近江商人屋敷
五箇荘には数々の近江商人屋敷が大切に保存され、幾つかのお屋敷は見学することが出来る様になっている。その中で五個荘を代表する四軒の屋敷を訪れた。
中江準五郎邸
中江準五郎は今となっては知る人の少ない幻の百貨店「三中井百貨店」を創業し、朝鮮・大陸の百貨店王と呼ばれた中江四兄弟の末弟である。
中江四兄弟、成功と失敗の物語
始まりは長男の勝治郎が五箇荘に創業した三中井呉服店で、四兄弟は次に出す支店の候補地として、ビジネスチャンスを求め朝鮮半島に渡った。
1905年(明治38年)に今の韓国の大邱に大邱店を出店し、1911年には本拠地を京城(今のソウル)に移して三中井商店を設立した。そこを皮切りに次々と店舗を拡大し、満州・朝鮮半島に18店舗を持つチェーン店を作り上げた。
その後、勝治郎はアメリカに渡りそこで見た近代都市に感動を覚え、特に大手百貨店の豪華さ、綺麗さ。商品の豊富さ等に驚愕した。これを三中井商店に取り入れる事を模索し、1933年(昭和8年)、京城に三中井百貨店が誕生する。
地上6階地下1階の白亜の巨大近代ビルで店内中央には朝鮮で初めてのエスカレーターが設置された。他の支店も次々に百貨店に改装し、当時日本最大の百貨店「三越」を売上額で追い越し、「朝鮮・大陸の百貨店王」と謳われた。
しかし1945年(昭和20年)、日本の敗戦により対外資産を全て失う事となり、三中井百貨店も例外ではなかった。資産の殆どを失った中江家は五個荘に戻り、せんべい屋を開業した。
数年後に洋菓子店に転向し、現在は彦根の夢京橋キャッスルロードで営業している。取り扱い商品や店舗規模等は時代の波の中で激しく移り変わったが、店のシンボルマーク「井桁菱」は変わらず受け継がれている。
どんな形でも、今も店として営業中であることを知って、何故だかホッとした気分になった。名物は「オリンピア」というロールケーキで、彦根に行ったときは立ち寄ってみたい。
三中井の紹介サイト→夢京橋キャッスルロード、食べログ
引用元:東近江市公式観光サイト
昭和の雰囲気が残る室内。
障子の向こうに見える庭は広くて美しい池泉回遊式庭園となっている。庭からも見える白壁と船板塀の建物が、寺や大名庭園とは違う雰囲気を醸し出している。
2階から庭園を眺めると隣の家も見え、統一感がある瓦屋根が良い感じ。
邸内には中江家の事業の栄枯盛衰が解説パネルで説明されていた。その中で印象に残った言葉が近江商人の経営哲学である「三方よし」。
三方よしとは「売り手良し、買い手良し、世間良し」と言う意味で、自らの利益だけを追求するのではなく、多くの人に喜ばれる商品を提供し、それで得た利益で世間にも貢献する、それが結局は息の長い商売を可能にする鉄則だと言われている。英語で言うwin-winに三者を加えてTriple winとでも表現され、現代でもこの考えを重視している企業も数多くあるという。
近江商人がこの考え方を生み出した理由としては、他国でビジネスをする事が多い近江商人にとっては、自らの利益だけを追求し、その土地の人間や社会をないがしろにする様なやり方は、無用に敵を作りビジネスの不利益を生んでしまう。
それを避けるために相手やその社会にとっても有益になる商売のやり方を生み出したと言うわけだ。
外村繁邸
外村繁は五個荘が生んだ小説家で、「筏」「草筏」「花筏」など近江商人の世界を描いた作品や、「落日の光景」「澪標」などの自らの人生を描いた私小説を数多く残している(幾つかの作品は青空文庫で閲読可能となっている)。
筆者は不勉強の為、拝読していないのだが、邸内の外村繁文学館では生い立ちや作品の特徴、生前のインタビュー記事がパネル展示されていて、人物や作品の雰囲気を掴む事が出来た。
外村繁の作品の底流には浄土真宗の信仰に基づく仏教文学が流れており、それはかつて近江門徒と呼ばれた様に滋賀県は浄土真宗が多い土地柄であることに根差していると言われている。
外村繁は五箇荘を「川と白壁の村」と呼び、作家にとって土地は物語を生み出すトリガーの様なものであるため、外村繁にとって五箇荘こそがその様な土地だったことが良く分かる。
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青空文庫作家リスト、外村繁のページへ
文学館は蔵を改造して造られており、邸内から直接行けるようになっている。
外村繁邸は江戸末期に建てられた建物。かまどの部分が煉瓦造りなっていて明治時代の雰囲気を色濃く残している。
大きな松の木が印象的な庭園。装飾的ものはなく自然体で素朴な雰囲気。文学館で感じた外村繁の雰囲気や人柄と重なり合う気がした。
藤井彦四郎邸
藤井彦四郎は人工絹糸(レーヨン)を日本に広めその市場を築いた人物。自身も1907年(明治40年)に藤井糸店(現・藤井株式会社)を創業し、軽くて膨らみのある毛糸「スキー毛糸」はヒット商品となった(現在は株式会社元廣から発売されている)。
藤井彦四郎邸は町の中心部から少し離れたところにあるせいか、4ヶ所の邸宅の中で最も広い敷地面積となっている。立派な洋風の門扉があり、入口から豪邸の雰囲気が漂っている。
右側の建物は総ヒノキ造りの客殿で皇室の方々や歴代の総理大臣も訪れ歓待したと言う超VIPなお屋敷。
左側の建物は彦四郎がスイスを訪れた際、滞在したロッジを非常に気に入り、それに倣い建てられた。しかし当時の日本の建築業者にスイスのロッジを知っているものはいなかったため、屋根は切妻屋根に赤瓦で外壁が丸太張りのログハウス風と和洋折衷になっている。
玄関を入ってすぐのところには屋敷の説明とスキー毛糸関連の展示がされていた。
敷地内の庭園も4邸宅の中で飛び抜けた広さを誇っている。庭園は池泉回遊式庭園で池は琵琶湖を見立ている。池の周りには藤井彦四郎自身の構想で名木・珍石を配置してある。
庭に面している日本間の一室は役所広司主演の映画「日本のいちばん長い日」の撮影で使われた場所で、役所さんのサインが飾ってある。
客殿から見た庭園の眺め。池の向こうに小高い丘が造られており池を琵琶湖とするならば、対岸の丘は湖西に広がる比良山系といったところだろうか。
外村宇兵衛邸
最後に紹介する外村宇兵衛邸は他の近江商人屋敷とひと味違い、なんと宿泊施設になっており、直に近江商人屋敷での暮らしを体感する事が出来る。
また宿泊だけでなく、「ビジネスをひと休みして、これからの商いを学ぶ宿」として、近江商人の商売のあり方を学べるプログラムの開催や街並みのガイドツアーに参加することも出来る。
蔵を改造した会議室があり、口コミによると会社の幹部合宿などで利用される方も多い様だ。建物は1860年に建てられたもので、内装は趣を残しつつリノベーションされている。
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外村宇兵衛は本家である外村与左衛門から分家し、呉服商を営み、全国に販売支店を広げた近江商人。4代目外村宇兵衛の時、大口取引先であった御幸毛織工場の経営を引継ぎ、高級紳士服メーカーとして知られる御幸毛織株式会社を設立した。
本家の外村与左衛門の方は現在、京都でレディースアパレルや着物、和雑貨を取り扱う総合繊維会社「外与株式会社」の創業者の家系。創業は1700年(元禄13年)で300年を超える長寿企業である
一つの家系から2社の長寿企業が生み出されたというのは、驚くべきことではないだろうか。その根底にあるのは代々伝わる家訓にあり、「自分の利益より他人の利益を優先すること」、「商売は目先のことにとらわれず、遠い将来のことを平均的に見通して、続けていくものである」と言う精神によるものだと言われている。
縁側の大正ガラスの引き戸は、それを通して入る光と外に広がる庭にレトロな雰囲気を与えてくれている。
邸宅によってそれぞれ庭園に個性があり、庭園巡りとしても楽しむ事が出来る。外村宇兵衛邸の庭園は直線的な木(ハンノキ?)が多数植えられておりうっすらと遠くまで見通せる。疑似的な森の中を歩いている様な感じにさせてくれる。
奥の方には小さな池が配置されており、森の中を歩いていると突如視界が広がり水場を見つけた様な気分になった。
2階の客室は和室にベッドスタイル。ベッド自体が和風な為か、和室によく調和している。窓の向こうには木々が見え、森の中の旅館の様に感じる。
土間は当時の雰囲気を残しつつ現代風にリニューアルされている。電気式かまどが可愛い。
邸内にある近江商人像。往時の近江商人はこの様なスタイルで全国を歩き回った。上記の近江商人博物館でも思ったが、肩で担ぐ天秤棒が本当にバランスをとるのが難しく、よく険しい山道を上り下りしたなぁ~と驚きしかない。
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ホームページへ NIPPONIA 五個荘近江商人の町公式ホームページ
五個荘 Googleマップ
左上の旅猫の左の→をクリックしますと、番号に対応した歴史スポットが表示されます。散策の際はご活用いただければ幸いです。
五個荘へのアクセス
鉄道🚃
・近江八幡駅から近江鉄道で五箇荘駅下車。約30分(八日市駅で乗り換え)
・米原駅からJR東海道線で彦根下車。近江鉄道に乗り換え五個荘駅下車。約40分
鉄道🚃&バス🚌
・JR能登川駅下車。近江鉄道バス、金堂もしくはぷらざ三方よし前下車。約10分
近江鉄道バス時刻表へ
車🚙
・八日市IC下車、約15分。
長文でしたが最後までお読みいただきありがとうございました!
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