紀州湯浅歴史観光 日本の味はここから始まった。醤油を生み出した町を巡る

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丸新本家(湯浅醤油有限会社)

丸新本家

顯國神社から国道42号線を南に進み、紀勢本線を陸橋で越えて少し行くと、大きな看板と城のような建物が見えてきた。どういうコンセント?!

丸新本家は1881(明治14)年に創業した湯浅の老舗醤油醸造所の一つ

今回、醤油の町巡りで一つ未達成のことがある。醬油ソフトクリームがどこにも売っていなかった!

湯浅で醬油ソフトクリームを食べられるのは、どうもこの店だけらしい。

湯浅醤油有限会社

こっち建物はいかにも醤油蔵って感じで、安心した。手前がカフェになっていて、醬油ソフトクリームを食べることが出来た。

面白いことに醤油の追い足しが出来て、ソフトクリームに醤油を垂らして食べるとより美味しくなった。不思議な感じ。もちろんかけ過ぎには注意。

ところで湯浅醤油(有)と書いてあるけど、屋号は丸新本家ではなかったのか?

伺ったところ、湯浅醤油(有)は丸新本家から醤油部門を独立させたグループ会社なのだそう。

湯浅醤油有限会社

醤油蔵の左側を奥に進んだところに、見学入り口があった。無料で醤油蔵見学が出来るようになっていた。

金山寺味噌

中には色々なパネル展示があり、金山寺味噌と醤油の起源の分かりやすい説明があった

鎌倉時代、覚心というお坊さんが中国(宋)の金山寺に仏教の勉強に行ったとき、そこで作られていた金山寺味噌の製法を習得し、日本に持ち帰った。

和歌山県由良町にある興国寺から、本場の禅宗を教えて欲しいという依頼があったので、覚心は興国寺の住職となり、禅と一緒に金山寺味噌の作り方も教えた。

寺で金山寺味噌を作っている時、表面に溜まっている上澄み液をなめてみると、「めっちゃ美味いやん!これ、売れるやろ」って感じで思いつき、醤油が生み出されたといわれている。

湯浅からかなり離れているが、興国寺は今もあるので、この後、行ってみようと思う。

湯浅醤油有限会社

順路は2階へ通じており、作業場を一望できるようになっていた。

機械化されているものがある一方で、大きな木樽が現役で活躍しているところに、醤油づくりのこだわりを感じる。

醤油蔵 九曜蔵

作業場の反対側は醤油の木樽が並んでいて、絶賛発酵中。

場所によって、外の光の当たり方に差があるけど、それによっても味に差が出るのだろうか?

お土産物売り場

醤油蔵見学コーナーを抜け、外の渡り廊下を進む。再び建物内に入り階段を降りると、お土産物売り場に出てきた。

たくさんの醤油が並ぶ中で、特に目に留まったのが、下の魯山人醤油

魯山人醤油

北大路魯山人と言えば、美味しんぼの海原雄山のモデルになった人物。陶芸、書道、料理の分野を極めた芸術家で、正にリアル海原雄山

その魯山人の芸術と食文化を後世に伝えるために誕生した魯山人俱楽部と湯浅醤油が、共同で開発した醤油が魯山人醤油。

添加物は一切使わず無農薬、無肥料で栽培された小麦、大豆、米で作られた特別な醤油。栽培には「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則さんの協力があったとのこと。

欲しいけど、ちょっと値が張るなー。それだけの価値はあるだろうけど、まだ筆者には魯山人は早すぎた。いつかその価値が分かる様になった時の楽しみにしておこう。

この流れで、醤油発祥のきっかけとなった興国寺に行きたいところだが、もう一ヶ所、湯浅で寄りたいところがある。

湯浅城跡

湯浅城跡

湯浅にも城跡があるみたいで、歴史好きとしてはスルーすることは出来ない

湯浅城跡は丸新本家から割と近く、国道42号線から脇道を東へ進んだ山の麓あたりにある。

城跡に近づくにつれ、立派な天守閣と櫓が見えてきた。あれ?おかしいな。和歌山県といえば徳川御三家の紀州藩で、湯浅に天守閣を持つ城があったとは思えないのだが…。

湯浅城跡

軽い坂道を登り、城跡に到着。これが湯浅城かー。石垣も土塁も堀も全くなく、簡単に攻め落とされそうやな。

っていうか城ちゃうやん。

湯浅城跡

なんて形容したらいいか、よく分からへん。本丸御殿風と天守閣風を組み合わせた感じ?

ここは城を模した温泉旅館で、その名も湯浅温泉 湯浅城

日帰り入浴も出来るようなので、湯浅観光の締めくくりには丁度いい施設。

湯浅城は、平治の乱の頃に顯國神社で登場した湯浅宗重が築城。南北朝時代には南朝についたため、紀伊守護の山名氏に攻め落とされ、湯浅氏も滅亡した

中世の山城なので、もちろん天守閣があるはずが無いのである。

そうなると歴史考証的にどうなのかと思ってしまうが、そこもきちんと考えられていた。温泉旅館があるのは城跡の山の北側で、史跡と被らない場所に建っている。

湯浅温泉 湯浅城公式ホームページへ

湯浅城跡

左側にあるのが湯浅温泉の天守閣。当時の湯浅城は右側のこんもりした山に築かれていた。

山全体に曲輪、空堀、土塁などが築かれていて、今も残っているらしい。

湯浅城跡

こんな案内があったので、城跡も見学が出来るのかと思ったら、途中で柵があり行けないようになっていた。

ネット情報によると、昔は公開されていたが、現在は安全性の問題などで非公開にしているとあった。整備して、いつかは常時公開を目指しているとのこと。

最後に、醤油発祥のきっかけとなった興国寺に行って、湯浅観光の締めくくりにしたいと思う。

興国寺は湯浅から少し離れているので、湯浅駅に戻り電車で向かった。

興国寺

興国寺山門

湯浅駅から10分程で、紀伊由良駅に到着。そこから折り畳み自転車で興国寺へ。

寺は山の中腹にあるので、途中の道も結構な上り坂。せっかく組み立てた折り畳み自転車も、無用の長物に。でも戻る時はめっちゃ楽やった。

興国寺 山門

宋の影響を感じさせる芸術的な山門。

木組みには複雑な文様が施されていて、特に両端の彫りの細かさが凄い。

扁額には「関南第一禅林」の文字が。関西や関東はお馴染みやけど、関南とは初めて見た。当時の関西、関東は「愛発関、不破関、鈴鹿関」を境にして西か東かって意味であった。

それからすると、関南は鈴鹿関より南側のことだと思う。要するに「ここは紀伊半島で一番の禅宗の寺院です」ってことかな。

興国寺

門をくぐり、しばらくは木立に覆われた参道を進んで行く。

しばらく進むと広い場所に出、その先には本堂に続く階段が。周りには古さを感じさせる野面積みの石垣があって、中世の山城のような雰囲気。

入山料は必要なく、自由に見学が出来るみたい。

興国寺 本堂

階段を上った先には、立派な本堂が建っていた。屋根の端が反っていて、中国の寺院建築の様式が色濃く残っている。

興国寺は、高野山の僧侶・願生によって始まった。願生は元々、葛山景倫(かつらやまかげとも)という武士で、鎌倉幕府3代将軍・源実朝に仕えていた

実朝が暗殺された後、景倫は実朝を弔うため高野山へ入った。その時、宋へ留学しようとしていた覚心(丸新本家で登場したお坊さん)と知り合う。そこで、景倫は宋に埋葬して欲しいという主君実朝の夢をかなえるため、覚心に実朝の骨を宋に持って行って欲しいとお願いした。

景倫は、実朝の菩提寺として、1227(安貞元)年、興国寺(最初は西方寺)を開山した。

覚心は宋に行き、景倫の願いを果たし、金山寺で禅と金山寺味噌の製法を学んで帰国した。景倫は本場で禅を学んできた覚心を西方寺に招き、紀州における本格的な禅の道場となった。

その後、1340(興国元)年に後村上天皇から興国寺の号が授けられた。

興国寺 本堂

金山寺味噌の製造も始められ、そこから醤油が発明された。ここで日本最初の醤油が生まれたと思うと、非常に感慨深い

景倫や覚心が醤油を味わったかは分からないが、2人の出会いが新しい調味料の発明に繋がった。

興国寺 本堂 後ろから

本堂は後ろにある禅堂(禅の修行道場)に繋がっている。

醤油の美味しさを発見し、作り始めてからしばらくは興国寺で作っていた。

しかし興国寺がある由良町は山あいの町で、水質や輸送面であまり適していなかった。

そこで、比較的近い湯浅が、熊野古道の宿場町で人の行き来があり、港町なので輸送に便利であったたため、醤油製造が伝えられた。

こうして湯浅が日本初の醤油醸造の町となっていったのだった。最盛期には約100軒もの醸造所があったらしい。

天狗堂

本堂の左側には、斜面になっていて更に上の方にもお堂があった。

天狗堂

お堂の中には、仏像ではなく巨大な天狗のお面が祀られていた。お寺で天狗って珍しい。

興国寺は、1585(天正13)年、豊臣秀吉の紀州征伐で境内の大部分が焼失しまった。その後、紀州藩主となった浅野幸長によって、再建された。

この時、不思議な伝承が残されていて、天狗が突然現れて、一夜にして伽藍を立て直してくれたというもの。

ジェバンニ並み(笑)の仕事ぶりに感謝した村人が、天狗を祀るお堂を建立したとのこと。

天狗命根石

天狗の祭壇の前には、亀の甲羅のような黒光りする石が置いてあった。

説明によると、地球の創成期?!に噴出する火山岩から出来た貴石で、世界最大の大きさを誇っているとのこと

内部には数億年前の水が蓄えられているらしく、持ち上げて振ってみれば、チャポチャポした音がするのだろうか?

さすがにそんな危険行為は、この石の歴史に泥を塗ることになりかねないので、慎んでおいた。

興国寺 本堂 後ろから

このお寺のことをネットで調べていると、フランス人女性の方が僧侶を務められているとあった。もし、お目にかかればお話をしてみたいと思っていたが、残念ながら、遭遇したのは観光客1名と売店のおばちゃんだけであった。

僧侶名・風神(フォマルス アタレさん)は元フルート奏者で、30歳のときにアメリカの禅寺に入り僧侶となった。アメリカや日本のお寺で過ごし、大学で仏教の講義を行っていたが、修行に集中するために、興国寺に来ることとなった

まさか外国人の僧侶って驚いたけど、ほかでも外国の方が伝統工芸の職人になっているのを耳にしたことがある。一昔前から、伝統工芸の担い手が減ってきているというので、関心を持つ外国の方が増えるのは、良い意味での逆風となり得そう。

伝統文化を愛するのに人種は関係ない思う。

興国寺 売店

境内を一通り周り、最後に境内にある売店に立ち寄った。

お寺らしくお札や御守りが売られている中で、金山寺味噌や角長のしょうゆあられが堂々の最前列に。

今はお寺で味噌や醤油を作ってはいないみたいだが、750年程前、日本で初めて金山寺味噌の製造が始まり、醤油が生み出された歴史はこの先も、日本の誇りとして記憶され続けるに違いない。

世界に羽ばたいたソイソースを生み出した寺は、あまり自己主張することなく、紀州の山の中で静かに佇んでいた

次の日は和歌山最強の温泉リゾート地、白浜を観光する予定。では宿も白浜で取るのかと思いきや、電車に揺られ紀伊田辺で途中下車。紀伊田辺には南紀唯一のネットカフェ、コミックバスターがあるのだ!

最後までお読みいただきありがとうございました!

湯浅 旅の軌跡マップ

湯浅へのアクセス

公共交通機関🚃🚌
特急「くろしお」で湯浅まで、大阪から約1時間30分、天王寺から約1時間10分

車🚗
阪和自動車道「有田IC」または「湯浅IC」から約5分

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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