宮本武蔵顕彰武蔵武道館

五輪坊の周りは田園地帯が広がっており、自転車を走らせていると、突然、不思議な屋根の建物が現れました。
武蔵の里のシンボルとして、また剣道のメッカとなることを目指して建てられた宮本武蔵顕彰武蔵武道館です。
不思議な屋根は、宮本武蔵が作った刀の鍔「海鼠透鍔(なまこすかしつば)」をモチーフにしているとのこと。海鼠透鍔とは、装飾を一切排し、左右対称に海鼠の形の穴をあけた鍔で、鯉口を切りやすいそうです。実践を重視する武蔵らしい意匠と言われています。
屋内には剣道場の他にもバレーボールやバドミントン、バスケットボールなどの多目的コートもあるようです。ここも屋内からは色々な掛け声が聴こえてきて、普通にガチの運動競技場なので観光気分で入るのは場違いな感じでした。
最後に武蔵が何度も通ったと言われる鎌坂峠に行ってみたいと思います。
鎌坂峠

鎌坂峠入口は、なんと武蔵の生家跡のすぐ横にあります。
鎌坂峠は山陰と山陽を結ぶ因幡街道の要衝の一つで、古くは隠岐を脱出した後醍醐天皇がこの峠を越えて京都へ向かい、江戸時代では鳥取藩池田氏が参勤交代の時に通っていました。
峠道沿いには武蔵ゆかりスポットがあります。
平尾家

武蔵の生家から少し坂を登ったところに、大きな茅葺屋根の家がありました。武蔵の姉「おぎん」の嫁ぎ先である平尾家です。
武蔵が16歳の時、武者修行に出る際に立ち寄り、家の道具、証文、家系図、十手、素槍などを姉夫婦に渡したそうです。
先客がおりガイドの方が中の説明をしていました。ガイドの方に中の見学は出来ますかと尋ねると、「今、案内中ですのでこの後でお願いします」と言われました。
しばらく待っていると、案内が終了しやっと自分の番かと思っていたら、ガイドの方は何も言わずそのまま観光案内所の方へ去って行きました。
えー!めっちゃ放置されてんねんけど。いちいち案内所に戻って聞くのも面倒やし、そもそも先客と一緒に案内してくれたら良かったのに。1グループごとやったらめっちゃ時間かかるやん。

結構待ったので中を見て行きたいところですが、もたついていると暗くなってしまうので、気を取り直して先に進みました。
お金も時間も損切りが大切です。以前は苦手でしたけど、優先順位を決めることで判断が出来る様になりました。
この時の最優先事項は、明るいうちに峠の上まで行って戻ってくることです。
武蔵神社

武蔵の生家跡から200mくらいのところに武蔵神社がありました。
1971(昭和46)年に建立された新しい神社。生誕地の対抗馬である兵庫県には武蔵の名を冠した神社はないみたいなので、岡山が一歩リードか。。

戦気の石碑。「寒流帯月澄如鏡」(寒流 月帯びて澄めること 鏡の如し)。
武蔵が好んだ唐代の詩人「白楽天」の一節です。「夕吹和霜利似刀」(夕吹 霜に和して利きこと 刀に似たり)と続きます。
澄み切った冬の川面に映る月は鏡の様であり、そこに吹く肌を刺す夕風は刀の様に鋭い。武蔵は自身の剣の境地を表現したものとして、書にしたためています。

凛々しい姿の狛犬が守る本殿。
境内も本殿もこじんまりしていて、変に大仰な感じより武蔵っぽい感じ。

本殿の奥には、武蔵の両親と武蔵のお墓が。
武蔵は全国を放浪した後は熊本で余生を過ごし、五輪書を執筆し芸術や書に打ち込みました。そのまま熊本で亡くなり、埋葬されました。この墓所は熊本の弓削から分骨されたと言われています。

武蔵神社を後にし、更に上ると道は狭くなり曲がりくねって、いかにも峠道って感じに。
ここまでくると誰一人としてすれ違いませんでした。しかし、当時は武蔵も鳥取藩の大名行列も越えた重要な街道でした。
この先には有名な湧き水があるらしいので、そこを目指して登っていきます。
一貫清水

武蔵神社から15分ほど峠道を登ると、一貫清水に到着しました。旅人が喉を潤し、一貫文の価値があると言ったことから一貫清水と名付けられたとのこと。
この日は3月でしたが、峠を登ってきて少し汗ばんでいたので、冷たい水で顔や手を洗うだけでめっちゃ気持ちよかったです。

スッキリしたところで、峠の頂上を目指して更に登っていきます。
一貫清水からは舗装道路ですらなくなり、当時の峠越えの雰囲気が一層増していきます。
お通茶屋

一貫清水から更に15分ほど登ると、小屋が見えてきました。
ここが鎌坂峠と頂上で、2軒の茶屋があったそうです。

今は茶屋を模した休憩所のみがあるだけ。

休憩所の横には広いスペースがあり、おそらくこの場所に茶屋があったと思います。
一貫清水のところに、吉川英治の小説「宮本武蔵」で、お通とともに宮本村を出て行く時のくだりの案内がありました。
「ご覧なさい、播磨灘の方が、ほんのり白みかけました」
「ここは何処」
「中山峠。………もう頂上です」
「そんなに歩いてきたかなあ」
紅い朝雲が二人の顔を焼いた。お通の顔が鮮やかに見えてくると、武蔵は、ここに彼女と二人でいることが夢のようで、どうしても不思議な気がしてならない。
「さ、昼間になったら、油断は出来ませんよ。それに、すぐ国境にかかりますから」
この会話をしたのはこの辺りの様な感じがします。播磨灘は一切見えませんが。

鎌坂峠の頂上は丁度、岡山県と兵庫県の県境になっていて、筆者は兵庫県側に足を踏み入れました。
岡山県は中国地方で少し遠い感じがありますが、兵庫県は京都の隣で関西圏なので地元に帰ってきたくらいの安心感があります。
これは人類にとっては小さな一歩だが、筆者にとって感動的な一歩でした。いやいや、県境を越えただけやん(笑)。
自転車を武蔵生家跡に置いてきたので、これ以上行くのはやめておきました。自転車を押してきたとしても、これを行くのはハード過ぎる。
宮本武蔵駅

来た時は大原駅で降りたので、まだ宮本武蔵駅を見ていませんでした。
日本中に駅は数あれど、人物名がそのまま駅名になっているのはまずありません。筆者が知る限りだと、ここと同じ岡山県の井原鉄道「吉備真備駅」。
あと、これまた岡山県で備中高梁の偉人「山田方谷」の名を冠した「方谷駅」があります。こうしてみると岡山県って人名駅の宝庫やな。

駅前には武蔵、お通、又八の3人組の銅像がありました。

瓦屋根の中に武蔵武道館の変な屋根が見える。かなり浮いていて、ちょっと笑える。
武蔵の里観光の最後の風景がこれって、シュール過ぎる(笑)。

構内には宮本武蔵の肖像画が銅板で描かれていました。よかった、変な屋根が最後にならずにすんだ。
やっぱ宮本武蔵と言ったらこの肖像画やね。帰ったら、もう一度バガボンドを読み返したくなりました。
この後は、岡山市で一泊し、翌日は備前福岡と長船を観光してきました。こちらもまたブログにアップしようと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
武蔵の里 Googleマップ
武蔵の里へのアクセス
公共交通機関🚃🚌
智頭急行宮本武蔵駅下車 徒歩10分ほど
車🚗
鳥取自動車道大原ICから5分ほど
