名古屋人に名古屋の観光地と言えばどこ?と聞くと、「そんなものはない」という答えが返ってくる。名古屋にはそんな自虐ネタがあるらしい。
実際、名古屋には観光不毛の地という不名誉なレッテルが張られており、筆者も名古屋城と熱田神宮しか思い浮かびませんでした。
その原因を3つあげると
- 東京、京都、大阪などに比べて街の特徴的イメージが弱い
- 関東と関西の通過点という印象
- 県名と県庁所在地名が違っていて、名古屋市外の観光地は名古屋と思わない
にあると思います。
そんな観光不毛の地、名古屋で江戸時代から続く伝統工芸と家並みが残る町を見つけました。
有松絞りで有名な有松には、江戸時代の町並みがほぼ完璧に残されています。重伝建地区や日本遺産に指定されているにもかかわらず、京都や大阪の様に観光客でごった返していない落ち着いた雰囲気の観光地です。
今回は名古屋の知られざる観光地、有松を散策してきました。
有松巡り 3つのポイント
- 何もなかった街道に、突然町が出来た理由とは?
- 弥次さん喜多さんも魅了した有松絞りとは?
- ウナギの寝床と違う、有松の町屋の間口は何故広い?
有松ってどこ
有松は東海道の宿場町の一つで、鳴海宿と池鯉鮒宿の間の宿でした。すぐそばには名鉄名古屋本線が通っています。
現在は周囲に住宅地が広がっていますが、戦国時代以前は、丘陵地帯(尾張丘陵)が広がり鬱蒼とした松林が生い茂るだけの寂しいところでした。
そこに突如、豪商や職人屋敷が立ち並ぶ商工業の町が現れました。有松の町はどの様にして出来たのでしょう?
名鉄有松駅

この日は名鉄フリー切符を使った名鉄沿線巡りの2日目。1日目は常滑焼と招き猫で有名な常滑を巡り、名古屋市内で1泊。2日目の朝、有松を目指してこの世で最もカオスで初見殺しの駅、名鉄名古屋駅へ。
下手をうつと知多半島の突端までへ連れていかれるので、慎重に行き先をチェックし有松方面に乗車しようとした。その瞬間、重要な事に気が付いた。特急や急行は有松に止まるのだろうか。
どうやら準急しか停車しない様なのでそれを待ち、約17分で有松に到着しました。
駅を降りると、日本遺産有松巡りと桶狭間の戦い巡りの案内が。桶狭間の戦いはこの辺りで起こっていたのか。時間があれば町巡りの後、桶狭間の戦い巡りもしてみたい。
もし無くても、また来る楽しみが出来たということで。その時は本気で桶狭間の戦いに挑みに行くぞ。

駅に設置された周辺マップは鮮やかな藍色で彩られている。駅から保存地区までめっちゃ近いです。
名鉄は東海道と隣り合って走っていますが、それには理由があります。
JR東海道線はこの辺りの起伏の激しいエリアを避けて平坦な南側を通っています。JRのルートから外れてしまった旧東海道の鳴海や有松の有力者は土地の斡旋や資金協力し、1917(大正6)年、愛知電気鉄道(後の名鉄)の神宮前~有松が開通しました。なんと当時は有松駅が終点だったのです。
有松は町に鉄道を引き込むほどの資金力を有していました。一体、何が有松をそんなブルジョアジーな町にしていたのでしょうか?
町を巡りながらその謎を探って行きましょう。
鎌研橋(かまとぎはし)

有松の入り口には手越川(藍染川)が流れ、鎌研橋が架かっています。橋がかかり、道が蛇行している感じが宿場町の入口って感じが出ています。
手越川は有松の町の裏手をほぼ平行に流れ、有松の人は藍染川と呼んでいます。
藍染川という呼び方に有松をブルジョアジーな町に育てた秘密があります。

町の南北には丘陵地帯が広がっており、現在はほとんどが宅地化されていますが、戦国時代以前は松林が生い茂り人家はほとんど無く、盗賊が出没するような土地でした。
有松に町が出来たのは1608(慶長13)年のことでした。尾張藩はこの場所に新しく町を作ることにし、移住者には特典を与えて移住を奨励しました。わずか8名の移住者から始まった有松は、江戸時代のニュータウンだったのです。
しかし、この辺りは丘陵地帯で農業に向かない土地柄で、隣の鳴海宿や池鯉鮒宿に近いため宿場町としての発展も望めません。どうする有松。
移住者たちは起死回生のアイデアを思いつきます。
そのアイデアとは? 続きはCMの後で(笑)
有松一里塚

江戸時代の街道には一里(約4㎞)ごとに木を植えた塚が設置されていました。
当時のものが残っているところはほとんど無く、石碑や案内板があれば良いほうです。しかし、ここは一里塚が見事に復元されています。素晴らしいことに道の両側とも復元されていました。
名古屋市内には伝馬町一里塚が復元されていて、笠寺一里塚に至っては超レアな現存一里塚です。こんなナイスなことをしている名古屋に観光地が無いなんて、どの口が言うてるんや。
有松の町並み

一里塚を過ぎ自動車道をくぐると、景色は一変し、ほぼ完璧な江戸時代の町並みが広がっています。

今、歩いてきたところです。自動車道がちょっと違和感がありますが、気にならないくらい素晴らしい町並みです。
玄関にかかっているのれん「ありまつ」が良い雰囲気を出してくれています。
旧東海道でここまで当時の建物が残っている宿場町は、かなり稀です。

この家の屋根にご注目。うだつが上がっています。うだつとは屋根の端にある高くなっている壁のことで、防火壁の役割がありました。
うだつを上げることが出来るのは、文字通り財力のある家だけです。

ここは創業400年以上の歴史を持つ株式会社竹田嘉兵衛商店。門扉と言い、蔵と言い、絵に描いた様な豪商屋敷です。
ここの茶室には14代将軍の徳川家茂が訪れたことがあるそう。

竹田家は愛知電気鉄道有松線を開業させた有力者の一つであり、竹田家の祖先である竹田庄九郎は400年前、有松へ入植した8名の初期メンバーの一人でした。
この竹田庄九郎が農業が不向きな有松に現在も続く地場産業をもたらした人物です。
それが有松絞りです。
当時、名古屋城築城工事にあたっていた豊後(大分県)の職人が着用していた豊後絞りを見た庄九郎は、地元の三河木綿屋や知多木綿に絞り染めすることを思いつきます。絞り染めをした手拭いを街道を行く人にお土産として売り出しました。徐々に有松絞りは広く知られるようになり、江戸中期になると、有松の人口は500人を超えました。


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