龍野歴史観光 そうめんと醬油の町、播磨の小京都・龍野を巡る

たつの市 龍野城

兵庫県西部にある龍野は揖保川の下流にある城下町。武家屋敷や美しい白壁の土蔵や城が残る播磨の小京都と言われいてます

町並みは江戸時代から昭和前期に建てられた建物が保存され、重要伝統建造物群保存地区に認定されています。

また、関西の方ならCMでお馴染みの「そうめんやっぱり揖保乃糸」やヒガシマル醬油は龍野で生まれました。

今回はそんな魅力に溢れた龍野を紹介します。

龍野の魅力、3つのおススメポイント

  • 播磨の小京都と呼ばれ、美しい白壁や土蔵が残る町並み
  • 製法に触れて味わう。龍野の名物、ヒガシマル醬油と揖保乃糸
  • 春は桜、秋は紅葉が美しい龍野城と龍野公園
目次

龍野ってどこ

たつの市は姫路市の西隣で、東西に広い播磨平野の西の端っこに位置している。

市の中心には揖保川が流れており、龍野の発展に超重要な役割を果たしてきた。揖保川が細長い谷底平野を抜け平野部に出てきたところに、今回訪れた龍野の城下町が広がっている。

姫路駅で姫新線に乗り換え、龍野を目指した。

本竜野駅

本竜野駅
本竜野駅

京都から新快速に乗って姫路まで1時間半、そこからは姫新線に乗り換え。

姫路の市街地を抜けて約20分でたつの市の中心駅、本竜野駅に到着。

山陽本線にも竜野駅がありますが、今回訪れる重伝建地区へは本竜野駅が便利。

姫新線
姫新線

姫新線の車両側面のドア横にはkishinの文字と、何故か赤とんぼをモチーフにしたマークが描かれていました。

何故赤とんぼなのだろうか?

駅に降りてみるとさらに…

本竜野駅 赤とんぼくん
本竜野駅 赤とんぼくん

たつの市のゆるキャラも赤とんぼがモチーフになっていました。

何故、赤とんぼなのかは、町巡りをしてると答えがありました。

龍野城

龍野城
龍野城

江戸時代の龍野は脇坂氏龍野藩5万3千石の城下町。白壁が映える龍野の町のシンボルとなっています。

城は小高い鶏籠山の裾に建てられています。背後の山の緑、手前の城の瓦と白壁が良い色彩配置で、絵画の様に美しい。

写真は桜の時期で城の至るところに桜が咲き乱れていて、白壁と相まってより一層美しさを際立たせていました。

桜の時期には、龍野さくら祭りが開催され武者行列を始め様々なイベントが催されます。

龍野城 大手門
大手門

当時の遺構は石垣のみだが、御殿や武具櫓、隅櫓、大手門などが再建されている

室町時代、播磨の守護大名である赤松氏が鶏籠山上に築いた山城であった

戦国時代には播磨を平定した豊臣秀吉に手に渡った。時代に合わなくなった山城を平地に下ろし、こんにちの龍野城の基礎を築いた

現在では赤松時代の山城を龍野古城と呼ばれており、御殿から少し左へ行ったところに登り口がある。

ルートはこちらのサイトを参照→西播磨の山城

龍野城 本丸御殿
本丸御殿

イベント中は脇坂家の陣幕が下がっていました。

どうでもええけど、いつもシャネルのマークを見かけると、脇坂家の家紋「輪違紋」やんって思ってしまう。

今回は本当に脇坂家の家紋のなので、なんかレアな気分。

入城時間などは兵庫県公式観光サイトへ

龍野歴史文化資料館

引用元:たつの市ホームページ

大手門を右へ行ったところには龍野歴史文化資料館が併設され、龍野の古代から近世に至る変遷を紹介されていました。

古代の龍野は播磨国の中で最大の都として繁栄した土地であった。揖保川は龍野に米作りをもたらし多くの人口を養うことを可能にした。

この龍野の町から揖保川沿いに北へ車で45分くらい進んだところに、播磨国一宮である伊和神社がある。一宮とは平安~鎌倉時代に選定されたその国の最も重要な神社のことである。すなわち揖保川流域が播磨の中心地域だったのだ。

戦国時代関連は賤ヶ岳七本槍で初代藩主・脇坂安治が使用した十文字槍や秀吉や家康から拝領された鎧が展示されていました。

たつの市ホームページ 龍野歴史文化資料館のページへ

三木露風生家

三木露風の生家
三木露風の生家

龍野城を出て、すぐ近くに三木露風の生家がありました。

三木露風って誰やったかなと思っていたら、童謡の赤とんぼが室内に流れていた。

あっ!そうか。三木露風は赤とんぼの作詞者やった。

冒頭の姫新線の車両やたつの市のゆるキャラが赤とんぼであった理由が分かった。

三木露風の生家
三木露風宅

建築は明治初期。三木露風は1889年(明治22年)6月23日にこの家に生まれ、6歳まで暮らしていた

室内には露風の年表、生い立ち(露風が龍野にいた中学生時代まで)、自筆の原稿、論文が掲載された雑誌、家族構成等の説明が展示されている。

解説は手作りで分かりやすく、露風に対する愛情があふれ出ている感じがしました。一つずつ丁寧に読んでいきたい気持ちにさせてくれます。

七歳のとき両親が離婚し母親と生き別れになったことや、最後は交通事故で亡くなったというのは初めて知りショックを受けました。

赤とんぼの童謡を聴くと、露風の思い出の龍野の風景が蘇ってくる様です。

夕焼小焼の 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を 小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか

十五で姐やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた

夕焼小焼の 赤とんぼ とまっているよ 竿の先

そうめん処 霞亭

そうめん処 霞亭
そうめん処 霞亭

次は、少し早めの昼ご飯を食べに行きました。龍野といえば、そうめん以外ありえないです。

そうめん処 霞亭」は男はつらいよの撮影地になったり、テレビでも度々取り上げられたり、そうめん店で初めてミシュランガイドに掲載された超有名店

昼時に行くと相当の行列が予想されるので(特に当日はさくら祭でかなりの人出)、開店直後くらいに行ってみました。

少しの待ち客がおり多少待っただけで無事、席に着けました。店を出たときは思った通り、かなりの行列が出来ていました。

人気観光地は昼ご飯が難敵ですが、時間をロスすることなく無事クリア。

そうめん処 霞亭
かけにゅうめん大盛り

個人的にはそうめんは冷やしが好きですが、出汁が美味しそうな気がしたのでにゅうめんに。

にゅうめんだとコシが弱くて、のど越しが良くない事が多いですが、ここのにゅうめんは全くそんなことは無かった。

大盛りしたので多少食べるのに時間がかかりましたが、最後までコシが失われていなかった。

龍野醤油の旨さのおかげか、出汁も美味しくて全部飲み干してしまった。

そうめん処 霞亭の食べログへ

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たつの市 龍野城

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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