忘れずに。

おはらい町 二光堂

二光堂

参拝を終え、再びおはらい町に戻って来たらちょうど昼前になったので、お昼ご飯にした。前日は伊勢うどんを食べたので、もう一つの伊勢名物「てこね寿司」を食べようと、ネットで店を探してみた。

しかしかなりの人出なのであまり店を選り好みしていられず、内宮から近い二光堂に入ることにした。幸いまだ昼前だったためか、そこまで待たずに入ることが出来た。

手こね寿司

人生初の「手こね寿司」が目の前に。てこね寿司は醤油ダレに漬け込んだマグロやカツオを酢飯に乗せた伊勢志摩の郷土料理。漬け丼とよく似ているが、漬け丼は普通のご飯でてこね寿司は酢飯となっていた。

普通の刺身とご飯はそんなに合っていないと思っていたが、旨味溢れた醤油ダレに漬け込んであって、それが酢飯にピッタリ合っていて、むちゃくちゃ美味かった。量もちょうど良くて大満足。

宇治神社

宇治神社

伊勢の海の幸を味わったところで、次は今はあまり知られてないが江戸時代は多くの人が訪れていた神社に行ってみる。内宮の駐車場を少し五十鈴川沿いに南へ行ったところに宇治神社がある。

というのもこの宇治神社は足の神様を祀っているのである。江戸時代以前の移動は徒歩が基本だったので足の疲労平癒を祈る人が多かったのだ。

参拝客は少ないが、大量の足神さんののぼりが出迎えてくれる。

右にある絵馬を奉納する場所に大量のわらじがぶらさげてある。宇治神社では病気平癒の祈願や無事回復した時にはわらじを奉納する習わしがあるらしい。奉納してあるわらじは現代の人のものなのだろうか?

石段の下の左端に撫石という石が置いてある。解説によると、足を撫でてから撫石を撫でることで、石に足の災いを移し足の災いを取り除く効果があるとのこと。

本殿

近年では、伊勢出身のマラソン選手の野口選手がアテネオリンピック前にお祈りをして、金メダルを獲得されたということもあり、スポーツ選手の聖地としても有名になっているそう。

大水神社

大木神社のクスノキ

内宮近くにもう一ヶ所面白そうな神社を見つけた。内宮の駐車場のすぐ横の山を少しあがったところの大水神社である。

そこには超巨大なクスノキがあった。

大木神社のクスノキ

横の石垣と融合していて壁みたいになっている太い幹から何本もの枝が伸びている。枝自体が普通の木の幹の太さくらいある。

特に注連縄をとかされていないので御神木ない様だが、ちょうど後ろにある建物が大水神社の本殿なので、この大クスノキを拝む形になっている。

大木神社 社殿

後ろのクスノキの存在感が尋常ではない。他のクスノキも見事な大木でこの境内の主役は巨大なクスノキ達という雰囲気。

おはらい町 へんば餅

へんばや おはらい町店

次の場所に向かう前に、おはらい町によって何かお菓子を食べることにした。

江戸時代の人々は徒歩旅行のため、非常に多くのカロリーを消費した。そのため伊勢には多くの名物菓子があり現在も人気のお土産となっている。特に次はハードな場所にあるので糖分をしっかりとっておく必要がある。

冒頭の宮川で触れたへんば餅屋をおはらい町で見つけたので、入ってみることにした。

へんば餅

平べったい丸いお餅に焼き色がついていて、中にはあんこが入っている。あんこの甘さが程よくて、特に餅にコシがあって食感が良かった。

ちょっと食べたりなかったが、次の場所へ向かうバスの時間が迫っているので、近鉄五十鈴川駅のバス停へ向かった。

江戸時代の伊勢音頭に「お伊勢参らば朝熊かけよ、朝熊をかけねば片参り」という一節があり、お伊勢参り最後の参拝地は伊勢神宮の鬼門の位置にある朝熊岳金剛證寺(あさまだけこんごうしょうじ)であった

朝熊山は標高555mあり江戸時代の人々はお伊勢参りで散々歩いた上に、最後に山登りをしていたのだ。

しかし筆者は次はハードな場所だからと餅まで食べたくせに、バスで山を登った。

地図 おはらい町から内宮

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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