滋賀県の東部、東近江市にある五個荘(ごかしょう)は江戸時代、多くの近江商人を輩出した町として知られている。
全国各地を行商で練り歩き、近代日本経済の基礎を築き上げ、現代に至るまで多く有名企業を創業した五箇荘の近江商人。五個荘は重要伝統的建造物群保存地区に選ばれており、財を成した商人の屋敷や庭園が今もなお残っている。
多くの屋敷には白壁の蔵があり、船板塀をめぐらし、庭園が広がる宏壮な邸宅が町中に軒を連ねている。町には鯉が泳ぐ水路が張り巡らされ、宏壮だが豪奢ではない品の良さを感じされる屋敷群と相まって、端正で落ち着いた空間を創り出している。
今回はそんな五個荘の町を巡りながら、近江商人のビジネス術に触れる歴史スポットを紹介して行こう。
五個荘の魅力、3つのおススメポイント
- 舟板塀や白壁で造られた蔵屋敷群と鯉が泳ぐ水路が張り巡らされた美しい町並み。
- 個性あふれる様々な庭園を楽しめる近江商人屋敷。
- 全国に名を馳せた近江商人のビジネス術。
五個荘の位置
青丸がこの記事で紹介する五個荘。緑丸は日野。
青線が東海道、緑線が中山道、赤線が御代参街道、黒線が八風街道と湖東地域には街道が充実しており、京都、伊勢、北陸を結ぶ交通の要衝なのである。
五個荘は他の商人町と比べて、近くに広い愛知川(えちがわ)が流れており、豊かな沖積平野が広がっている。愛知川流域は滋賀県随一の穀倉地帯であり、五個荘の商人の特徴は基本は農業従事者であり、農閑期の余業として行商を行ったことにある。
五個荘 まちの案内マップ
近江鉄道 五箇荘駅
京都駅から近江八幡駅まで新快速で35分、そこから近江鉄道に乗り換えて、約30分ほどで五箇荘駅に到着する。
駅は2000年(平成12年)に新たに造られたものだが、五個荘の景観に合わせ瓦葺の木造建築で白壁も用いられている。
近江鉄道は1896年(明治29年)、有力近江商人によって設立され、その後西武グループの傘下に入った。その西武グループ創業者の堤康次郎は近江商人(滋賀県愛知郡愛荘町出身)なのである。
またこの辺りを走っているバスも近江鉄道管轄の近江鉄道バスであり、湖東地域の交通網は近江商人が担っているのである。
中山道と御代参街道(ごだいさんかいどう)
五箇荘駅から徒歩2分くらい歩くと、旧中山道(県道210号)と御代参街道の交差点に出る。御代参街道は五個荘から東海道の土山宿(滋賀県甲賀市土山)に至る街道で途中の八日市から八風街道で伊勢の方へ出ることが出来る。
滋賀県から多くの商人が生まれた要因の一つに交通の要衝であることが挙げられる。近江国は首都であった京都の隣にあるため、東海道や中山道、北陸道、他の脇街道などきめ細かな街道網が整備されていた。
多くの旅人で賑わう街道は近江の人達に様々な情報をもたらし、他国への移動を容易にしたのである。
中山道から御代参街道が分岐する交差点で、手前から右奥に走っているのが中山道、左上に斜めに走っているのが御代参街道だ。左へ行く道は駅への方へ行く道。これらの道を近江商人達は天秤棒に商品を括り付け、京都へ、伊勢へ、北陸へ歩いて行った。
近江商人博物館
引用元;鈴鹿から琵琶湖まで東近江市の博物館の情報サイト
御代参街道の交差点から旧中山道を進み、途中で中山道を逸れ右へ曲がりしばらく進むと、近江商人博物館が見えてくる。五個荘の町の中心部に入る直前に建っており、ここで近江商人の基礎知識を学ぶことが出来る。
近江商人を生み出した町は滋賀県内に幾つもあるが、近江商人をテーマにした博物館はここだけにしかないので五個荘を訪れたなら是非立ち寄られることお勧めする。
近江商人の歴史、商法、商人哲学などはもちろんのこと、実際に近江商人が担いでいた天秤棒と荷物が置いてあり、担いでみることが出来た。
かなり重い荷物が天秤棒の両端に括り付けて、棒を肩で担ぐわけだが、バランスをとるのが結構難しかった。ごく普通の商人がこれで山道を上り下りしていたとは驚くしかない。
他にも驚いたのが現代も活躍している近江商人系企業の紹介だ。筆者も知っている企業を挙げると、高島屋・伊藤忠商事・日本生命・ふとんの西川・ワコール・東レなどが近江商人が発祥で、近江商人系企業は長寿企業が多いのが特徴とのこと。
特にふとんの西川で知られる西川産業株式会社の創業は戦国時代であった1566年(永禄9年)と群を抜いて古い。息の長い商売が出来るということは、近江商人の商法に何か秘密があるのだろうか。
ホームページ 東近江市の博物館情報サイトへ
大城神社
近江商人博物館のすぐ近くに五個荘の中心である金堂地区への入口を示す案内がある。そこを曲がると徐々に江戸・明治の雰囲気が現れ始めた。
途中、家が途切れ、大きな灯篭と地蔵堂らしき社が見えてくる。その周りは神社の森になっており、右手には巨大な鳥居が立っている。まるで道の両側にある神社が神隠しに誘う様に、神社の森を抜けた瞬間、風景は一変する。
現代から時間が一瞬にして過去へ遡り、ここからが重要伝統的建造物群保存地区、五個荘金堂地区である。しかしここは町に入る前に、その名の通り町の入口を守っている大城神社にお参りした。
大城神社の創建は621年、聖徳太子が小野妹子に命じて建立され、1117年(嘉慶2年)に現在の場所に移され五個荘の総鎮守となった。室町~戦国時代には近江守護六角氏の居城・観音寺城から北東(鬼門の方角)であることから、大城神社は名前の通り城郭の守護神として崇敬されていた。
大城神社はロケ地としても有名で特に、NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で度々登場した。それがきっかけで多くのファンが訪れる聖地になったそうだ。
他にも三浦春馬さんの遺作となった映画「天外者」のロケにも使われたとのこと。「天外者」は五代友厚を描いた作品でいつか見たいと思っていたので、ここの風景を思い出し三浦春馬さんを懐かしみつつ見ようと思う。
五個荘金堂地区
お参りを終えたら、いよいよ五個荘の中心である金堂地区に入った。五箇荘は湖東地域を代表する農村集落で、江戸時代にここ金堂地区に寺を配置しその周りに民家、その周りに田畑が広がるという寺内町の様な町割りが形成された。
町並みは近江商人達が築いた白壁と船板塀(船の廃材を利用した塀)、町中に巡らされた掘割が特徴となっている。
白壁の蔵や塀がたくさんあるのは富裕な町の証拠だ。
真っ白な白壁と広めの掘割、透明な水の中で泳ぐ鯉、町そのものが邸宅の庭のよう。
掘割に面している屋敷の一つに、掘割を屋敷内に引き込んだ川戸という箇所があった。案内板によるとここで野菜や鍋、釜の洗い場として利用した他、防火用水の役目も果たしたとのこと。
弘誓寺(ぐぜいじ)
弘誓寺は金堂地区の中心にあり、先ほど述べた江戸時代の区画整理により町の中心となった寺である。浄土真宗の立派な大型本堂は1753年(宝暦5年)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。
この本堂の雰囲気をどこかで見た気がしたが、京都駅に行く際、よく目にする東本願寺阿弥陀堂のモデルとなっていた。
浄土真宗には「講」という町の集いの様なものがあり、本堂が「講」の集会所になっていた。筆者が訪れた今でも町の方々が本堂に集まり、世間話や町の運営について話し合っておられた。
塀の横には庭付き一戸建ての富裕な邸宅群が軒を連ねている。江戸時代の高級住宅地といった感じ。
筆者が訪れた令和5年9月24日は「ぶらりまちがど美術館・博物館」が開催されており、町中を会場として書画、絵画、美術品などのアート作品が展示されていた。ここでは手水舎がアート作品になっていた。
弘誓寺の前の掘割にも作品が飾られていた。
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