中国山地の穏やかな山並みに囲まれた岡山県美作市。戦国末期、因幡街道沿いの宮本村には、新免武蔵という恐ろしいほど強い少年がいました。
宮本村の武蔵、「バガボンド」の主人公「宮本武蔵」です。ご飯おかわり自由の定食屋ではありません(笑)。
現在の岡山県美作市は宮本武蔵の生まれ故郷と言われており、武蔵に関する史跡が点在しています。(武蔵の出生地は美作説と播磨説があります)
今回は宮本武蔵の生誕地「武蔵の里」を巡ってきました。

武蔵の里ってどこ
武蔵の里は、大原宿から因幡街道を南に3㎞ほど行ったところにある山あいの集落にあります。
里の南側にはすぐに鎌坂峠が控えています。この峠のからの眺望を武蔵は好み、晩年に籠った熊本の霊巌洞からの眺望によく似ていると言われています。
武蔵の里

前回は因幡街道の宿場町「大原宿」を見て回ってきました。大原宿から自転車をこぐこと15分ほどで武蔵の里に到着。
お昼を少し過ぎたので、まずは昼食に。
たけぞう茶屋

宮本武蔵の生家跡にある軽食処、「たけぞう茶屋」。めっちゃ観光客狙いの店名だが、店の方と地元のおばちゃん方が岡山弁?でお喋りしていました。地元の人も来る店ってなんか安心できる。
ここでは宮本武蔵にあやかった名物メニューがあるそう。

右手で蕎麦を、左手でうどんを、その名も「武蔵二刀流麺」。長短2膳の箸を左右の手でそれぞれに持って食べるらしい。そんなん出来ひんわ。
さすが、宮本武蔵の故郷。観光客にも試練を与えてくる。

かなりお腹が減っていたので、もう一つ注文。こちらも名物、山芋が入ったお好み焼き「又八焼き」
山芋はかなりたっぷり入っていて、トロっとした食感が美味しかったです。芋のおかげで結構量があって大満足でした。午後からのエネルギーを十分に充電出来ました。
宮本武蔵生家跡

たけぞう茶屋から因幡街道を挟んだ向かいが宮本武蔵の生家跡で、多くの石碑が建てられています。
生家は約60m四方の外構に囲まれた大きな茅葺の家であったらしく、宮本川の南にあることから「宮本の構(みやもとのかまえ)」と呼ばれていたとのこと。
宮本武蔵の名字「宮本」は、この辺りの地名である美作国吉野郷宮本村に由来していると言われています。今でも美作市宮本となっており、宮本の地名が残っています。

堂々とした「宮本武蔵生誕地」の石碑。1912(大正元年)に建てられました。
碑文は旧熊本藩の藩主「細川護成」によるもの。武蔵は晩年に熊本藩士として迎えられたので、その縁からですかね。
宮本武蔵は1584(天正12)年、この地で誕生したと言われています。

生誕碑の隣には、小説「宮本武蔵」の作者「吉川英治先生文恩記念碑」と、郷土史家で宮本武蔵研究家である「福原浄泉先生謝恩碑」が。
これだけ多くの著名な方々の石碑をみていると、ここが宮本武蔵の生誕地って疑いもしませんでした。
しかし、現在では播磨説が有力で、作州宮本村出身説は信憑性が低いと言われている様です。兵庫県の高砂市や太子町にも武蔵の生誕地碑があり、武蔵の奪い合いが行われているみたいです。
作州宮本村出身説は江戸時代の地誌「東作誌」に由来しており、大正には「宮本武蔵生誕地」の石碑が建てられたことから、当時はこの地が出身地である説が一般的でした。
それをより全国的に決定づけたのが吉川英治の小説「宮本武蔵」でした。吉川英治氏にとっても当時、定番となっている作州説を採用しただけで、それを今更、播磨かもしれないって言われても知らんがなって話ですよね。
このことで筆者が思ったのが、歴史は進化するということです。一度、定説になったことでも新資料が出てくれば、大きく変わることがあり得ます。歴史の面白い部分の一つですね。

石碑の奥にあるのが宮本武蔵生家跡です。当時の建物は火災で焼失してしまったようです。
1942(昭和17)年に今の建物に建て替えられましたが、大黒柱は残っており、昔の位置と変わっていないそう。
生誕地に関してはまだ確定していませんが、少なくともここで暮らしていた可能性は十分にあるようです。当たり前ですが、生誕地は誰でも必ず一ヶ所ですが、暮らしていたところは複数あっても不思議ではないですしね。
もし、生誕地が播磨説で確定しても、ここで暮らしていた可能性がある限り、小説「宮本武蔵」の聖地巡礼としての価値は残り続けると思います。筆者にとってはバガボンドの聖地巡礼ですけど(笑)。

武蔵生家跡の横には宮本川が流れ、水車小屋がありました。

この辺りは、大原宿から流れてきた吉野川と支流の宮本川が合流し開けた盆地を作り出しています。
今でもこの周りには田畑が広がっており、昔は精米や製粉のための水車小屋がたくさんあったと思います。

武蔵生家跡から宮本川を挟んだ反対側にある讃甘神社(さのもじんじゃ)。鳥居が特徴的で屋根が付いています。
元は近くの実近山の中腹にあり、天正年間(1573~1592)に現在地に遷ってきたそうです。不思議な神社名は、以前この地で作っていたお酒が甘くて美味しかったので、甘さを讃えてこの辺りを讃甘郷と呼んでいたそうです。近くの讃甘郵便局にも地名が残っています。
武蔵は小さい頃、よくこの神社で遊んでいたらしく、宮司が2本のバチで太鼓を打つ姿を見て、バチさばきや音の響きが記憶に残り、後年の二刀流を思いついたと言われています。
武蔵の里 五輪坊

讃甘神社の川沿いに少し行ったところに、武蔵に関する資料館や銅像のある五輪坊があります。

門をくぐると風情のある日本庭園が広がっていました。ほとんど観光客はおらず、ひっそりとした佇まいでした。
どうやら、武蔵資料館は2021(令和3)年から休館しているようでした。5年も経ってるやん。休館っていうレベルじゃねーぞ!

道場横に立つ「宮本武蔵像」。1995(平成7)年に建てられました。武蔵像は少しでもゆかりがあればどこにでもあるので、ここになくてどうするって感じ。
京都の一乗寺にある八大神社で宮本武蔵像を見たことがありますが、ここの像は表情が凛々しいですね。
八大神社は武蔵が吉岡一門との対決の前に立ち寄った神社です。戦勝祈願をしようとしましたが、神仏に頼る弱い心では勝てないと考えなおし、祈ることなく対決の場、一乗寺下り松にて吉岡一門を一人で打ち倒しました。

この建物は開館してるやんと思いきや、ガチの剣道場でした。地元の子供達の剣道練習や、大学高校の剣道合宿に使われているそうです。

丁度、道場内では稽古が行われていて、気合の掛け声や踏み込み、竹刀の打ち合う音が聴こえてきました。学生レベルではない本格的な雰囲気がありました。
入口の看板にあるように、今も武蔵が編み出した兵法二天一流が受け継がれています。あまりジロジロ見ると良くないと思いチラッとしか見ていませんでしたが、ひょっとしたら二刀流だったかも。
どの施設よりも、武蔵の里に来たという真実味がある気がしました。精神が引き締まった気分です。

