為心町通り
岡田彌三右衛門邸

次は為心町通りを散策してみます。
為心町というのは、豊臣家に仕えていた為心斎が住んでいたことからきている。為心斎って聞いたことないぞ。調べても分からんし。誰やねん。
岡田彌三右衛門は北海道の松前まで進出し、松前藩の御用商人として場所請負を行った商人。
場所請負といえば、司馬遼太郎の「菜の花の沖」で登場していました。アイヌの人達を奴隷の様に働かせる悪名高い制度で、クナシリ・メナシの戦いの原因ともなったといわれています。
ヴォーリズ建築街

更に先に進むと、伝統的な町屋の向こうに十字架が掲げられた塔のある建物が見えました。
件のヴォーリズ建築が初お目見え。
和と洋が混ざり合う景色は町中のあちこちで見られ、近江八幡の特徴の一つとなっています。

1924(大正13)年に建設された近江八幡教会。しかし残念ながら、1981年12月に失火により全焼しまった。現在の建物はヴォーリズ建築事務所により再建されたもの。

教会は焼失してしまいましたが、この近辺には現役のヴォーリズ建築がたくさん残されています。
教会の向かい側にある日本家屋っぽいのが、1940(昭和15)年築で近江兄弟社の社員寮として建てられたヴォーリズ建築、地塩寮。現在は教会の施設として使われています。
ヴォーリズ建築はクリーム色の漆喰壁、赤茶色の屋根瓦というスパニッシュ様式を、日本の風土に合う様に和の要素を融合させているのが特徴。
ここは昭和の日本家屋に、少しヴォーリズ要素を足した感じでしょうか。

教会の隣にも似た雰囲気を持った建物が。全体の色遣いは地塩寮と同じですが、玄関が中央にあったり屋根瓦が赤かったりと、かなりスパニッシュ様式よりな感じ。
1907(明治40)年、ヴォーリズが親友のアンドリュースから資金提供を得て、キリスト教青年会(YMCA)の会館として建てられた。
数あるヴォーリズ建築で、ここがヴォーリズが初めて設計した建物。今の建物は2代目だが、登録有形文化財に指定されている。
仲屋町通り(すわいちょうどおり)

為心町通りの一筋隣の仲屋町通りは、仲買商人が住んでいた町で、仲介手数料を意味する「すあい」に由来している。
現在は小幡町通りが近江八幡駅と旧市街を繋いでいるが、以前は仲屋町通りがそうであった。そのため、仲屋町通りには商店街が形成されていた。
「あきんど道商店街」と名付けられ、地元客と観光客の両方が楽しめる商店街になっている。
旧八幡郵便局

仲屋町通りには、マジで古そうなヴォーリズ建築が残っています。壁のボコボコとした質感が、古さを感じさせてくれます。
アーチ状の入り口や窓はスパニッシュ様式の一つ。入り口には右読みで旧八幡郵便局と書かれています。

1921(大正10)年、ヴォーリズが設計した洋風木造建築で、郵便局として活躍していた。
しかし、1960年に新しい郵便局が完成し移転した後は、長い間空き家になり老朽化が進んでいった。
そこで、保存と再生のために地元の人が乗り出し、「ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会」を結成し、見事に蘇った。
まるたけ 近江西川

他にもヴォーリズ建築は無いかと探していたら、またしても西川家の店を発見しました。これで4軒目。
今度の西川家は今までと毛色が違っていて、近江牛が名物の飲食店となっています。
面白いことに1947(昭和22)年の創業当時は、この店の裏で牛を育てていたらしい。今では考えられないですね。
まちや俱楽部

仲屋町通りには、リノベーションされカフェや飲食店として活用されている町屋が並んでいます。
中でもここ「まちや俱楽部」は珍しく、近江八幡で数少ない昔の酒蔵を利用した宿泊施設&総合ショッピング施設となっています。
ここは、そのほとんどが登録有形文化財にも選ばれていて、近江八幡で一番の文化財集中ゾーンになっています。見逃すわけにはいきません。

入ってすぐのところは、綺麗にリノベーションされていて色んな店舗が並んでいます。右側が宿泊施設。

奥はかなり当時の感じが残されていて、お酒の貯蔵タンクもそのままに。

奥の方には「Going Nuts!」というナッツの専門店がありました。70種類以上のナッツが量り売りされています。
この店に来たかったのが、入った理由の一つです。
その目的は「ナッツスムージー」。かなりのとろみがあり、ナッツの風味がガツンとして、めっちゃ美味しかったです。

裏の駐車場から見るとまちや俱楽部の全景が見られます。
大量の瓦屋根の建物群が折り重ねって広がっている。登録有形文化財の波状攻撃に圧倒されそうです。

	
			
			
			
			
			
			
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