近江八幡歴史散歩(町並み編) 豪商屋敷とヴォーリズ建築、和洋折衷町歩き

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旧西川家住宅

旧西川住宅

旧伴家住宅から新町通を進んだところに、見学可能な豪商屋敷が2軒あります。

西川利右衛門家住宅は1706(宝永3)年に建てられた京風町屋

西川家は1585(天正13)年に初代西川勘衛門数吉が創業した「大文字屋」が始まり。本家である西川利右衛門家は、蚊帳や畳を扱って300年続いたが、今は子孫が途絶えている。

この背の高い蔵は3階建てになっています。3階建ての蔵って初めて見ました。旧伴家住宅と同じく、高い経済力を持っていた証ですね。

屋敷内は写真撮影が禁止でした。

旧西川家住宅 ホームページへ

西川庄六邸

西川利右衛門宅の向かい側にも別の西川家がありました。こっちは西川庄六住宅と書いてあります

他にも、あちこちに西川家を何軒も見かけました。江戸時代の近江商人で子供が多い家は、分家させ独立させてることが基本だったらしいです

西川家も一つの家から分家をすることで、西川を名乗る家が細胞分裂するように増殖していったわけです。こうやって大資本家が出来るわけなんですねー。

西川庄六家は2代目西川利右衛門の子が新たに分家した家。蚊帳、錦、砂糖、扇子などを取り扱っていた。今も、食品、寝具、生活雑貨などを扱うメルクロス株式会社として営業が続いている。初代から数えると創業400年以上続いている長寿企業。

ここは非公開になっていました。

森五郎兵衛邸

森五郎兵衛邸

西川庄六邸のお隣にある森五郎兵衛邸。どこが境目なのだろうか。

森五郎兵衛家は、先ほど訪れた伴伝兵衛家と並ぶ八幡商人ランキング神3の一つ。ちなみに後ほど紹介する御三家の残り一つは誰しもが知る超有名企業です

森五郎兵衛は元々、伴伝兵衛家の奉公人(今の従業員)であった。真面目かつ有能なビジネスパーソンで、社長の伴伝兵衛は五郎兵衛が中年になった時、独立を許し資金まで提供した。
森五郎兵衛の森五商店は、煙草業者として関東一円に販路を拡大していった。後に呉服も扱うようになり、屋号を近江屋三左衛門と改名。現在は東京にある近三商事株式会社が関連企業の一つとして事業が続いている。

屋内見学はこの本宅は入れませんが、向かいにある控え宅が歴史民俗資料館として見学可能になっていました。ここも写真撮影は禁止でした。近江八幡の豪商屋敷は、何故か写真撮影が禁止のところが多いです。

近江兄弟社

近江兄弟社

新町通りを進み大杉町通りへ。この大杉町通りが現在のメインストリートで、人通りも多く飲食店などが立ち並んでいます。

道沿いのビルに、見覚えがあるロゴが掲げられています。皮膚薬やスキンケア製品でお馴染みのメンタームのロゴです。メンタームの製造販売をしている近江兄弟社は近江八幡の会社

今までの流れからすると、ここも長い歴史を持つ八幡商人系の会社と思いきや違いました。創業者の名は「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ」。近江八幡を語るのに避けては通れない人物です。

近江兄弟社の向かいにあるウィリアム・メレル・ヴォーリズ像

ヴォーリズは1905(明治5)年にキリスト教伝道師として近江八幡にやってきた人物。キリスト教の伝道や実業家の他にも、病院や学校などの社会福祉事業を行った。近江八幡を拠点に活動しこの町を愛し続けた。「近江八幡は世界の中心」の言葉を残し、近江八幡市の初代名誉市民に選ばれた

特に有名なのがヴォーリズ建築の設計者で、日本で数多くの西洋建築を手がけている。

調べてみると筆者も目にしている建物がゴロゴロ出てきました。

有名どころを挙げると、大阪にある「大丸心斎橋店」。京都の四条大橋にある「東華菜館」。滋賀県では、筆者も見たことがあるアニメ「けいおん」で登場した豊郷小学校を設計しています。そう聞くと俄然、親近感が湧いてきました。

中でもヴォーリズが住み続けた近江八幡には、多くのヴォーリズ建築があるので、見かけ次第、紹介します。

メンターム仕様の自動販売機

他では見たことがない超レアなメンターム仕様の自動販売機。ラインナップがメンタームと関係がないのが残念です。

そういや、メンタームと書いてあるが、メンソレータムではなかったっけ? 頭が混乱してきたぞ。

1920(大正9)年に創業した近江兄弟社は元々、メンソレータムの販売をしていた。メンソレータムはアメリカのメンソレータム社の製品で、近江兄弟社はその製造販売権を持っていた

しかし、1974年に近江兄弟社は経営破綻に陥り、メンソレータムの販売権を失ってしまう。そこで再建をかけて自社のオリジナル皮膚薬を開発を行い、以前からメンソレータムの略称で商標登録してあったメンタームの名前で販売を開始

大鵬薬品工業からの支援もあり、メンタームはメンソレータムと肩を並べる皮膚薬として知れ渡り、経営再建に成功したのであった。

メンソレータムもメンタームも元の出どころは同じ近江兄弟社なのである。

メンソレータムの方は、ロート製薬が製造販売権を手に入れ、数年後にロート製薬自身がメンソレータム社を買収している。

それぞれの効能の違いなどはよく分かりませんが、値段はメンタームの方がかなり安いです。ヴォーリズ建築の設計者が創業者となると、メンタームの方をひいきにしたくなるなー。

近江兄弟社 公式ホームページへ

西川甚五郎邸

西川甚五郎邸

近江兄弟社の斜向かいには、今までで一番の広さを誇る超巨大邸宅が。西川利右衛門家、西川庄六家に続いて、3度目の西川家です。

西川甚五郎家は八幡商人ランキング神3のラストにして、誰もが知る超有名企業。

西川甚五郎邸

西川甚五郎家の初代、西川仁右衛門は1566(永禄9)年、この場所で山形屋を創業した。かつての近江八幡の名産品であった八幡蚊帳の製造販売を行い、蚊帳の西川と呼ばれていた

江戸幕府が開かれたことで、急速に発展していた江戸の町に進出し、日本橋に出店した。江戸中期には京都、明治初期には大阪に出店した。

明治になると、近江八幡での蚊帳生産が他の地域に押されてきた。また、需要が夏に偏っている蚊帳の販売を補うものとして、冬に需要がある布団の取り扱いを始めた。この時から「蚊帳の西川」から「ふとんの西川」になっていった。

ここが布団や寝具の販売でトップシェアを誇る「西川株式会社」の発祥地なのである

近江商人は地元に本宅を構え、日本全国で経済活動をするのが基本スタイルとなっており、本社は東京にある。

三大近江商人の一つ、日野商人は地方に小型店舗を数多く出店していく手法だが、八幡商人は都会に大型店舗を出店する手法をとっている。コンビニ対百貨店って感じ。

創業450年以上の老舗が、業界最大手ってマジで凄い!

西川甚五郎邸

西川甚五郎邸は初代から12代目まで暮らしていた屋敷。甚五郎は代々襲名している名前。

今は別荘として使用されているので、中を見学することは出来ない。しかし、期間限定の予約制で見学することが出来るようになっている。

常時見学可能な施設として、奥の蔵が改装して資料館になっていました。館内は蔵なので広くはなく、サッと見て回れれました。ただ、この規模で入館料がかかるのは、う~んという感じでした。

店舗と邸宅

こっちが本宅と店舗。

説明によると、江戸時代のままの箇所と明治大正に増築した箇所があり、時代による造りや意匠の違いを見ることが出来るらしい。特に、大正に造られた洋室と皇室の方を迎える客間は必見とのこと。

特別公開は春と秋で年2回。来年の春にでも見に行こうかな。写真撮影がOKだったらまた追記したいと思います。多分、ダメやろうな。

西川文化財団 公式ホームページへ

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この記事を書いた人

著者;どらきち。平安京在住の地理、歴史マニア。 畿内、及びその近辺が主な活動範囲。たまに遠出もする。ブラタモリや司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいな旅ブログを目指して奮闘中。

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