伊勢神宮歴史散歩 新たな魅力を再発見!江戸時代のお伊勢参りを巡る1(外宮編)の続きです。よろしければ外宮編もご覧ください。
古市参宮街道からおはらい町へ
古市参宮街道
内宮編で通った二見浦と内宮方面との別れ道である小田橋から内宮へ向かう。ここから内宮方面に向かう伊勢参宮街道は古市参宮街道とも呼ばれている。
外宮と内宮の間には間の山(あいのやま)と呼ばれる小高い丘があり、現在はそれを避けるように御木本道路(県道32号線)、御幸道路が開通している。しかし江戸時代には丘を越えるルートの古市参宮街道が唯一の道だった。
写真の様にかなりの坂になっている。
坂を上っていると「間の山 お杉 お玉」という石碑を見つけた。これは江戸時代の超有名女性芸人の名前で、この付近にお杉お玉の興行小屋があったらしい。
この先にある伊勢古市参宮街道資料館にある、お杉お玉の解説。
左上の浮世絵に描かれているように、2人組ではなく数名のグループで三味線や二胡を弾きながら唄を歌うというもので、メンバーの若い女の子は入れ替わり立ち替わりしていたらしい。
まんま今のAKBや乃木坂やん。
旅行に来て財布の紐が緩くなった旅行者からかなりのおひねりをもらえたみたいで、伊勢に大人気アイドルの興行小屋あったというのも頷ける話である。
近鉄電車とオーバークロスする。
その横には油屋跡という石碑があった。ここ伊勢古市は日本五大遊郭の一つであり、油屋は古市三大妓楼の一つであったらしい。
参拝を済ませた人々の精進落としの場として、全盛期には約70軒の遊郭が連ね、1000人もの遊女がいたとのこと。
しかしそれらは交通の発達、火事、戦争の空襲などで遊郭は古市から全て姿を消してしまった。
江戸時代中期にこの油屋で油屋騒動と言われる殺傷事件が発生したらしく、これを歌舞伎にした「伊勢音頭恋寝刃」は大人気を博し、今も上演されているよう。
麻吉旅館(あさきちりょかん)
遊郭だけでなく、料理屋や旅館も全て姿を消したが、唯一、当時のままで営業している料理旅館が麻吉旅館である。
いつ創業されたかは不明だが江戸時代中期にはすであったらしい
旅館の横の道は階段になっており、間の山の斜面に建っている。
階段下から見上げる。昔はこの様な階段状にある建物の風景が古市のあちこちに見られたのだろう。
坂は別世界との境界線となる働きがあり、静寂と謹厳の伊勢神宮が坂を登ると、打って変わって喧騒と享楽の歓楽街が広がっているという、聖から俗へ変化が面白い。
階段の上にある、渡り廊下がイイ感じ。いつか宿泊して廊下からの景色を見てみたい。
伊勢古市参宮街道資料館
上で紹介した当時の古写真などが展示されている資料館。
館内はそれほど広くないが壁中に資料が展示されており、そこそこのボリューム感があった。
古市遊郭の歴史や特色についてかなり詳しい解説があり、歴史の教科書には決して載らないお伊勢参りの裏歴史が客観的事実として語られている。
お伊勢参り一つとっても様々な側面があり、特に今失われてしまったものにこそ光を当てることに歴史の意味があると思う。
資料館を過ぎしばらく行くと、下り坂があり、俗から聖の世界へ戻っていく。
牛谷坂と呼ばれる下り坂の途中には、大きな常夜燈があった。いつからあるのか分からなかったが、建立者の住所に東京神田旭町とあるので、明治以降と思われる。
猿田彦神社
牛谷坂を下りきると、猿田彦神社が鎮座している。ここは二見興玉神社にも祀られている猿田彦大神の総本社となっている神社である。
猿田彦大神だけでなく、倭姫命に内宮建立場所を進めた猿田彦大神の子孫・大田命も祀っている。
本殿の手前にある古殿地。
驚くべきことにこの神社の宮司である宇治土公(うじとこ)さんは大田命の子孫であり大田命の時代から先祖代々、宮司を務められていると言う。
宇治土公という性は全国でも10人ほどしかおられず、そのほとんどが三重県伊勢市のみ存在している。
猿田彦神社の境内内にある佐瑠女神社は天宇受売女(アメノウズメ)を祀っている。
天宇受売女は天照大御神が天岩戸に隠れたとき、岩殿前で踊って天照大御神の興味を引き天岩戸から出したことで有名。
一説では猿田彦大神と結ばれたと言われる。そのことから猿田彦神社に祀られている。
ここまでくれば伊勢神宮最大の観光地「おはらい町」はもうすぐそこ。
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