うな広

二川駅の近くにあるうなぎ料理屋さん「うな広」。
豊橋市に来て何故、うなぎと思われた方も多いかもしれません。少し東へ行くとうなぎで有名な浜名湖と浜松市があります(この日は浜松で泊まる予定です)。
今まで全く知りませんでしたが、実は愛知県のうなぎの養殖生産量は鹿児島県に次ぐ2位なんです。特に三河地方が非常に盛んとなっています。
ならば行くしかないでしょう。

メニューにはうなぎの白焼きと言う、見たことがない文字列が羅列されていました。いや、生涯で一度だけ口にしたことがある気がします。関西ではお目にかかった事が無いので、記憶が夢うつつになっていました(笑)。
その土地でしか食べることが出来ないものを食べたいので、白焼定食を注文。
うなぎをお醤油に付けて食べるのがめっちゃ新鮮。そもそも高いからめったに食べんけど、タレに慣れた舌からすると、一体なんの魚を食べているのやろと頭が混乱しそうになりました。
これはこれで美味しかったですね。蒲焼きだと味の決め手がうなぎではなくタレで決まるので、うなぎそのものを味わうことが出来ました。
白焼きは浜名湖周辺がメッカらしく、漁師町で取れたうなぎをシンプルに焼いて食べていたのが発祥らしい。
ただ難点が一つあって、あっさりしてるせいでご飯をたくさん食べることが出来ひんやん! これではお腹が減ってしまう。
さっき、中原屋でお菓子を買っておいて良かった。
本陣、旅籠屋と巡ったので次は残る一つの豪商屋敷を見学しに行きます。
商屋「駒屋」

東側の鍵の手です。駒屋は鍵の手の角に位置しています。鍵の手でも十字路でも角は立地的に有利です。
単調な直線にある店より、角にある店のほうが印象に残りやすいです。
あと視認性も良いですね。ここで一気に視界が広がり、視線は曲がる道の先の店に自然と誘導されます。
二川宿トップクラスの豪商は立地からして一等地です。

駒屋の向かいに面白い店があったので、つい写真をパチリ。
地元のガス会社みたいですが、宿場町の雰囲気に建物を合わせているのが素晴らしい。木の看板や暖簾が江戸情緒をマシマシにしてくれています。

改めましてこちらが「駒屋」です。
本陣の向かいに入れそうで入れなかった西駒屋がありましたが、こっちが本家です。
パッと見は豪商屋敷というより、ごくありきたりな一軒家にしか見えません。

店に入ってすぐのところには、江戸時代のレジカウンター、「帳場」があります。
レジ係はいませんが、表彰状らしきものが置いてありました。都市景観大賞と書いてあります。
美しい町並みを生み出している地域や活動に対して表彰される制度らしいです。二川宿の町並みが見事に大賞を獲得した様です。
他にどういったところがノミネートされているのか気になります。新たな旅行先選びに活用できるかも。

駒屋の事業主である田村家は、元々は医師として遠州(静岡県西部)から二川宿に移ってきました。6代目の時、棒手振り(天秤棒に桶やザルを付けて売り歩く江戸時代の移動スーパー)を始め。2年後には現在地に店を構えることが出来、米穀の小売を行いました。
その数年後には質屋も始め、幕末になると米穀店と質屋の二刀流で7千両(現在の約1憶円)以上もの金融資産を所有するほどの大企業に成長しました。
医者よりも、よほど商売人としての才能があったんやなー。

1813(文化10)年に建てられた主屋の奥には、大正期に建てられた離れ座敷があります。その間には渡り廊下と小さな庭が設けられています。

主屋の土間を抜けると、更に奥の方まで通路が続いており建物が連なっていた。
玄関の外から見ると、そこまで広い豪商屋敷に見えませんでしたが、奥行きが尋常なまでに広くなっています。ここも典型的なウナギの寝床タイプの敷地ですね。

離れ座敷の向かいには、白砂利を敷き詰めた茶室が設けられています。明治くらいに造られてた言われています。

この通路自体が街道かと思うくらい長く伸びて、両側には建物が連なっています。
土蔵は事業規模が拡大するに応じて、一つまた一つと増築していったようです。主屋に近いところから順番に建てられました。
手前の土蔵では、お土産や駄菓子が売られていました。懐かしい駄菓子が並んでいて、幾つか購入しました。

一番奥には土蔵と庭園の様な空間が広がっていました。
不自然に広い空間が余っているので、ここにも土蔵などの建物が建っていた気がします。
蔵は軽食兼カフェとして活用されています。

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