兵庫県の西部にある龍野は揖保川の下流にある城下町で、武家屋敷や美しい白壁の土蔵や城が残り播磨の小京都と呼ばれている。町並みは江戸時代から昭和前期に建てられた建物が保存されており、重要伝統建造物群保存地区に認定されている。
また揖保川の清流はたつの市が誇る三大地場産業「醤油、そうめん、皮革」をもたらしヒガシマル醤油や揖保乃糸といった誰しもが知る有名企業を生み出した。今回はそんな魅力に溢れた龍野を散策してみた。
龍野の魅力、3つのおススメポイント
- 播磨の小京都と呼ばれ、美しい白壁や土蔵が残る町並み
- 製法に触れて味わう。龍野の名物、ヒガシマル醬油と揖保乃糸
- 春は桜、秋は紅葉が美しい龍野城と龍野公園
ちなみにたつの市にはたつの、龍野、竜野の三通りの表記がある。龍野は伝統ある表記で以前は市の名前も龍野市と表記されていた。2005年に龍野市、新宮町、揖保川町、御津町が合併してたつの市になった。
ひらがなになったのは龍野市のままだと龍野市に吸収合併されたされた様に感じると言うことで、たつの市になったそうだ。ただ使い分けがされている様で市内中心部を指すときは龍野、市全域を指すときはたつのと表記されるそうだ。
当ブログでは市内中心部の紹介のため龍野と表記している。ちなみに竜野は駅名に使われている。
龍野城
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江戸時代の龍野は脇坂氏龍野藩5万3千石の城下町で、その居城龍野城の遺構が現在に残されており白壁が映える龍野の町のシンボルとなっている。城は鶏籠山と言う小高い山の裾に建てられており、背後の山の緑と手前の城の瓦と白壁が良い色合い配置で絵画的に思わせる。
写真は桜の時期で城の至るところに桜が咲き乱れており、白壁と相まってより一層美しさを際立たせている。桜の時期には龍野さくら祭りが開催され武者行列を始め様々なイベントが催される。明確な日は決まって無いようだが、4月の第一日曜日に開催される事が多いようだ。
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当時の遺構は石垣のみだが御殿、武具櫓、隅櫓、大手門などが再建されており十分に当時の雰囲気を楽しむことが出来る。余談なるが、御殿の写真の幕に描かれているのは脇坂家の家紋「輪違紋」なのだが、一瞬シャネルのマークに見間違いそうになってしまった。
龍野城は元々は室町時代、播磨の守護大名である赤松氏が鶏籠山上に築いた山城であった。その後戦国時代に豊臣秀吉に手に渡り、不便な山城である鶏籠山城を山裾に下ろしてきて、こんにちの龍野城の基礎を築いた。
現在では赤松時代の山城を龍野古城と呼ばれており、御殿の左へ歩いたところに登り口がある。山城特有の遺構が幾つか残されているので山城好きな方にはオススメ。
入城時間などは兵庫県公式観光サイトへ
龍野歴史文化資料館
引用元:たつの市ホームページ
大手門を右へ行ったところには龍野歴史文化資料館が併設されており、龍野の古代から近世に至る変遷を紹介している。古代の龍野は播磨国の中で最大の都として繁栄した土地であり、揖保川は龍野に米作りをもたらし多くの人口を養うことを可能にした。
この龍野の町から揖保川沿いに北へ車で45分くらい進んだところに播磨国一宮である伊和神社があり、この一宮というのは平安~鎌倉時代に選定されたその国の最も重要な神社のことである。ということはこの揖保川流域が播磨の中心地域だったことは想像に難くないである。
戦国時代関連は賤ヶ岳七本槍の一人で初代藩主の脇坂安治が使用した十文字槍や秀吉や家康から拝領された鎧が展示されていえる。
霞城館(かじょうかん)
引用元:霞城館・矢野勘治記念館ホームページ
正式名称を霞城館・矢野勘治記念館といい、龍野が生んだ4人の文化人を紹介している記念館である。
三木露風
北原白秋と並んで白露時代を築いた詩人。童謡「赤とんぼ」の作詞者で有名。
三木清
京都学派、西田幾多郎門下の鬼才とうたわれた哲学者。著書「人生論ノート」は累計200万部を超え、80年以上読み継がれているベストセラーになっている。
内海信之(泡沫・青潮)
三木露風と並んで龍野が生み出した偉大な詩人。体が弱かったため終生龍野で詩作を続けた。露風の親友でもあり露風は龍野に帰るたび、共に文学について語り合ったりした。
矢野勘治(興安嶺)
正岡子規門下の歌人。旧制一校(現東京大学)の寮歌「春爛漫の花の色」「嗚呼玉杯に花うけて」の作詞者。
この4人に関する文献、著者、写真、遺品など750点が展示されている。4人とも明治のエリート文化人で、小ぶりながらも秩序美がある町並みに優しい自然が織りなす龍野の町が彼らの感性を育んだのではないかと思ったりもした。明治の秀才達の生き様を知ることが出来、非常に勉強になる博物館であった。
三木露風生家
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こちらは三木露風の生家で龍野城のほど近いところに位置しており、明治初期に建築されたものだと言われている。三木露風は1889年(明治22年)6月23日にこの家に生まれ、6歳まで暮らしていた。
室内には露風の年表、生い立ち(露風が龍野にいた中学生時代まで)、自筆の原稿、論文が掲載された雑誌、家族構成と人間関係の説明が展示されている。
露風に対する愛情溢れた暖かみのある手作りの説明文は、見る側に一つずつ丁寧に読んでいきたい気持ちにさせる。七歳のとき両親が離婚し母親と生き別れになったことや、最後は交通事故で亡くなったというのは初めて知りショックを受けた。
室内に常に赤とんぼの童謡が流れ露風の思い出の風景が蘇ってくる様だった。
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夕焼小焼の 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か
山の畑の 桑の実を 小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか
十五で姐やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた
夕焼小焼の 赤とんぼ とまっているよ 竿の先
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ちなみにたつの市のゆるキャラは三木露風の出身地という事で赤とんぼがモチーフなっており、ガールフレンドのあかねちゃんという女の子の赤とんぼもいる。写真は竜野駅。
そうめん処 霞亭
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昼ご飯を食べた「そうめん処 霞亭」は男はつらいよの撮影地になったり、テレビでも度々取り上げられたり、そうめん店で初めてミシュランガイドに掲載された超有名店。
昼時に行くと相当の行列が予想されるので(特に当日は桜祭でかなりの人出だった)、開店直後くらいに行ってみた。少しの待ち客がおり、多少待っただけで無事席に着けた。店を出たときは思った通りかなりの行列が出来ていた。
人気観光地は昼ご飯が難敵だが、時間をロスすることなく無事クリア出来た。
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個人的にはそうめんは冷やしが好きなのだが、出汁が美味しそうな気がしたのでにゅうめんにしてみた。
にゅうめんだとコシが弱くてそうめんで大切なのど越しが良くない事が多いのだが、ここのにゅうめんは全くそんなことは無かった。大盛りしたので多少食べるのに時間がかかったが、最後までコシが失われていなかった。
出汁も美味しくて全部飲み干してしまった。冷たいそうめんも食べてみたくなった。近くに来る用事があれば、そうめんの為に龍野に寄る必要が出てきてしまった。
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