加賀温泉郷で有名な石川県加賀市。山側にある温泉とは反対に海の方へ行ったところに不思議な漁師町があります。港は小さく、交通の便も悪い土地にもかかわらず、伝統的な豪邸が立ち並んでいます。
加賀橋立は江戸時代に北前船の船主が集まっていた集落で、日本一の富豪村になったことがあるちょっと信じられない町なのです。
明治時代に造られた加賀地方独特の家屋が残されており、「重伝建地区」に選ばれています。
大正時代の月刊誌「生活」では次の様に紹介された。(大正時代の1万円は今の約500万円)
「北陸線大聖寺駅から一里半の海岸に日本一の富豪村がある。加賀国江沼郡橋立村小塩と橋立の戸数は各150位ある。此の村には50万円以上が34名あるが上に、20万、30万の資産家が軒を並べ、5万以上の家に至っては村の半分以上を占めている」
「一村に50万、100万と云う富豪が数人ある村は、他にもまだ沢山あるが、全村挙げて巨万の富豪ばかり、且つ村が辺陬で住民が土着の者のみと云うのは恐らく橋立村が日本第一であろう」
今回は加賀橋立を巡りながら、何故、小さな港しか持たない町が日本一の富豪村になれたのでしょうか?
まずは、町をぶらついて雰囲気を味わってみることにした。見せてもらおうか。日本一の富豪村の実力とやらを!
加賀橋立、3つのおススメポイント
- ヨーロッパの町並みを思わせる赤い屋根と船板塀
- 骨太な海の男の美意識が詰まった船主屋敷
- 県内有数の漁場から届けられる海の幸
加賀温泉駅から加賀橋立へ
いつも通り青春18切符で最寄り駅の加賀温泉駅へ。さすがに遠くて京都から4時間もかかってしまった。
新幹線が出来れば2時間ちょっとで行ける様になるみたい。18きっぱーには関係のないことだが。
むしろ18きっぱーにとっては北陸本線が3セク化して、18切符が使えなくなる方が問題。
最近の町巡りの大きな味方、折り畳み自転車を持ってきたので、駅から加賀橋立へは自転車で向かうつもりでしたが、バスが丁度来たので乗り込みました。
橋立 案内マップ

橋立はそんなに大きな町ではないので、まずは町並みを散策したいと思います。
橋立の町並み

北前船の里資料館で下車し、バス停からこの道を進むと橋立の重伝建地区に入っていく。

抜けた先には船板塀と赤瓦で統一された家々が!

どの家を見ても船板塀と赤瓦が使われています。統一感があって異空間に入った様。

特徴の一つである船板塀は、北前船に使われていた船板を再利用したもの。
長年、船を守ってきた船板には塩水が染みついており、火災や虫被害を防ぐ効果があるのだそうです。

坂道に連なる三連続船板塀!

もう一つの特徴の赤瓦は加賀市の特徴でもあって、橋立以外でも加賀市の伝統的な町で使われています。
江戸時代の北陸は茅葺屋根が一般的で、瓦屋根は富の象徴でした。

ここはパンフレットに案内されていた橋立一番のビュースポット。
赤い屋根が密集している風景と言えばヨーロッパの町並みをイメージします。行ったことはないですけど…。

何故か道に置いてあった赤瓦。光沢があってまだ新しい感じ。
加賀の赤瓦は約1300℃の高温で焼かれており、耐久性も高く雪や凍結に強いとのこと。今も数百年前の瓦が使われています。
北前船での交流で、山陰地方でよく見られる赤瓦である石州瓦の技術が伝わってきたと言われています。

説明書きによると江戸以前の橋立は、半農半漁の一般的な漁村でした。
江戸中期に北前船による廻船業にチャレンジするものが現れ、多くの村民がそれに続きました。
それにより橋立は船主や船頭、船乗りなど北前船に関わる人々が住む集落となりました。
「板子一枚下は地獄」といわれ、命の危険性が伴う北前船は超ハイリスクでしたが、一航海で約5千万~1憶円を稼ぐことが出来たとのこと。

橋立の多くの船主屋敷は明治に建てられていますが、その理由は明治初期に大火事が発生して集落の大部分が焼け落ちてしまったことによります。
しかし、橋立は日本一の富豪村。そんなことでは動じず、むしろこの際より豪壮な屋敷で再建しようということになったのです。
では、日本一の富豪村が本気を出して進化を遂げた船主屋敷を見に行こう。
北前船船主屋敷 蔵六園(旧酒谷長一郎宅)

橋立で見学できる船主屋敷は蔵六園と北前船の里資料館です。まずは蔵六園から行ってみます。
目的の蔵六園は風情のある路地にあり、なんと左側の塀の全てが蔵六園。

蔵六園は酒谷家の分家である酒谷長一郎の邸宅。入口だけ見ているとそこまでの豪邸には見えないが、中がどうなっているのか期待を膨らましてお邪魔してみた。

玄関を上がり中に入ると、開放感がある高い天井の大広間が広がっていました。
高い位置に天窓をつけて、太陽光が部屋に差し込むようになっています。建材は全て赤漆塗りなっているらしく、高級感が伝わってきます。
ちなみに、奥は庭を見ながらお茶の飲めるカフェスペースになっています。あと、古美術品や九谷焼を売っているアンティークショップもありました。

こちらは、来客対応用のよそ行きの部屋。屋敷全体は木造豪邸の代名詞・総檜造りになっていて、欄間には松をかたどった装飾が施されています。

来客の間から見える庭園。石は北前船で集めた日本全国の銘石を配置しています。今で言うと世界中から銘品を集めてくる感じみたいですね。

ここは藩主(大聖寺藩)が尋ねられた時に案内する部屋。
橋立村の豪商は大聖寺藩の財政を支えており、武士の身分を与えられていたので、藩主との謁見専用の部屋まで設けられています。
ここは特に選りすぐりの銘木で造られているそうです。中心の黒い木やその右の少し曲がった茶色の木なんかは、高級そうな風情を醸し出しています。

豪華な収蔵品。パッと見ただけで分かるほど焼き物は詳しくないですが、やはり地元なので九谷焼でしょうか。色彩豊かな感じは九谷焼っぽい気がします。

ガイドの方に伺ったところ、藩は酒谷家に一万両の借金をしていたらしくその借用書が展示されていた。
その額は現在価格でなんと約1億円!(1両=1万円で計算。江戸後期の相場)。
普通に返済は無理だと思いますが、どうなったのでしょうか。酒谷家の財力からすれば1億円くらいの貸倒損失が生じたくらいでは蚊に刺された程度の事だったかもしれません。
次はもう一軒の船主屋敷、北前船の里資料館を見に行きます。
北前船の里資料館(酒谷長兵衛邸)

目の前の映る屋敷の全てが、北前船の里資料館となっている酒谷長兵衛邸。
約1000坪の敷地で橋立最大の船主屋敷となっています。あまりにも広すぎてこれでも見切れてしまっている。

酒谷長兵衛は前述の蔵六園の酒谷長一郎の本家筋にあたります。なのでここが日本一の富豪村・橋立の本気ということなのだ。
こちらも入り口からは豪邸といった感じはしません。


玄関を入るとオエと呼ばれる30畳の大広間が。漆塗りが施されている建材からは光沢が出ていて、艶やかな品の良さを感じがします。

解説には「8寸(約24cm)角のケヤキの柱、巨大な松の梁、秋田杉の一枚板の大戸など、最高級の建材を使っている」とありました。
言ってしまえば成金趣味の家なのに、何故かシックな品の良さが漂っています。

広間には北前船に関する様々な解説書きが展示されています。
鉄道や自動車が発明される前は、船が輸送の主役でした。その中でも北海道から大阪まで日本海を航海する北前船が物流の大動脈でした。
北前船が他の廻船と違うのが単に貨物を輸送するだけでなく、最寄りの寄港地で商品を安く仕入れ、それを高く売れる土地で売ることで儲けを得ていました。
特に北海道の産物が莫大な利益を上げており、儲けの9割をたたき出していたらしい。

橋立の船乗りたちの一年です。
北前船は春から秋にかけて大阪と北海道を1往復しました。橋立には大きな港がないため、冬の間は大阪に船を停泊しておきます。春になると船乗りたちは徒歩で大阪に向かいました。
4月に大阪を出港し、売買をしながら瀬戸内海を進み下関を通り日本海に出ます。山陰、北陸を経て橋立を通る時は、一旦沖で停泊して小舟で上陸して再開を楽しんだそうです。
後で海岸の方にも行ってみます。

6月には北海道に着き、海産物を満載して8月には北海道を離れる。11月には大阪に戻ってきて、再び歩いて12月には橋立に帰郷したという流れとのこと。
なんと一年のうち4分の3は海で過ごしていました。
ただ、今でも大型貨物船などの乗組員の方々は、年間200日以上海の上にいるって話を聞くので、海が舞台の仕事である以上、それは当たり前のことなのかも。

次の部屋には船箪笥と言われる船乗りの為に造られた箪笥が展示されていました。最大の特徴が水に浮くように造られていること。

手を触れてはいけないので重さは分かりませんが、重そうな箪笥が浮くってどういう仕組み?
江戸時代のテクノロジーって結構凄い。

仏間には豪華な仏壇が。北前船の寄港地である福井県三国で造られている三国仏壇で、全てに贅を尽くして造られおり、北前船の栄華の象徴の一つとなっています。
2つあるのは夏仏壇と冬仏壇で、船主が留守にする夏は小さな夏仏壇。帰郷する冬には大きな冬仏壇を使うという橋立独自の習慣があるとのこと。
確かに以前、三国の船主屋敷を訪れた際にあった仏壇は一つだけでした。超高級仏壇を2つも所持して使い分ける橋立って…。


北前船主屋敷らしく北前船がカッコ良く描かれた九谷焼の大皿。
掛け軸には北前船の代表的な寄港地、函館が描かれています。
定番の夜景スポット・函館山からの景色を描いたものに見えますが、よく見ると半島の先に山があり函館港が右側にあるので、五稜郭側から描いたものでしょう。

北海道ネタがもう一つあった。なんとアイヌの人達を描いたなんとも珍しい屏風。
司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」(淡路島の北前船乗り高田屋嘉兵衛の物語)で北前船とアイヌとの関わり知ったが、重要な交易相手だったそうです。

明治時代の厠があった。何故か個人宅なのに小と大の2つがあります。小用はタイル張りで新しく造ったのだろうか。

階段も漆塗りのためか高級感のある光沢があるが、古民家によくあるタイプの狭い急階段。
金持ちで広い家にもかかわらず、広くて緩い階段にしないのは何故?

ふすまには水墨画が描かれています。閉じた状態で見たいですが、勝手に閉めることは出来ないので諦めた。

隣に部屋のふすまは閉じた状態でした。躍動感溢れる松がめちゃくちゃカッコイイ。有名な絵師に書かせたのだろうか。


外の土蔵にも行けるようになっている。

土蔵内には当時、最大級であったらしい錨と船の絵が飾ってありました。

この絵は船絵馬といって、航海の安全を祈願するためにゆかりの神社に奉納するもの。調べると北前船独自の文化の様で、日本海沿岸の様々な湊町で見られるらしい。

土蔵の更に先には離れがありました。どんだけ広いんやー。
中は現代のチラシや折り込み広告にあたる引札が展示されています。

廻船問屋だけでなく、呉服屋、菓子店、小間物屋(雑貨屋)、旅籠屋と色々あって面白い。

一通り見て回って思いましたが、豪邸というと成金趣味爆発みたいな屋敷をイメージしてました。
しかし、2軒ともまったくそんなことはなく、落ち着いた雰囲気で細部の気付かない様な箇所に贅を尽くしており、品のよい豪華さって感じでした。
次は橋立を代表する寺に行ってみます。日本一の富豪村の寺は一体どんな感じだろうか?


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